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【三人閑談】
フラメンコに恋して

2020/01/27

宗教行事と結びつく歌

安藤 フラメンコとの出会いは、私は2つあるのです。1つは1980年代のカルロス・サウラ監督が、踊り手のアントニオ・ガデスと作った「フラメンコ3部作」と言われている映画です。

伊集院 『血の婚礼』『カルメン』『恋は魔術師』ですね。

安藤 はい。その後、サウラ監督は90年代にも『セビジャーナス』『フラメンコ』といった映画を撮っています。

もう1つは、留学した時にセビージャ(セビリア)に友達がいたものですから、「フェリア・デ・アブリル」に行ったんですね。

伊集院 セビージャの春祭りですね。

安藤 そうです。友達に誘われてお祭りの衣装を着せられて、3、4時間、「セビジャーナス」の踊りの特訓を受けました(笑)。それから1週間ずっと……。

廣重 踊り続けたんですか?

安藤 そうですね(笑)。1週間本当に朝から晩までやっているんです。

さらにもう1つ、「ロシオの巡礼(ロメリア・デ・ロシオ)」に連れて行ってもらったこと。セビージャの隣のウエルバ県にロシオという村があり、そこで見つかったマリア様の像があるんですが、何回他の場所に持っていっても必ずそこに戻ってしまう。

その地に教会が立っているんですが、そのロシオ村にエルマンダと呼ばれる信徒団が幌馬車の隊列を組んで、1年に一度その村に集まるんです。それが「ロシオの巡礼」と言われているものです。

そのロシオへ行く道中、各地で野営して踊りながら、皆行くんですね。

伊集院 やはり敬虔なカトリック教徒の方が多いですよね。

安藤 そうですね。サエタという、セビージャのイースターの週間(セマナ・サンタ)に欠かすことができない歌もあるんです。

伊集院 これは宗教歌に近いものですよね。「セマナ・サンタ」というのはキリストの苦しみを一緒に感じるというお祭りですね。

山車をかついでみんなで歩いて、おそらくキリストの受難を一緒に感じるというお祭りで歌われるのがサエタであると。

廣重 皆、泣きながら聴いていますよね。

伊集院 フラメンコの歌い手の方が、たまに無伴奏でサエタを舞台で歌うことがありますが、これもフラメンコの歌の一種と言っていいものではないかと思います。

フラメンコの成り立ち

伊集院 「セビジャーナス」という曲種は、厳密に言うと、フォークソング、フォークダンスに当たるので、フラメンコではないという考え方もあるんです。

でも、踊りの形式は完全にフラメンコで、僕らがフラメンコを踊る時に、最初に習うのがセビジャーナスです。腕の使い方や足の踏み方の基本が大体入っています。

廣重 そういったフラメンコと言えるのかどうか、みたいな曲はたくさんありますね。

伊集院 もともとヒターノの人たちは文字も持っていないので、きちんと説明されずに来たものが結構あるのかもしれません。

セビージャはやはりアンダルシア州の州都で、人も集まるので、フラメンコは盛んですね。

廣重 やっている人が多いですよね。

安藤 フラメンコというと、3つの場所が必ず出てきますね。セビージャとカディスとへレス・デ・ラ・フロンテーラです。

伊集院 あとは、グラナダもやはり特徴的です。

それぞれ町によってちょっと雰囲気も違うのですね。スペインからのフラメンコのアーティストとご一緒させていただく時、「今日の人はカディス出身だからこういう感じかな」と、イメージして行かないと嚙み合わずに大変なことになります。

安藤 スペインそのものが、地方ごとに多様性があります。それぞれ谷を越えると違う民族舞踊や民謡があり、いろいろなリズムがあると言われています。フラメンコというのは、アンダルシアにもともとあった民族音楽的なものに、ロマの人たちがやってきて混合されてできたというのが、一応定説になっていますよね。

伊集院 そうですね。ロマ民族の特徴として、基本的に他民族と血を混じり合わせないんですが、現地の文化や宗教は取り入れる。取り入れるのは上手で、音楽的な才能や踊りの才能などは、天性のものがある気がします。ピアノなども自然に弾けてしまって驚いたことがあります。

廣重 そうですね。

伊集院 そのようにして、いろいろな文化を吸収し、アラブ人による征服などの影響もあってフラメンコが段々と今の形になってきた。

フラメンコの歌には、歌詞がない「アイアイーアイーイイー」というものがありますが、このあたりがアラブの影響かと思います。

安藤 ジプシー・スケールだとか、いろいろと言われていますよね。 旋律の最後がミで終わる、「ミ」の旋法とか。

19世紀の初めぐらいには、カフェ・カンタンテというものができ、そこで公に見せるということが始まりますね。

伊集院 そうですね。もともと内輪でやっていたものを、ショーとして観せ出したのが、カフェ・カンタンテですね。今はそれがタブラオという名前になってきている。皆で飲みながらフラメンコを観る場所ができたことで、職業として「観せる、聞かせるフラメンコ」というものが、発達していったのだと思うんです。

スペイン略図
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