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【三人閑談】
百人一首の奥義

2022/01/17

競技かるたを映画にするには

佐々木 小泉監督は、もともと競技かるたのことをご存じだったんですか?

小泉 全然知りませんでした。末次由紀先生の漫画『ちはやふる』は読んでいましたが、映画化のお話をいただいてから本格的に取材というか勉強し始めた感じです。

もともと漫画の連載が始まったのは2007年末頃ですが、人気が出るにつれて、いろいろなところで映画化やドラマ化の話が持ち上がったらしいんです。様々な人たちがどうやって映像化するかに頭を悩ませてはあきらめ、紆余曲折、ご縁もあって僕のところに話をいただいたんです。

佐々木 それまで実写の百人一首の映画はないですよね。

小泉 百人一首を要素として扱った映画はあったとは思いますが、競技かるたを題材にしたものはないでしょうね。

佐々木 2時間ドラマで「百人一首殺人事件」とかがあったぐらいでしょうか(笑)。

小泉 映画にするにあたり、札を取る瞬間のスピード感が一番目立つし、すごく面白いと思ったのはもちろんですが、その札1枚1枚に歌が書いてあり、そこには意味があるということが物語として面白いところでした。これは他の競技やスポーツにはないポイントですよね。

サッカーボール自体には特にストーリーはないじゃないですか。競技場にある50枚の札それぞれに物語や感情が込められているところは、物語を作る上で、いわゆるスポーツ熱血物語とは一線を画す要素だと思っていました。

佐々木 映画では畳の下から撮っている画面がありましたよね。札を透かして顔が見えるというのがすごく面白いと思ったのですが。

小泉 漫画の中の表現にもそれに近いものがあります。ただ、実写でこの撮影をするのはなかなかハードルが高くて、やるんじゃなかったと後悔しましたけど(笑)。

競技かるたはどうしても顔が下向きになるので、その表情を捉えようとすると、下から撮ったほうがきれいに見えるわけです。だから、末次由紀先生は、あのアングルを選んだのだろうと思い、映画でもポイントでそれをやらせてもらいました。

『ちはやふる』の影響

佐々木 浜野さんは『ちはやふる』の漫画、映画はどのように受け止められました?

浜野 どうしてもスポーツやかるたなどの競技を漫画や実写映画にした時、本物とはかけ離れていることが多いんです。それがいい部分ももちろんありますが、競技かるたを広めるために、本物に近い形でやってもらえたらと思っていたんですね。

最初に『ちはやふる』の漫画を見た時、これはそっくりだなと。建物の描写や札を払うシーンも、実際の試合や場所も忠実に描かれていると思って感銘を受けました。映画も同じく、そこに人間模様を足したところも含めて、忠実に再現してもらったと思い感謝しています。

小泉 末次由紀先生は、ものすごく取材される方なんです。『ちはやふる』を描き始めて長いですが、もう取材することがないのではないかというぐらい今でも取材されています。

競技の合間の時間のない中、選手が何を食べているかということも見ているんですよね。

浜野 最近は『ちはやふる』の影響もあって、かるた会に入る人は本当に多いです。1学年に30人ぐらいいます。

佐々木 とにかく増えて、練習場所を確保するのも大変なようです。

浜野 漫画連載当初からファンでしたが、こんなに読まれるようになるとは思っていませんでした。ここまで有名なものにしていただき、今ではプロ化の話や、東京オリンピックの時に文化事業の話もあったくらいです。

小泉 競技人口が増えると、そういうことがあるんですよね。やっている人が多くなると、プロ化の話とか大きな話が動き始めたりする。競技を広めていくという意味では、意味があったのかなと思います。

浜野 あと、「かるたをやっている」と言うと、すぐに「ああ『ちはやふる』のやつね」となるので人に説明が要らなくなりました(笑)。そこが一番変わったなと思います。

佐々木 アメリカの日本研究者の中には『ちはやふる』そのものを研究されている方もいらっしゃるんですよ。日本古典文学の研究者人口もどんどん減っているのですが、『ちはやふる』のお蔭で、百人一首に興味を持ってもらえたことは研究者としても大変有り難いです。

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