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【三人閑談】
サリンジャー生誕100年

2019/10/24

サブカルチャーからの支持

ソーントン あるジェネレーションを代表するバイブルになるような本というのは、考えてみるとあまりないですね。自分にとって似たようなものは、カミュの『異邦人』かなと。あの本も一時はフランスの学生たちが必ず鞄に1冊持っているような本でした。

尾崎 日本で『The Catcher in the Rye』がこれほど読まれていることは、アメリカ生まれのソーントンさんから見て不思議に思われますか。

ソーントン ここまで日本で人気があることにはびっくりしますね。

実は、今年がハーマン・メルヴィル生誕200年ということで、「ニューヨーカー」に先々週、大きな記事が載ったのです。『MOBY-DICK』(『白鯨』)がどれだけ偉大な小説かと。

しかし、調べた限り、生誕100年のサリンジャーは、今年「ニューヨーカー」に大きくは取り上げられていません。「ニューヨーカー」はサリンジャーの若いときのあこがれだったので、がっかりしただろうなと。

尾崎 むしろ日本のほうが、生誕100年をあちこちで祝っている感じでしょうか。

ソーントン もちろんアメリカでも人気は相変わらずですけどね。バーンズ・アンド・ノーブルという、ニューヨークの一番大きな本屋さんの店員さんに聞いたら、「相変わらず売れるよ」と言われましたから。

尾崎 日本では、サリンジャーが忘れられそうになる頃に、その時代の人気者が、「これ、いいよ」と言い出すんです。南沙織さんの『二十歳ばなれ』(1976年)もそうです。

蛙田さんは知らないと思いますが、僕たちの世代では、すごく人気のあった歌手で、彼女がすごく売れていた頃に、『二十歳ばなれ』という本の中に、サリンジャーの『ライ麦畑』にすごく影響を受けた、と書いた。

それからまた10年くらいして、1987年に、今度は小泉今日子さんがラジオ番組で、サリンジャーの『ライ麦畑』に感動した、という話をする。そうするとまたバッと広がる。

そういう感じで定期的に、トレンドセッター的な影響力のある芸能人が、これを取り上げるんですね。ある意味では『天気の子』での使われ方もそうかもしれない。

蛙田 サブカルチャーへの出現はとても多い作家だと思います。私の世代だと、とても人気のある銀杏BOYZというロックバンドのアルバム『DOOR』(2005年)に収録された「惑星基地ベオウルフ」という曲の歌詞の中に「ストラドレーター」(『ライ麦畑』の登場人物)が出てくるんです。

尾崎 そうなんですか。

蛙田 本当に人気のあるバンドだったので、私の世代にとっては、サブリミナル効果みたいな感じで出会っている作家かもしれません。

尾崎 若い人でも、センスのある人はやはり読んでいて、それを自分の作品の中に入れていくんですね。それをまた若い人たちが受け継いでいく。そうであれば、非常に幸せな作家ですね。

サリンジャーの戦争体験

ソーントン アメリカでもサリンジャーはパンクロックバンドのグリーン・デイのアルバムに出てきたり、あらゆるところでサブカルチャーへの影響はあると思います。何となく、サリンジャーが好きなのかなと思わせる作品も多い。

また、ビル・ゲイツはすごく好きだと言っています。あとブッシュ大統領(父)も好きだった。これは意外でした。20年前ぐらいまでは、「サリンジャーは過激すぎるので規制する」という保守的な宗教的団体がある中、共和党の保守的な政治家が大好きだと表明したわけですから。

尾崎 確かに意外ですね。

ソーントン 世代的にサリンジャーとそれほど変わらず、第2次大戦に従軍したという共通体験があるのかもしれませんね。

『シャッターアイランド』(2010年)というマーティン・スコセッシの映画があります。この映画は、ディカプリオ演じる主人公がユダヤ人の強制収容所を見てトラウマを受け、アメリカへ戻ってきた後に、マサチューセッツ州の近くにある島の施設に行って事件が展開するんです。

サリンジャーのいた部隊はナチスのユダヤ人の強制収容所を解放したんですね。そのことがこの映画とかぶるのですね。スコセッシも意識しているのかなと、ふと思ってしまうようなところがあって。

尾崎 サリンジャーはDデイ(ノルマンディ上陸作戦)に参加しているし、戦争には深く関わっていました。最近の映画『ライ麦畑の反逆児』の中でも戦争は大きなテーマとして扱われています。あまり表向きに戦争のことを書いている作品はないのですけれど、戦争体験はサリンジャーの中では大きい要素でしょうね。

サリンジャーはフェミニンな感じがする作家ですが、実は一番修羅場を経験しているとも言われている。

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