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【三人閑談】
"道草"を食いたい

2023/08/25

  • 田村 茂樹(たむら しげき)

    山岳ガイド、羽黒山伏。京都大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻修士課程修了。生き方に悩む自分を救ってくれた山に恩返ししたいと登山ガイドに。ウェブサイトにて食べられる野草のレシピも公開。

  • 犀川 陽子(さいかわ ようこ)

    慶應義塾大学理工学部応用化学科准教授。幼少期から山菜採りや草花の観察が好きで、自然現象への関心をもつように。遠くからでも食べられる植物を見極めるのが得意。生物現象を化学的なアプローチで解明する研究に従事している。

  • 相場 博明(あいば ひろあき)

    慶應義塾幼稚舎教諭。
    理科の担当教諭として幼稚舎恒例の高原学校に同行し、野草の観察、採取や調理の指導にあたる。古生物学者として、新種の古代ゾウの「ハチオウジゾウ」を発見記載。

野草を食べた経験

相場 私の出身地は栃木県の足尾銅山(現日光市)です。大正時代は約3万8000人が暮らし、とても栄えていました。閉山となった昭和48年、私は中学生でした。当時は1万人ほどだった人口も今は1,500人ほどです。そうした山の中で生まれ育ち、春に裏山でゼンマイやワラビ、山ウド、ギボウシなどの山菜を採って遊んでいました。

犀川 豊かな自然の中で育ったのですね。

相場 そうですね。山菜がたくさん採れると母に褒められ、それを干してお正月に食べたりしていました。

私は化石の研究が専門で、学生時代に調査で五台山の牧野富太郎植物園(現高知県立牧野植物園)に行ったのです。数日こもっていたところ、ある日、職員の方々が野草の天ぷらパーティーをしており、そこに私も呼んでくれたのです。

彼らはそのへんにあるイタドリやヨモギ、タンポポを食べていました。野草なんて美味しいはずはないと思いましたが、「食べてごらん」と言われるままに口に運ぶと本当に美味しく感動したのを覚えています。

田村 それが野草食の初体験になったのですね。

相場 はい。そうした出会いがあり、私も幼稚舎に勤務することになった際に、高原学校で山菜天ぷらのカリキュラムを取り入れました。幼稚舎では毎年、立科(長野県)に行き、6~9泊ほど滞在して自然を学びます。野草の天ぷらには都会育ちの児童は最初疑心暗鬼ですが、塩をふって食べさせると止まらなくなります。恒例のカリキュラムとなり、1995年以来30年近く続いています。

田村 私は長野県で山岳ガイドをやっていますが、生まれは東京の都会育ちです。大学卒業後は大阪で会社勤めをしましたが、都会暮らしと会社勤めが合わず、しばらくして辞め、長野県の小谷(おたり)村に移り住みました。そこは山菜の宝庫で、地元の人たちに教えてもらうと、春のフキノトウに始まり、さまざまなものが採れる。夏の初めまでは、野菜を育てなくても生きていけるほどで、カルチャーショックでした。

犀川 うらやましい環境です。

田村 そこで自然の中から生きる糧を得る大事さを身に沁みて感じ、山菜だけでなく、キノコ狩りや釣りや狩猟と手を広げていきました。登山ガイドをしている最中に湧水を飲んでみせると、長野に生まれ育った人たちでさえ驚かれることがあります。現代人は自然から遠くなっているのを感じます。自然との繋がりを取り戻すきっかけを提供し、関わり方を継承することは自分にできる世直しかなと思って案内しています。

犀川 私もずっと川崎に住んでいた都会育ちです。幼いころ、祖父がよく近くの山に連れて行ってくれて、そこで山菜などを採って遊んでいました。一度、タラの芽を探してごらんと言われ、採ったものがすべてキイチゴの芽だったことがありました。形が似ているので間違えていたのですね。タラの芽も昔は川崎でよく採れました。

私は今、自然現象や生物現象を解明する研究をしていますが、理系に進んだのも、子どものころに図鑑をみたりしていた影響が大きかったのだろうと思います。図鑑と実物を一生懸命見比べながら、食べられる草かどうかを調べていました。植物の名前や性質がわかるようになると、毒性のものかどうかが気になり始め、その成分を知りたいというふうに興味を深めてきました。

「ここは採れそう」の感じ

田村 わが家は現在は長野県の筑北村で暮らしていますが、夫婦でも性格が違います。僕は野草や山菜、キノコを採集したり、魚や獣を獲ったりする方が向いていますが、妻は農耕の方が楽しいらしく、弥生人と縄文人が同居しているようです(笑)。

犀川 完全に自給自足なのですか?

田村 なかなかそうはいきません。自分自身で食べ物をとったり作ったりする大切さも知った上で、市場経済の恩恵を受けている感じです。

犀川 私も将来の夢が自給自足でした。かなっていませんが(笑)。

相場 山菜採りは私も大好きです。春になると、どこに何があるかが大体わかります。ゼンマイはこっち、ワラビや山ウドはあっちというふうに。キノコがよく採れる場所をシロと呼びますが、子どものころは山菜のポイントやキノコのシロをいっぱい知っていたので、山菜採り名人と呼ばれていました。

犀川 初めての山でもこの感じだとあの植物がありそうといった感覚が働きますよね。

相場 山の向きや乾燥程度で本能的にわかりますね。それは科学的な根拠にもとづいているのではなく、子どもの時から採っているから何となくわかるというだけなのですが。

キノコのこわさ、難しさ

相場 でも昔からこわいのはキノコです。高原学校は春と秋に行っており、秋にはキノコの勉強もします。児童はキノコを採集してスケッチするのですが、野草や山菜のように食べさせることは決してしません。

犀川 私も学生時代にキノコの研究をしていましたが、こわくて食べたことがありません。研究の中でも見分けがつかない2つのキノコの成分がまったく違うことがありました。

相場 私の母親は、私を産む前にキノコにあたって死にそうになったそうです。クリタケとナラタケが定番の地域でニガクリタケを食べてしまったらしく、1週間苦しみ抜いたそうです。そうした話は児童にもします。この2つは似ているけれど、片方は美味しくて、片方は猛毒だよと。キノコは絶対に自分で判断して食べてはいけないし、人にあげたり、もらったりしてもダメだと教えます。

犀川 素人には同じものに見えるのでキノコは本当に難しいです。

田村 僕もキノコも野草も食べられるものを探す時には、見分けがつくポイントを必ず押さえておきます。

相場 高原学校では児童にヨモギを採らせるのですが、葉の形がトリカ ブトと似ています。毛がいっぱい生えているのがヨモギ、毛が生えておらず葉が広がっているのがトリカブトだよと十分注意を喚起しても稀にトリカブトを採ってくる児童がいます。そういうことがあるので揚げる前には1枚1枚真剣に確認します。

犀川 子どもの頃、春の七草を集めに行ったことがありました。道端でこれはホトケノザだと思ったものが、後でコオニタビラコだったとわかりました。食べても何事もなかったのですが、後できちんと調べると、ホトケノザには毒性があることがわかり驚きました。

田村 ベニテングダケは毒きのこで知られていますが、実はうまみも強くて、友人はそれを味わってみたいと、吐き出すつもりで少し口に入れたらしい。ところが、その美味しさに負けて飲み込んでしまったんですね。すると少しだけあっちの世界…… 愉快な世界の方なのですが(笑)、に行ったと言っていました。

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