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【三人閑談】
サリンジャー生誕100年

2019/10/24

『ライ麦畑』の魔力

尾崎 ソーントンさんが『ライ麦畑』は最初はあまりピンとこなかった、とおっしゃいましたが、大体、『ライ麦畑』を読んでピンとくる人と、ピンとこない人、人間はこの2つに分かれるんです(笑)。

『ライ麦畑』にはピンとこない人でも、『ナイン・ストーリーズ』にはピンときたりする。しかし、最初から『ライ麦畑』にはまった人は、終生サリンジャーに忠誠を誓うんです。もう神のようなものです。だけど『ナイン・ストーリーズ』から入った人は誓わない。

僕なんかは典型的に『ライ麦畑』にガツンとはまってしまった人間で、しばらくの間は、もう飯を食うときも、通学のときも、昼休みも、何度も読んだのにまた読む。出かけるときは常にこれを鞄に入れているという、非常に「やばい」読者になっていったわけなんですね。

『The Catcher in the Rye』に「はまった」人で一番有名なのは、ジョン・レノンを暗殺したマーク・チャップマンですね。

ソーントン あと2人、有名な暗殺犯がいます。ロナルド・レーガン暗殺犯(未遂)と、もう1人、1989年に、アメリカのレベッカ・シェイファーという、当時大人気のアイドル的な歌手を射殺した犯人もやはり『ライ麦畑』を持ち歩いていたんです。

尾崎 結局、『ライ麦畑』を読んではまる人というのは、潔癖というか、純粋なものにだけ関心を向けて、周りのものが非常に邪悪に見えてくる。何か大人の世界は汚い、といった感情が先鋭化してしまって、そういう奴らを倒してやれ、という気持ちになってくる面もあるのでしょう。

影響力の大きさというのはサリンジャーの魅力ゆえだと思いますが、危険なものも孕んでいる。でも、『ライ麦畑』にはまらない人は大丈夫だと思います。僕みたいなのが危ない(笑)。

蛙田 私は「はまった」感じというのとは違うと思うのですが、わずかな数節がずっと頭から離れないということはありましたね。「モロウが敏感なら、トイレの腰掛板だって敏感だろう」(野崎孝訳)みたいな一文とか。日本語訳ではあるのですが、文章の巧みさみたいなところは、催眠術的だとすごく思いました。

私は、好きな悪口のところに付箋を付けているんです。

「語り」の力

尾崎 ご自身の作品の中に、その言い回しが影響するということはありますか。

蛙田 ありますね。私が手掛けているウェブ小説というのは、一人称で語るのが基本なんです。一人の主人公がその作品世界では絶対的な存在、みたいな形になるんですが、『ライ麦畑』の語りはそれにすごくマッチしていると思うんです。「一人称小説」の中では抜群に印象に残っている読書体験です。

尾崎 この小説のポイントの1つは、一人称小説であることですよね。

書き出しの「If you really want to hear about it,(もし君がこの話を本当に聞きたいんならだな〔野崎孝訳〕)」と言うところ。最初に主人公が「君」といって語りかけて物語が始まるわけです。この「君」が一体誰なのかというのが重要なところです。

実は『The Catcher in the Rye』を日本で最初に訳したのは野崎孝さんではなく、橋本福夫さんが1952年に訳し、『危険な年齢』という邦題で出したものです。原書の翌年ですからすごく早かった。では橋本福夫さんは冒頭をどう訳したか。

「もし君が」ではなく、「もし諸君が」と訳しているんですね。つまり「you」を単数ではなく複数とした。「もし読者の皆さんが」と始めてしまったのですね。橋本福夫訳はすごくいい訳なのですが、そこが僕は間違っていると思う。この小説は「もし君が」と単数の「君」であればこそ、読む者の胸に刺さるのです。

村上春樹さんも、「you」をどう訳すかで結構苦労したと語っています。僕は、この「you」が誰を指すのか一度も悩まなかった。つまり「僕」だと思った。世界中でただ一人、ホールデンは僕に話しかけているんだと思ったんです。

僕以外の人には聞かせられない内緒話を、ホールデンは僕にしているのだと。そのようにして、「僕に直接話しかけてくれる、じゃあその話を聞こうじゃないか」と、その世界に入り込んでしまうのですね。

そこがこの一人称小説の魅力で、サリンジャーが発見したすごく力強い語りのパターンだと思うんです。

蛙田 なるほど、そういうことなんですね。

尾崎 そして、次に最初はホールデンが僕に語りかけていると思っていたものが、読んでいるうちにだんだん「そうではない」と思えてくる。どういうことかというと、ホールデンが感じたり見たりしたことと似たことを、僕も考えたことがある。ホールデンのやっていることは、僕の感じたことと同じだ。だから「僕がホールデンなのではないか」と思うようになるのです。

その喚起力の強さはすごいと思うのです。

ソーントン とても自然体で、パーソナルに話しかけてくる感覚がありますね。この作品の上手さはそこなのだと私も思います。

マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』の語りは、南部の黒人アクセントが入っている白人の話し方ですが、『The Catcher in the Rye』はニューヨーク、東海岸の、カトリックかユダヤの特徴が文体に出ています。サリンジャーはユダヤ系の血も入っていたので、そのリズム感も上手く出ているなと感じました。

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