三田評論ONLINE

【三人閑談】
女子プロレスの時代

2025/04/25

  • 柳澤 健(やなぎさわ たけし)

    ノンフィクション作家。
    1983年慶應義塾大学法学部卒業。『週刊文春』『Number』編集部などを経て2003年独立。著書『1985年のクラッシュ・ギャルズ』が格闘ノンフィクションの傑作と話題になる。

  • 三田 佐代子(みた さよこ)

    フリーアナウンサー。
    1992年慶應義塾大学法学部業。テレビ静岡を経て古舘プロジェクト所属。プロレス専門チャンネル「サムライTV」のキャスター。著書『プロレスという生き方』

  • 雫 有希(しずく あき)

    プロレスラー、僧侶。
    2021年慶應義塾大学文学部卒業。宝塚歌劇団をこよなく愛し、プロレスと歌劇がコラボするキララヅカ花激団を2021年に設立。浄土宗僧侶としてチャリティー興行も主催。

冬の時代を超えて

三田 これまで大勢のプロレス関係者とお仕事をさせていただきましたが、慶應出身者とお話しするのは初めてなのでとても新鮮です。

柳澤 女子プロレスの時代と言うと、1970年代にビューティ・ペア、80年代にクラッシュ・ギャルズ、90年代に団体対抗戦時代という3つの盛り上がりがあります。その後、全日本女子プロレス(全女)解散後に冬の時代を迎えますが、女子プロレスはここにきて人気が復活していませんか?

三田 とても盛り上がっています。全女と、クラッシュ・ギャルズの長与千種さんが立ち上げたGAEA JAPAN(ガイア・ジャパン)の解散に象徴される2000年代は観客が最も少なかった時期ですが、今はお客さんも選手も増えている状況です。

私は2007年から2013年まで東京スポーツ新聞社主催の「プロレス大賞」の選考委員を務めていましたが、女子プロレス冬の時代と言われた2004年から2008年までは、女子プロレス大賞の選手が該当者なしという扱いでした。ですが、2009年にさくらえみ選手が受賞したことで再注目されるようになります。

その後、新団体スターダムが旗揚げし、愛川ゆず季選手や紫雷(しらい)イオ(現WWEイヨ・スカイ)選手といったスター選手が誕生しました。

 私は2007年デビューなので同期がほとんどいないんです。紫雷イオさんと紫雷美央(みお)さん、ピンキー真由香ちゃんのたったの4人。でも前年の2006年デビューには松本浩代さんや十文字姉妹、仙女(センダイガールズプロレスリング)の1期生の方々がいました。

三田 昨年引退したSEAdLINNNGの中島安里紗さんやPURE-Jの中森華子選手も2006年ですね。

プロレスに演劇を取り入れる

三田 雫さんはどういう経緯で女子プロレスラーになったのでしょう?

 私は1998年から2002年に放映されていたプロレス中継番組『格闘女神ATHENA』のアテナフレンズのメンバーだったのです。同時期には神取忍選手が別の番組の1コーナー「ガチンコ・ファイトクラブ」に出演しており、風間ルミさんと新団体LLPWの選手を育成している様子に衝撃を受けました。私は『ATHENA』で、神取選手対堀田祐美子選手のヴァーリトゥード戦や、ナナモモさん(高橋奈七永(たかはしななえ)・中西百重(なかにしももえ))の金網デスマッチを見て、女子プロのコアな部分の影響を受けたんです。

柳澤 この頃は激しいプロレスの時代の断末魔という感じですね。

 そうですね。GAEA JAPANの解散は私が高3の時でしたが、それまではプロレスを見たこともありませんでした。

プロレスを始めたのは、高校で友だちづくりにあぶれてしまった時に、女子プロレスが自分の世界に合うと思ったからです。女子レスリングもオリンピック競技となり、山本美憂さんや伊調姉妹、浜口京子さん、吉田沙保里さんが出ておられました。学校生活ではコンプレックスだった私の体格が評価される世界があるのを知ってとても驚きました。

柳澤 雫さんがやっている「キララヅカ花激団」とは何ですか?

 「キララヅカ」は、演劇とプロレスを融合したものです。私が単に宝塚を好きすぎるのがきっかけで始めたのですが、もう1つにはケガでリングに上がれずに落ち込んだ時に、形を変えて上がれる場所として演劇が良いのではと思ったのです。

実はそのきっかけとなったのが、慶應の通信教育課程で受けた岡原正幸先生の授業でした。スクーリングで「自分史を語る」という授業に参加したのですが、これはまず皆で自分史を語り、参加者の誰かの人生を演劇で再現するというものでした。この授業のおかげで演劇というものが身近になりました。

三田 ネットフリックスのドラマ『極悪女王』の時代は登場人物が生活に困っていたり、複雑な家庭環境の中でプロレスに活路を見出す人が多く登場しますが、今は必ずしもそうではないですよね。

かつては中学卒業後、すぐ入門する選手も多く、25歳で定年と言われていました。今は雫さんが僧侶のお仕事をしているように、ご自分の活動を続けながらレスラーをやっている方も多くいます。最近はアイドルや芸人、女優を志す中でプロレスにたどり着くケースも増えていますね。

柳澤 クラッシュ・ギャルズの時代は女子プロレス団体も全女しかなく、全女を辞めることはプロレスを辞めることでした。その後、ジャパン女子(ジャパン女子プロレス)等ができ、新たな流れが生まれましたね。

ハイレベルな日本の女子プロレス

 女子プロレスの団体は今や、男女混合を含めると20近くが活動しています。選手も増えています。

柳澤 僕は広田さくら選手のファンクラブの会長を12年ほど務めていますが、今は女子プロレスの状況も随分良くなっていると感じます。『1985年のクラッシュ・ギャルズ』を書いた2011年頃も女子プロレス業界はまだ低迷しており、選手たちもバイトしながら続けていました。今は、女子プロレスラーとして生計を立てている人も少なくありません。

選手も団体も多いので相変わらず厳しい世界ですが、それはあらゆる業界に言えることですしね。女子プロレスが仕事として成立するようになったのは大きいと思います。近年は米国のプロレス団体AEWの試合に日本の女子プロレスラーが参戦しており、ますます賑やかです。

三田 これだけ多くの女子プロレス団体があるのはおそらく日本だけですよね。米国やヨーロッパ、メキシコにも大きな団体に所属する女子選手がいますが、技術も指導体系もきちんとしている女子の団体は日本以外にないのではと思います。

今は日本でプロレスをやりたいと日本の女子プロレス団体を目指してやってくる海外の女子選手も多く、米国のスター選手メルセデス・モネさんはセンダイガールズプロレスリングの里村明衣子(めいこ)選手の指導を受けるためにオフシーズンに仙台まで来るほどでした。日本の女子プロの技術の高さは、トリプルHのような世界最大のプロレス団体、米国WWEの大物男子選手も認めています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事