【三人閑談】
ゴルフは生涯スポーツ
2023/05/25
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早川 治良(はやかわ はるよし)
東京グリーン富里カレドニアン取締役会長。
1958年慶應義塾大学文学部卒業。1981年東京グリーンを設立し、「技と知力を必要とする世界レベルのコース」の理念の下に富里GC、カレドニアンGCを建設、運営。 -
戸張 捷(とばり しょう)
株式会社ランダムアソシエイツ代表取締役。
1968年慶應義塾大学商学部卒業。トーナメントディレクター・プロデューサーとしてゴルフトーナメントの現場運営からテレビ放送のアレンジなどを行う。
「いいゴルファーになってください」
戸張 最初に出会ったのが、宮里さんが15歳の時だよね。
宮里 そうですね。
戸張 僕が運営しているサントリーレディスオープンに、沖縄に非常に強いジュニアがいるから是非出場してもらいたいと連絡がきた。「予選通るかな」と思っていたら、堂々と通過して。それが宮里藍。
ホールアウトしてから、テレビのディレクターに、彼女を放送席に呼ぼうと言ったら来てくれたんですよ。中学校の制服を着て。
宮里 私、緊張していて、何をしゃべったかも覚えていないんですが、最後に戸張さんに「いいゴルファーになってくださいね」と言っていただいたことはよく覚えています。
戸張 有り難うございます。強いゴルファーは世の中にたくさんいるんだけど、やはりゴルファーって、リスペクトされるということが非常に大事な要素だと思うんだよね。
放送席での受け答えやプレーを見ていて、この人はたぶんゴルフの将来を背負っていくと思ったので、「いいゴルファーになってね」と言ったんです。人の目標となるような。
そのとおりになったよね、本当に。現在サントリーレディスは、宮里さんの名前を冠して「宮里藍 サントリーレディスオープン」になっている。
早川 15歳の頃、雑誌にスウィングが載ったんですよね。
戸張 そう、すでにもう有名でした。
早川 そのころ僕はお兄さん(宮里優作プロ)に注目していたんです。それが、たまたま雑誌で藍さんのスウィングを見て、「いいスウィングしてるな」と思って写真を切り抜いてスウィングの練習をしました。
宮里 本当ですか。有り難うございます。
早川 あの頃はプロテストを通らないとトーナメントに出られなかったのを、戸張さんのお力で、藍さんが初めてアマチュアから出られるようになったんでしょう?
宮里 当時はアマチュア規定でプロの試合に出られるのが年に4回までだったんです。
その数少ない試合がサントリーレディスだったんですが、サントリーのアマチュア出場枠はとても多くて、10人ぐらいの枠を取ってくださっていた。これは有り難かったです。すごく貴重な機会でした。
早川 あの頃から女子プロゴルファーがすごく華やかになった。藍さんが最初ですよね。従来の女子プロのイメージがガラッと変わりましたね。
戸張 宮里さんはゴルフをしない人が興味を持った最初の女子プロだと思います。それまではゴルフのトーナメントはゴルフをする人だけに興味があったんだけど、ゴルフをしない人たちがテレビで見て、宮里藍という名前を口にするようになった。ゴルフ界にとってすごく大きなターニングポイントだったと思います。
早川 女子プロゴルフ界の隆盛の始まりですね。今、女子はスター選手も多くてすごく人気あるでしょう。そのきっかけでしたね。
高校3年で初優勝
戸張 どのくらいの年齢でプロになりたいと思い始めたんですか。
宮里 中学1年で初めてダイキンオーキッドレディスオープンにジュニアで出場し、予選会を勝ち抜いて本戦に出た頃です。そこで森口祐子さんや中野晶さんと一緒にプレーさせてもらって、「ああ、プロってかっこいいな」と。そのときに初めて自分の中の願望が明確になりました。
戸張 その後、仙台で高校3年生の時に地元仙台のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンJLPGAの試合で優勝してしまう。
当時高校3年生がトーナメントで勝つというのはすごいことで、大騒ぎになりましたね。最後にいいバーディーパットを入れて。ものすごく印象に残っているんだけど、あれ、どのくらい?
宮里 3メートル弱くらいですね。
戸張 高校3年生が、最終日、たくさんのギャラリーに囲まれている中で、バーディパットを入れて優勝するんですよ。素晴らしかったです。
早川 心臓が強いのかな(笑)。
宮里 いえ、そんなことないです。すごく緊張していて、手も震えていましたけれど。
戸張 高校を卒業する前にプロになることを決めたんですか。
宮里 ちょうど私がアマチュアで優勝する1月くらい前に、JLPGA(日本女子プロゴルフ協会)の規定が、アマチュアで優勝した場合、4週間以内にプロ宣言をすれば、1年間のシード権がもらえる、と変わったのです。
それで、こんな大きなチャンスはめったにないからプロになろうと、父と2人ですぐに決めました。
戸張 そのルールは樋口久子さんと僕で作ったルールなんです。宮里さんみたいな選手が、アマチュアから優勝してプロになって活躍したら、一番沸くわけじゃないですか。それで、ルールを変えてプロになった第1号が宮里藍なんですよ。
早川 それが今、常態化しましたもんね。アマチュアから活躍する人がたくさん出てきましたね。
ワングリーンの魅力
戸張 宮里さんがデビューする前、宝インビテーショナルという試合を僕が作ったんですね。最初、関西でやっていたんだけれど、途中から早川さんが経営するカレドニアン・ゴルフクラブにそのトーナメントを持ってきて、毎年アメリカからLPGA(全米女子プロゴルフ協会)の選手を7、8人連れてきたんです。
早川 トッププロのインビテーショナルは華やかでしたね。戸張さんが全部プロデュースされたんですね。
アメリカはボランティアの人がいろいろな手伝いをします。それを戸張さんがカレドニアンで実行されて、近くの初心者ゴルファーを集めてコンペをやったりして。随分、大勢手伝ってくれましたね。
戸張 300人ぐらいいました。地元でピーナッツ農家をやっている方々にも集まってもらって、地域で盛り上げていかないといいトーナメントができないので、「皆さんの力が大事です」と数十回話しました。
ゴルフ場って、トーナメントをやる時に一番大切な要素なんですよ。舞台ですから。早川さんにお願いした一番大きな理由は、カレドニアンがワングリーンだからなんです。日本のゴルフ場はツーグリーンが多い。でも世界中で良いと言われているゴルフ場はツーグリーンのものはほとんどない。ワングリーンというのは最後にターゲットが狭くなって、グリーンの両側にトラブルがある。一方、ツーグリーンにすると、易しくなってしまうんです。
早川 あのころはツーグリーンが当たり前でしたからね。
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宮里 藍(みやざと あい)
女子プロゴルファー。
2003年より女子プロゴルファーとして活躍。06年から米ツアーに参戦し09年に初優勝。10年には年間5勝を挙げ、世界ランキング1位も経験。17年現役引退。