【三人閑談】
新・駅弁の愉しみ
2019/12/25
これからの駅弁
今井 以前は森駅構内のキヨスクで「いかめし」を売っていたのですが、今は駅を出たところの柴田商店というお店でしか売っていないんです。
野並 でも、いかめしだけ買わせてくださいと言ったら、改札から出してくれるんですよね。
今井 そうです。食べるものがそれしかないし(笑)。鉄道を好きな方が、毎日、ブログやSNSとかに載せてくれると、私もチェックしています。でも、そういう人たちが続けばいいんですが、これから3、40年したらどうなるんだろうと。
野並 私は、冷めてもおいしいお弁当というのは、小学校、中学校、小さい子どもたちがお母さんにお弁当を作ってもらった思い出みたいなものがなくならない限りは、この国には残っていてくれるんじゃないかなと思っているんです。
高見澤 外国人の方も新幹線の車内で駅弁を食べる人は増えていると思うんですよ。北陸新幹線に乗っていると、結構いろいろな国の方が食べています。
逆に日本人より外国人の方が、日本ではこういう楽しみ方があるというのを知っている面もあるなと。
今井 私は小学校のときの文集に、将来の夢を「いかめし3代目」と書いているんですよ。皆、かわいくお花屋さんとかケーキ屋さんと書く中で一人だけ(笑)。
多分、物心ついた頃から、そう思っていたところはあるんですが、本気で継ぐというつもりは、正直、なかったのです。でも一人娘で周りに継ぎそうな親戚もいないし、「いかめし」を手放すと考えると、なんか兄弟が取られる気分になったんです。
テレビのバラエティとかで、「いかめし3代目、後継ぎ娘」みたいに取り上げられたのが3年前ぐらいですが、もともと父は継がなくていいよとずっと言っていたんです。
「男社会だから」とすごく言われました。でも、レポーターとかメディアの仕事もやりながら、できるところまで二足のわらじでずっと続けていきたいと思います。いつかは結婚したいし子どもも生みたいという、女としての希望は捨てずに、いかめしを自分のものとして守っていきたいと思っています。
野並 自分では作らないんですか。
今井 味付けまでのことはできるようになりました。それこそおばさんたちに鍛えられて。最初はつらすぎて、イカを触りながら泣きまくっていました。ネイルもできないんですよ。手もボロボロだし。でも、それもこの家に生まれたからこそできることだと、プラスに考えてやっていきたいなと思っています。
高見澤 私も当初は継ぐつもりはなくやってきましたが、やるからには、自分にしかできないことを徹底してやり抜いて行こうと思っています。歴史を見ても、常にいい状態ということはまずないので、会社もチャレンジしなければいけない。チャレンジしないとチャンスが摑めず変わらない。「チャレンジ、チャンス、チェンジ」と合言葉のように言っています。
「釜めし」を軸に違う展開もして、何か新しい形のものもやっていきたいなと思っています。
野並 うちの会社はやっぱり横浜の人たちに支えられている会社という思いが強いです。よく言わせていただくのですが、崎陽軒という会社は横浜市民から「シウマイ」とか「シウマイ弁当」の製造販売を委託されている会社なんだと。
そのような気持ちで、これからも「駅弁づくり」をやっていきたいと思っています。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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