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【三人閑談】
百人一首の奥義

2022/01/17

百人一首はJ─POP?

小泉 浜野さんは競技をやっていく上で、内容や意味も学んでいったんですか。

浜野 競技かるたを始める人は99%競技から入っていて、和歌が好きで競技を始めようとする人はわずか1%ぐらいです。私もほとんど意味を知らなくて、いつも勉強しようと思っては断念してしまいます。

競技かるたには、最初の何文字か聞けば取れるという「決まり字」というものがあるのですが、私たちは正直それが命なので、トップ選手でも中の言葉は覚えていない人がいるんです。

佐々木 最初だけ覚えるんですね。

浜野 今、こうやって競技かるたが流行ってきているのだから、われわれトップ選手はそういったところも学んで伝えていかなければという自覚だけはあります。

佐々木 ぜひそうしてください(笑)。

小泉 でも、逆に音としてはすごくよく聞いているわけですよね。この札の響きがいいとかはあるんですか。

浜野 ありますけど、あくまでも音としてなので。

小泉 僕は映画を撮っている際、和歌にはいろいろなストーリーがあるのでその内容に共感できることもありましたね。百人一首には恋の歌が多いので、少女漫画である『ちはやふる』との相性がすごくいいですし、よく読んでいくと、ほぼ内容が今で言うJ─POPなんです。

佐々木 なるほど(笑)。

小泉 「好きだ、好きじゃない」とか「好きじゃないふりしてやった」とか、現代の若者にも通ずるような心情が描かれているんですよね。千年前ぐらいの人たちがほぼJ─POPのようなことを歌っている。これも確かに「歌」なんだ、これはもう現代性がバリバリあるではないかというところが魅力的でした。

現代の青春物語とも相性がとてもいいし、すごく青春を感じるような描写が百人一首の歌の中にもある。歌っている本人たちは、きっと今の若者たちが詩やラブレターを書くようなノリで歌を詠んでいたんだと思うとすごく身近に感じるんですね。

人間には変わらない部分もたくさんあるんだな、と思えてよかったです。

佐々木 そういうところを感じている方も多いかもしれませんね。確かに和歌というのは恋が非常に重要な素材で、百人一首も43首が恋の歌です。でも、最初の頃はラブレター代わりに恋の歌を贈り合ったりするのですが、だんだん与えられたテーマで恋の歌を詠むようになってくる。

要するに、自分が恋をしていなくても、男であっても、お題が女の人の気持ちを詠まなければならないものであれば、ある恋のストーリーを頭の中に思い浮かべて、その感情や状況を詠まなければいけないんです。極めて文学的な、フィクショナルな性格が恋の歌には強いのです。

そういうことも知って味わい始めるととても面白い。しかも、上手くいった恋の歌は極めて少なくて、片想いとか、一度会ったけど別れてしまったとか、つらい歌ばかりなので、感情移入しやすいんですよね。

読手と競技者との対峙

小泉 読手(読み札を読む人)の方は、和歌を相当勉強されているかもしれませんね。

浜野 そうですね。僕は中高では合唱部でしたが、合唱は、自分の中で歌の意味を解釈して取り組むので、おそらく読手の人も、この札を読むときは、こういう感情で読むのがいいと思っているのではと思います。もちろん一首一首で読み方が変わってはいけないのですが、気持ちが違うということはあるかもしれません。

佐々木 それは面白いですね。

小泉 B級読手、A級読手、専任読手とランクがあって、専任読手という選ばれし読手は、今、7人か8人ぐらいしかいない、トップオブトップの方です。その方たちの話を聞くと、相当和歌を勉強されているようです。

発音の仕方が変わってはいけないんですが、西側の人と東側の人で読むニュアンスがちょっと違うみたいなこともあるみたいですね。

佐々木 和歌を詠む際、アクセントをどこに置くかというのは、和歌の学問の一分野になっています。でも、『古今集』には、どう読めというのはあるのですが、百人一首のアクセント本は見た記憶がないかな。濁って読むかどうかという清濁の指摘はあるかもしれませんね。

浜野 競技での読み方は教科書みたいなものがあって、意味ごとに息継ぎをすると決まっています。単語の途中で呼吸を入れたりしないように。

佐々木 必ずしも「五七五七七」で切るというわけでもない?

浜野 そうです。

小泉 読手さんの読み方というのは、本来の和歌の読み方とは違うと伺ったことがあります。

佐々木 和歌の読み方というのは披講(ひこう)といって、今でも毎年歌会始をやっていますが、伸ばして読むのが正しい。でもそれを競技かるたでやっていたら間延びしてしまう(笑)。

しかも身分が高いと5回繰り返して読むとか、繰り返す回数が違ったりするんです。今でもそういう発声の仕方を守っておられる方々もいらっしゃいます。

小泉 録音機がない時代は、口伝で伝えていくしかないですよね。

佐々木 一応楽譜みたいなものがあって、線でこんなふうに伸ばせとか、声を震わせろとか書くんですね。

試合では読手との距離が影響したりはするんですか。

浜野 ほとんど変わらないですね。ただ、専任読手の方にも読み方の癖はあるので、トップレベルの選手はそういう癖を摑み取っています。この読手は母音の「あ」や「お」が漏れやすいとか。いくら気を付けていても、こちらはそれに慣れているのでわかります。

佐々木 そこまで把握しているんですね。すごい世界ですね。

浜野 だから、選手と読手の間にも言ってみればバトルがあって、読手は全員が公平に取れる環境を作らなければいけないけど、選手は読手の特徴を懸命に摑もうとするんです。

海外への普及

浜野 今、私は全日本かるた協会の広報部に所属して、YouTubeで生放送しているタイトル戦の解説をしているのですが、流れてくるコメントには海外のものが多いです。そのくらい海外への普及は広がっていて、1、2年に1回、世界大会が日本で開かれています。

コロナ前は、近江神宮で団体戦をしていましたが、そこでは各国語で「頑張れ」とか、「次1枚」という掛け声が飛んでいました。今はこういう状況なので、Zoomでつないでオンラインで競技かるたのゲームを使うこともあります。

ひらがななのでかるたを通じて日本語の勉強をしている人もいます。また、日本から海外に留学に行ったかるたの選手に現地で広める活動をしてもらっています。

小泉 映画『ちはやふる』は海外の映画館で上映されたのはわずかな範囲ですが、政府の映画祭のようなところでは日本映画としてよくかけていただき、多くのリアクションをもらいました。

意味がわからないかなと思っていたのですが、意外とそんなことはなくて、皆さん、ストーリーも完璧に理解され、驚くほど受け入れてくれましたね。歌の意味まで伝わっていたかどうかは微妙ですが、歌に何か意味があるんだなということは、おそらく伝わっていたと思います。

浜野 日本人より海外の選手のほうが歌の意味は絶対知っていますよ。

佐々木 そうかもしれないね。日本文化に興味を持って始める方が多いので。今、私がやっているオンラインの教育プラットフォーム、FutureLearnの日本文化を伝えるコースでも世界169カ国、累計約2万5千人もの登録があって、熱心に勉強してくださっています。今度、百人一首のコースを作ればいいかもしれないですね。

現在強い海外選手はいるんですか?

浜野 昔から日本にいて競技をしていて、母国に帰っていった強い選手はいますし、そういう人が普及してくれると、その国は強くなりますね。

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