【三人閑談】
サリンジャー生誕100年
2019/10/24
会いたくなる作家
尾崎 ご自身がホールデンと同じような寮生活を体験されると、何となく自分がホールデンと同じだ、という感じはしなかったですか。
ソーントン その感覚というのはきっと多くの、アメリカの体育会系じゃない子たちが体験することなのだと思います。アメフトの人気者などはチアリーダーの子にもてる。ちょっとオタク系の文学少年や映画好きはいつも端っこにいる。そういった人たちには『ライ麦畑』は非常に響くものがあると思いますね。
アメフト部でもバスケ部でもない子たちは、「なんであいつらばかりがもてて、生意気で、態度がでかくて、野蛮でむかつく」と、心の底ではちょっと思っている。自分も高校生のときにそうだったなと。
尾崎 『ライ麦畑をさがして』(2001年)という映画の主人公が、まさにソーントンさんが言われたような文学少年で、常に『The Catcher in the Rye』を手にしている。
寮生活の主役はアメフトの強い奴らばかりで、いじめられっ子である彼が、『The Catcher in the Rye』を読んでいるうちに、やはり僕と同じように、このホールデンは自分だと思ってしまう。それで、「僕のことを書いてくれたサリンジャーってどんな人なんだろう」と、サリンジャーに会いに行くという映画なのです。
こういう「サリンジャーに会いたい」ということをテーマにした映画が、他にも何本もあるんです。でも、例えば、漱石に会いたいとか、フォークナーに会いたいという映画はないですよね。
ソーントン そうですね、確かに。
尾崎 サリンジャーの特殊性というのはまさにそこで、自分のことを書いてくれたのだから、僕はその作者に会う義務がある、というような思いを抱かせてしまう。そんな作家は、サリンジャー以外にいるのか。
隠遁してしまって公に姿を見せなかったことも大きいでしょうね。『フィールド・オブ・ドリームス』(1989年)もそうなんです。
ソーントン そうなんですか。
尾崎 設定は黒人の作家に変えられていますが、それはサリンジャーがやめてくれと断ったからのようです。『小説家を見つけたら』(2000年)も、ショーン・コネリーが引退した作家を演じていますが、これも隠遁したサリンジャーにぜひ会いたいという、サリンジャーファンに共通する潜在的な希望が現れたものではないかと思います。
また『ライ麦畑で出会ったら』(2015年)、『ライ麦畑の反逆児』(2017年)と、近年も立て続けにサリンジャー映画が出ていますね。
太宰治とサリンジャー
尾崎 僕がサリンジャーに夢中になっていた期間は2年ぐらいです。そこからパタッと「卒業」しましたが、今でも『The Catcher in the Rye』は僕の物語で、だからサリンジャーは僕のことをよく知っている、という気持ちから逃れられません。
蛙田 お話を伺うと、私の中では太宰治がその位置にいる作家なのかなと思っています。先に『人間失格』に出会ってしまったので、多分サリンジャーが座る席に太宰が座ってしまっていたのです。『人間失格』の「ワザ。ワザ」のシーンなんて、「私だ!」みたいに思っていたんです。
尾崎 なるほど、太宰治はわかる。太宰に夢中になっていて、あるとき、パタッと卒業したと。
蛙田 太宰は高校のときに読んでいて、まさに「はまって」いたのですが、大学受験のために卒業してしまったんですね。
サリンジャーとの「再会」ですが、私が傾倒する佐藤友哉という現代作家が『ナイン・ストーリーズ』(2013年)という作品を書いていたのです。『ナイン・ストーリーズ』、そのまんまです(笑)。目次を見ると、「チェリーフィッシュにうってつけの日」から始まって、ラストの一編は、「テディ」ではなく「レディ」です。
尾崎 なるほど。
蛙田 佐藤友哉のデビュー作は『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』(2001年)というのですが、ここから続くのが「鏡家サーガ」と言われているものなんです。
尾崎 ああ、「グラース・サーガ」になるわけね。
蛙田 そうなんです。私の『ナイン・ストーリーズ』は佐藤友哉からなのです。その正典を読んでみたいということで、サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』に辿りつきました。
ちなみに、佐藤友哉の最新作は『転生!太宰治』で、太宰治が心中に失敗して現代社会に転生してきて、女子高生地下アイドルと一緒に芥川賞を目指すというものです。サブタイトルは「芥川賞が、ほしいのです」。やはり太宰も「会ってみたい作家」というカテゴリーなのかなと思いました。
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