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【三人閑談】
『源氏物語』の世界

2024/01/12

文化の差異をどう訳すか

 僕は「日本文学とは何か」と聞かれた時、「四季と恋です」といつも答えるんです。しかもその四季の中にも恋の歌がある。恋の歌にも必ず四季が入っている。

それはなかなか西洋の文学とは違うところです。実際僕はイギリスで暮らしてみるまで、イギリスの風土がわからなかったから。

例えばフラッド(flood)という洪水。日本では洪水というと、台風か何かで泥水がダーッと押し寄せてきて、皆水没してしまうような災害ですが、イングランドの人たちにとってのフラッドは全く違うものです。

イギリスは真っ平らな国だから、日本と違って川が流れていないんです。真っ平らで水が貯まっているところに雨がザーッと降ると、そのままヒタヒタヒタッと水面が上がって、そこら中が水浸しになる。これがフラッドなんです。

だからfloodを「洪水」と訳すのは間違いだと僕は思いますね。

毬矢 おっしゃる通り、ウェイリーは須磨の洪水を「flood」ではなく、「deluge」と訳しています。それは『旧約聖書』の「ノアの方舟」から来ていると思います。

 さすがだ、なるほど。

毬矢 当時のイギリスの読者はピンと来たと思います。須磨と明石の風景が、ノアの方舟の状態と重なるように訳している。

 大災害的な、滅ぼすものとしての嵐ですね。

毬矢 はい、神話的洪水ですね。そこに明石から遣いが来る。

 また、イギリスの植物の名前って牧畜と結び付いているんですね。ノラニンジンがcow parsley、ぺんぺん草がshepherd’s purse など。ものの名前には全て、その国の風土と歴史がまつわり付いているんですね。

毬矢 そうですね。ウェイリーはherbやhemlockという言葉も使っています。そのように当時のイギリス人にわかるように文化的背景のある単語に変えていて、それは正しいと思います。

 僕は毬矢さんの訳を読むと、全くあの時代のイギリスかなっていう感じがする。最初は、ウェイリーの英訳を日本語に訳して、何の意味があるんだと思った。でもウェイリーの訳が世界的な業績であるならば、それを私たちがすらすら読めないのはちょっと残念ですからね。

毬矢 そう、日本人だけが知らないのはもったいない。『源氏物語』をよく知っている日本人にこそ、ウェイリー源氏を伝えたかったんです。

いい男の条件

西村 源氏はよく泣いていますよね。夕顔が急死した時なんか、馬から落ちんばかりに泣いている。男は泣いちゃいけないという価値観は、武士の時代になってからですかね。

 そうです。やはり日本のいい男の条件というのは、髭黒の反対なんです。筋骨たくましく体毛濃くなんていうのは、野暮天という以外何者でもない。色は白く、骨は細く、肌はきめ細かく、そしてめそめそと泣く。これが『伊勢物語』以来の美男の典型です。それは西洋人には、理解できないところかもしれません。

西村 芭蕉も『奥の細道』では10回泣いている。もうそれは光源氏の頃からの系譜なんです。「時の移るまで涙を落としはべりぬ」と言ってるぐらい、2時間泣いている(笑)。

 男も女と同じように泣く。男性性というのは非女性性ではなくて、男性性も極まると女性に近づくというのが日本のスタイルです。だから「女にして見まほし」という表現が、しょっちゅう『源氏』に出てくる。

西村 ありますね。

 非常にハンサムな人は男にしておくのはもったいないということ。これを女にしてみたいものだという言い方です。これこそが当時の美男の基準です。その正反対があの髭黒なんです。髭黒って、女から見て一番魅力のない男、野暮天なやつ。

西村 女心もわかってない。

 わかってない。そんなやつに玉鬘を取られるところで、紫の上は慰められると僕は思っています。

毬矢 紫式部って偉大ですよね、そういうところも。

様々な発見に満ちた物語

 「宇治十帖」はいろいろな意見があると思うけど結構面白いですよ。

毬矢 ウェイリーは宇治十帖が好きでした。一番近代小説に近い傑作だと。

 それは正しいとい思う。本編のほうが上質な文芸大作映画だとすれば、宇治十帖のほうは上等なテレビドラマという感じがしますね。浮舟の継父の常陸介(ひたちのすけ)の家の中の事情なんて、全く今のドラマみたいじゃないですか。でも深みという意味では、やはり本編のほうが深いな。

西村 そうですねえ。

 それから宇治十帖のほうが、エロチシズムがあるでしょう? 浮舟を匂宮が拉致していって。

西村 そう、抱っこして舟に乗せて。「冬のソナタ」ですよ(笑)。それと大君が最後まで拒絶するじゃないですか。あれは『狭き門』のアリサですよ。ああいう現代人にもわかる心理状態をよく書けるなって。

同じ人が書いていると思います?

 僕は違うと思うんです。これはどうにも解決のつかない問題だけど。ただボキャブラリーが結構違うんですね。本編には全然出てこないような言葉が突如出てくる。センテンスも短くなってきていると思うし。

毬矢 私は紫式部が晩年になって書いているという気はします。藤井貞和先生は、紫式部は15歳ぐらいから書き続けて、もう50代になっているから、当然文体は変わってきたのだろうと。

 けれど、作家の立場で読むと、なにかこう「筆意(ひつい)」の違いを感ずるとでも言いましょうか……。

西村 面白いですね。お二方のように一語一語お読みになった方は、そういうことがわかるのだと思います。話を聞いて、また読み返したいなと思いました。本当に人生経験に応じて、様々な発見がありますよね。

毬矢 そうですね。どうしたら皆さんは読んでくださるんでしょうか。

西村 大丈夫よ。大河ドラマがあるから。

 まあ、光源氏が出てこないので心穏やかです(笑)。

毬矢 『源氏物語』は戦闘シーンがないのもよいですね。

 血を見ない物語ですね。『源氏』で血が出てくるのは1箇所だけ。宇治十帖に月経のことが出てくる。

西村 平和な大河ドラマというのは大歓迎ですね。

(2023年11月20日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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