三田評論ONLINE

【三人閑談】
『源氏物語』の世界

2024/01/12

素晴らしい自然の描写

西村 そうですね。それに先ほどおっしゃった猫が追いかけられて、簾をまくったというところなんかも、季語で言ったら、「あ、これは猫の恋だな」と思わせる。

紫式部は人の心の奥底までもよく見通している人だけど、自然のありようも見尽くしているんですね。動物にしても、植物にしても、その観察眼が素晴らしいからこそ、バックグラウンドミュージックのように、季節の描写を愛の物語に入れていく。これは日本の文学の特徴だと思うんです。

 そうです。例えば恋の場面が煮詰まって、にっちもさっちもいかなくなったりした後、ふとカメラがパンしていくように、窓の外の景色なり何なりにパッと移っていく。その描き方がもう実に美しいんですね。これがやはり僕は『源氏物語』というものの、古今を絶した見事さではないかなと思います。

西村 虫の音なんかも、「折知り顔に」鳴き出したとか。

 野宮(ののみや)でね。

西村 そう、野宮のくだりはもう本当に素晴らしい。

 あの場面なんて何十遍読んでも完全無欠ですね。しかも時間の経過が、来た時は夕月、それから月が正中(しょうちゅう)して、だんだんと西へ傾いて有明の月で帰っていく。

毬矢 ドナルド・キーン先生に一度だけお目にかかったんですね。『ウェイリー源氏』で先生は日本文学に出会われたんですが、「どこが一番お好きですか」と伺ったら野宮の別れの場面とおっしゃっていた。

 あそこはもう名場面ですね。

西村 それから桐壺の更衣の死後、嵐のような風が吹いた夕月夜の頃に、靫負の命婦を遣わせるわけです。それで最後が「月も沈みぬ」。

夕月夜が上ってきた頃にお遣いを出して、「どうしているか」と尋ねて帝は帰ってくるまで待っているわけです。それで「どうだった」と聞いたら、「こういうお返事をいただきました」と報告する。そうすると「月も沈みぬ」って。

もう本当に1行で時間の経過が、語られていて、これはすごい文学だなと思いましたね。

ドラマづくりの巧みさ

 夕顔というのは、藤壺のゆかりとはあまり関係がないんですが、どこまでも「らうたき」人。もうかわいくてなよなよしていて、何とも言えない蠱惑的魅力がある。そうすると源氏は、そのなよなよした女らしさについ夢中になるわけです。でもすぐに死んでしまうんだけど。

すると、今度は夕顔に対する憧れが出てくる。つまり自分のお母さん同様、夕顔もあっという間に死んでしまったから、もう一度ああいう女がいないかと思っているところへ、末摘花(すえつむはな)が出てくるわけ。この落差。

ちょうど某(なにがし)の院に連れていって、その翌朝に源氏が蔀(しとみ)を手ずから上げるシーンがあるわけです。手ずから上げると庭の荒れ果てた風景が見えるという場面が末摘花の常陸宮のほうの屋敷でもある。

「ご覧なさい」というところも同じなんですね。つまりこういう書き方は夕顔の身代わりとして、末摘花に期待したんだけれど、実は全く正反対だったということ。ドラマづくりとして非常に巧みなんです。

毬矢 『ウェイリー源氏』で末摘花を読むと、背が高くて、色白で、額が広くて、やせていて。今のモデル体型の美女に見えてくるんです。

 なるほど(笑)。

毬矢 当時の日本は大陸の渤海国と交流していましたから渤海の血が流れていたのかなと想像したり。末摘花が全く違う人に見えてきます。

西村 末摘花は、私は磐長姫命(いわながひめ)だと思うんですよ。それで木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が紫の上。あの神話もすごくよくできていて、「木花咲耶姫を私にください」と、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がお父さんの大山津見命(おおやまつみのみこと)に言ったら、「二人をあげましょう」とセットでくれるわけじゃないですか。だけど磐長姫命はあまりにも座高が高かったり、骨張っていたりしている。

まさに末摘花です。咲耶姫のほうはもらうけど、磐長姫命のほうは結構です、と返してしまう。

男の人は、皆きれいなほうが好きじゃないですか(笑)。末摘花はずっと待っている。気が長い。

 あの叔母君(おばぎみ)が連れにきても、言うこと聞かないですもんね。

西村 そう。頑固で、まさに磐長姫命。でも光源氏は瓊瓊杵命とは違って、長いこと面倒見るじゃないですか。だから理想的な男性で、実際にはそういう男性はいない。

 いないですよ(笑)。だから光源氏って、もう夢のような存在です。

世界文学としての『源氏』

毬矢 ウェイリーは扉に「眠りの森の美女」の一節を使っているんです。「王子様、随分お待ちしましたわ」と。ウェイリーは、あの時点では900年眠っていた物語を、ついに目覚めさせて「世界文学」にしたという誇りがあったんだと思います。

 なるほど、物語自体が眠り姫になっている。これが900年前に書かれたものだと知ったヨーロッパ人はびっくり仰天ですよ。

毬矢 はい、高級紙に次々と驚嘆の書評が出ました。イギリスの文学青年は夢中になり、強烈な美的体験だったそうです。

 しかも、それも神話みたいなものじゃなく、微に入り細をうがって人の心のひだを描いていく。

毬矢 そうなんです。ヨーロッパで心理小説が生まれる何百年も前に、日本という小国の女性作家がこれほどのものを書いていたなんて、と皆衝撃を受けたのですね。

それこそベストセラーになりました。もちろん文化人たちの間でですが。どんどん版を重ねて、その年のうちに7000部だったかな。「これは世界文学の傑作だ」と、口を極めて一流紙の書評が褒める。これが世界文学へのデビューだったと思います。

西村 世界文学になったのは『ウェイリー源氏』のおかげですね。

毬矢 はい、たいへんな種まきをした人です。今、英語版は70年代に出たサイデンスティッカー訳。次いでロイヤル・タイラー訳があり、デニス・ウォッシュバーン訳と4つも個人訳が出ています。

 今、何カ国語に訳されているんですか。

毬矢 32、3カ国語に訳されているという話です。

フランスも1980年ぐらいにルネ・シフェール訳という個人全訳が出ていて評価が高いです。現在、INALCO(フランス国立東洋言語文化大学)とパリ第7大学との研究チームが、緻密な研究に基づいて翻訳を進めていますが、今のペースでいくと150年かかると言われています。

西村 フランスのマダムの家で、フランス語で句会をやっているというので行ったことがあるんです。その家には『源氏物語』の分厚いきれいな絵入の本が置いてありました。

ちゃんとした逐語訳ではないにしても、日本文学に興味がある方はそういう本を持っている。それから絵が素晴らしいじゃないですか。絵も一緒に楽しむような形で、かなり普及しているんだなと。

毬矢 パリのフランス国立ギメ東洋美術館で「源氏物語展」が開かれているということですね。

西村 来年、高橋睦郎さんが、『源氏物語』の話をしに行くとおっしゃっていました。京都の山口伊太郎・山口安次郎兄弟が「源氏物語絵巻」を織物で作り、ギメ美術館に寄付なさったんですね。

季節に対する感受性

西村 紫の上を略奪したのは冬ですよね。霰(あられ)が降っていて紫の上は寒くて、寂しくて鳥肌が立っているんですよ。それを見て光源氏は父性本能が刺激されて、「あ、この子を温めてあげよう」と思って、衣でかき抱くように連れて行ったわけじゃないですか。そういう意味でも季節背景はちゃんと計算されているんだなと。

毬矢 自然の描写、季節の描写が素晴らしい。

西村 日本人というのは、季節のめぐりの中で生かされている。いろいろな人生の思い出も、季節の風物と一緒に「ああ、あのときあそこで、あの人と月を見たな」「あのとき雪が降っていたな」「桜の花がきれいだった」という思い出と非常に密に結び付いていると思うんですね。

季節に対する感受性は、外国の人にもわかってもらえるのかなと、私はちょっと心配なんです。

毬矢 そうですね。でも日本とは違っていても、海外にも季節感はありますね。

 ただアラビアの砂漠をラクダと歩いているような人たちに、日本の梅雨の湿潤なる五月雨(さみだれ)の……、というのはわからないかもしれない。

西村 雨夜の品定めとか。

 あれは全然わからないだろうな。

毬矢 ウェイリーはrainy night’s conversation としていますね。

 rainy night’s conversation だと、イギリス人が思うにはおそらく秋から晩秋にかけての感じになるんですね。日本の梅雨の5月、6月は、イギリスでは一番天気のいい時で、カラッとして乾燥しているから。

そこはウェイリーも困ったなと思ったんじゃないかな(笑)。

西村 しかも五月雨の時は、帝でさえ恋人と会ってはいけない時期なんですよね。

 そう、「物忌み」の時期だから。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事