【三人閑談】
ゴルフは生涯スポーツ
2023/05/25
設計者はNature
戸張 そうでしたね。ゴルフは4、500年前から「リンクス」というスタイルで始まったと言われています。スコットランドの海岸で、ほとんど木も何もない所から始まっているんです。
セント・アンドリュースという有名なコースがありますね。あれはセント・アンドリュースの市の財産区が持っているパブリックコースです。ゴルフ場には普通、例えばマイケル・ポーレットという人がカレドニアンを設計したとか、設計者がいる。でも、セント・アンドリュースは、パンフレットに設計者は「Nature」って書いてあるわけ。
宮里 それ知らなかったです。
戸張 面白いでしょう。自然が設計したゴルフ場なんだと。これがゴルフの原点がスコットランドにあるということなんですね。
セント・アンドリュースでプレーしましたか。あそこは不思議なコースだよね。
宮里 はい。全英女子オープンで2回出場しました。テレビでは伝わらない細かい起伏が本当にすごいです。あと、バンカーが本当に見えない。私もいろいろなリンクスを回ってきましたが一番ポットバンカーが見づらくて、あちこちにあるという印象ですね。
早川 すごくコースが波打っているんですよ。夕方になると影が出て、そのアンジュレーション(起伏)がわかるんですけど、日中だとわからないですね。だからプロがこれに苦労するんですね。また、1つのグリーンに2つピンのホールがありますね。
戸張 7つのグリーンに旗が2個立っている。だから「きれいなコースですね」とか「素晴らしいですね」とかではなくて、「セント・アンドリュースはやはりセント・アンドリュースですね」という感じだよね。
宮里 はい。その通りです。
早川 「河川敷みたいなコースだ。あんなコース、ゴルフ場とは思えない」なんて言う人がいましたよね。
戸張 世界で一番有名な河川敷コースと言った人がいる(笑)。
宮里 私、セント・アンドリュースの17番、ホテルに2回、OB打っているんですよ(笑)。
早川 セント・アンドリュースだからああいうことが許されるんですね。
戸張 あそこはもともと倉庫のあった所にコースを作ったんですよね。
早川 そうですね。でも、ホテルを越えるのは気持ちがいいですよ(笑)。
宮里 そうですね。本当に上を打っていくので面白いですよね。
マスターズという舞台
戸張 僕が最初に作った試合は、50年前のフジサンケイクラシックなんです。まだジャンボ尾崎がトーナメントに出る1年前です。
まだノウハウがなくて杭を打ってロープを張るのも、どうやったらいいのかわからない。ギャラリーをロープの外で見せるというのも、それまで大きなメジャー大会以外はないわけです。日本オープンだって有料入場になったのは1973年だから。
自分たちでトンカチで杭を打ってロープを張って。私たちがロープの内側にいると、「俺たち金払ってるのに外か」とか言われて。
宮里 そういう時代ですか!
戸張 オーガスタのマスターズは1日、5万人しか入れない。「しか」ですよ。
早川 マスターズを見ていると、オーガスタはアザレアなどの花が本当にきれいですね。それから11番から16番のアーメン・コーナーでは風があってすごくスリリングで有名ですけど、ギャラリーもものすごく華やかですよね。
戸張 ギャラリーをパトロンと呼ぶんですよね。マスターズは他のトーナメントとは違ってオーガスタナショナル・ゴルフクラブが主催しているんです。松山英樹プロが勝った時、最後にクラブの皆さんにお礼を言いたい、と言ったのは、そういう意味が含まれているんです。あのお土産屋さんのショップ、行きました?
宮里 はい、行きました。すごいです。やっぱり規模が違いますね。
戸張 もう試合が始まる頃にはお土産がなくなっている。
早川 僕は秋にオーガスタに連れていってもらって回ったんです。帰りにお土産を買おうと思い売店に行ったんですが、これ、いいなと思ったら、メンバーだけにしか販売しないのだと言われました。
戸張 そうそう。
早川 どう区別しているのかなと思ったら、メンバー用には「オーガスタナショナル」と書いてある。一方、お土産用には「マスターズ」だけ。メンバー用のほうが高級品で、それが欲しかったのに買えなかった(笑)。
ロッカールームも内緒で見せてもらいましたけれど、優勝者だけのロッカールームがあるんです。ジャック・ニクラスは何回も優勝しているからたくさんあるのかなと思ったら1つでしたけどね。そうやって大事に伝統を守っている。
アメリカツアーの経験
戸張 ところで宮里さんはアメリカに行って1つ勝つまで、ちょっと苦労しましたよね。
宮里 4年かかりました。
早川 よく途中で帰ってこないなと思った。食事も大変でしょうし、広いアメリカを移動するのだから。
宮里 そうですね。私は食事は平気だったのですが、やはり移動が大変でしたね。海外でもたくさん試合がありますし、アメリカ国内だけでも時差があり、州によって芝も天気も違う。そのような中、自分の引き出しをちゃんと作れるようになるまで4年かかったのだと思います。
戸張 芝の違いは結構大きいんじゃないですか。
宮里 そうですね。本当に東と西で全然違います。あとコースセッティングも日本とは全然違ってピンポジションの振り方も違うので、攻略方法も違ってきます。
日本だと、私は当時、セカンドは7番アイアンとか8番アイアンで打てていたのに、アメリカでは5番アイアンとかユーティリティの距離になってしまいます。するとパー5の戦略もまた変わってきて、40ヤードぐらいの距離が残るんです。そのくらいのアプローチがあまり上手ではなかったので、チャンスがなかなか作れないことが多かったですね。
戸張 4年間って結構長いよね。
宮里 そうですね。1年半ぐらいはちょっとドライバーイップスの期間があったんです。ツアー参戦2年目にイップスになって、それから優勝まで2年ぐらいかかってしまった。
飛距離や、自分の正確性をもっと上げるためにはどうしたらいいかと試行錯誤を繰り返していくうちに、スウィングを大幅に変えるリスクにあまり考えずに取り組んでしまったことが原因としては大きかったですね。自分の最大の武器だった、どんな状況でも同じテンポとルーティンで打てるというところがわからなくなってしまって。
早川 パッティングはイップスに皆よくかかりますよね。ドライバーにもイップスがあるんですね。
宮里 ドライバーもあります。インパクトって一瞬の出来事なので、一度恐怖心を持って振れない状態になると、なかなか自分が無意識でやっていた感覚までに戻すには、かなり調整しないといけない。難しい作業になるんです。
アドレスの時にクラブフェイスが自分の目標に対して一度ズレると、着地点が7ヤード以上違うと言われているので、それだけ繊細なんです。
戸張 微妙だなあ。イップスという言葉も口にしたくないと思うけど、それを直したの?
宮里 直したというよりは、自分がどうやって体を動かしていたかとか、勢いと若さでやっていたものを1回全部解体して、1つ1つ意識的にやるようにしていきました。どうやって自分が動かしていたかを理解し、体が動くようになるまで時間がかかりました。
本当にあの当時、打つと視界からボールが消えてしまうんです。打つはずの方向と違う方に飛んで行く、とんでもない状態でした。
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