【三人閑談】
"ゾンビ"がやってきた!
2020/03/25
伝染(うつ)る「キョンシー」の誕生
宿輪 ゾンビの特徴は、死体で、意識がなく、人を襲って嚙みつくと感染してその人もゾンビになる。動きが遅くて、なぜか頭を撃てば死ぬ。時代が新しくなると、ウイルスによるパンデミックの話になってきて、動きが速くなり、動物もゾンビになったりします。
岡本 『ゾンビーバー』(2014年、米)とかありますからね。
宿輪 基本は、やはり突き詰めないB級映画というのがゾンビ映画のいいところです。
山下 キョンシーは18世紀に中国で成立するんです。キョンシーは漢字で「殭屍」と書きますから、硬直化した死体という意味です。つまり死後硬直で急に手がバーンと動いたりして、これは妖怪じゃないかと思ったのがキョンシーなのです。
なぜ、死後硬直という現象に中国人が18世紀まで気が付かなかったのか。それは中国は早くから火葬が普及していたからなのです。それが、満州族の清王朝が支配し、異民族支配なので反感を持たれないために古い儒教の経典にある土葬を復活させた。それによって中国人が18世紀になって初めて死後硬直に気が付いた。そこで発生したのがキョンシーです。
しかし、その頃の文献には、「キョンシーに嚙まれたらキョンシーになる」なんて一言も書かれていない。どうもこれは1980年代の香港映画、台湾映画が欧米のゾンビ映画のルールをキョンシーに被せたのではないか、と思っているのです。
岡本 ゾンビももともと、「ヴードゥー教」(ハイチの宗教、ゾンビの起源とされる)の時は「嚙まれたら伝染(うつ)る」という特徴はないですよね。
山下 ロメロの映画にしても、嚙まれてすぐには伝染らないですし。
宿輪 吸血鬼のイメージも入ってきているのではないかと思うんです。
山下 そうですね。宗教学的には、吸血鬼とキョンシーとゾンビと狼男はたぶん元が一緒で、狂犬病が1つのルーツとされていますね。狂犬病になると、においの強いものが嫌になり、夜間に徘徊する。
それと、死後硬直というのは手足が動いたりすると同時に、目や口から血が出るんですよね。それを見て、「あ、血、吸ってきたな」みたいな。
岡本 なるほど、まさに疫病と死後硬直というのが形を変えていろいろなところで現れてくると。
山下 それがベースになってキョンシーになったりゾンビになったりする、ということだろうと思うのです。
「緩い企画」もOK
岡本 ゾンビがこれだけ広まったのは、やはりレンタルビデオ店がすごく大きかったと思うんですよね。
山下 映画館に行くのではなくて、借りてきて見られる。そして、タイトルがすぐになくなるので、B級のものもどんどんソフト化された。
あと深夜アニメというのもあるのではないですか。今、深夜アニメでいくつかゾンビ物が出ていますね。かつてのビデオレンタル店と同様、タイトルがたくさん必要になった結果だと思うのです。
岡本 最近だと『ゾンビランドサガ』(2018年)がありました。
山下 あれは面白かったですよね。
岡本 ゾンビが出てくる地域振興アニメなんです。僕はもともとアニメの聖地巡礼の研究をしていたので、びっくりしたんです。
山下 2つの流れが合わさった(笑)
岡本 これはもう僕のために作られたものじゃないかと(笑)。『ゾンビランドサガ』の「サガ」は佐賀県の佐賀なんです。
山下 女の子たちのゾンビが蘇って、グループになって活動している。しかも佐賀で(笑)。
岡本 ギャグ系のもので、パンデミックで広がっていくということではなく、ゾンビであることがバレないように、人間っぽいメイクをして、アイドル活動で佐賀県を盛り上げようという話です。
宿輪 そういう緩い企画もできるところが、ゾンビ映画のすごいところですよね。
岡本 そうですね。やはり自由度が高いです。洋画でも珍企画がいっぱい。チャレンジャブルなのはサメ映画かゾンビ映画という。
山下 『シャークネード』(2013年、米)とか(笑)。
宿輪 アメリカ人、サメが大好きですからね。
吸血鬼とゾンビ
岡本 日本では実写映画の『アイアムアヒーロー』(2016年)が、かなり予算をかけて作った、しっかりしたゾンビ映画だったと思います。
山下 あれは同じ年に『シン・ゴジラ』と、『君の名は。』があったので、かすんでしまったのですが、すごくいい映画でしたよね。
岡本 迫力のあるシーンが多くて衝撃的でした。見に来ていた高校生が泣いていましたから。
宿輪 『アイアムアヒーロー』はたぶん、『アイ・アム・レジェンド』(2007年、アメリカ)の影響を受けているのかなと。
山下 そう、あのタイトルをもじっているんですよね。『アイ・アム・レジェンド』の原作がリチャード・マシスンの小説『地球最後の男』(1954年)で、それがロメロの完全に元ネタなので、いわばそこでグルッと一周したんですよね。でも『地球最後の男』ではゾンビではなくて吸血鬼なわけですから、やはり吸血鬼からスライドしたんだなと。
岡本 『地球最後の男』の吸血鬼は、いわゆるドラキュラ伯爵っぽい吸血鬼では全然なくて、普通の人が徘徊しているような感じですよね。
山下 ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)の吸血鬼像というのは実はかなりフェイクで、吸血鬼の実態からいうとおかしいんですが、いつの間にかわれわれは、吸血鬼というとドラキュラになってしまっている。
また、原作との違いもあります。原作のドラキュラは決してオールバックでもなければ、マントも着ていない、禿げたおっさんです。それが1920年代の舞台版ではマントを着てオールバックにしてしまった。それを映画もずっと受け継いでいるから、あたかもあれがドラキュラの姿のように思っているわけです。
岡本 そうですね。映画でも、ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)は、禿げのおっさんですから(笑)。
宿輪 あれも怖かったよね。
山下 あれこそ本当に怖い。
宿輪 東欧でドラキュラ伯爵のお城とかいって、観光名所になっていますが、あれも後付けでしょうね。
山下 はい。そこは複雑な経緯を辿っているのですが、史実としては、もともとはルーマニアのトランシルヴァニア地方の「串刺し公」(ヴラド三世)です。
吸血鬼伝説は東方正教である東欧のもので、イギリスやフランスに吸血鬼はいない。カトリックの教義からすると、死後は煉獄があるのであり得ないから。ところが、聖書重視のプロテスタントで吸血鬼が復活します。

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