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【三人閑談】
海賊が世界をめぐる

2019/09/02

王様が行う海賊行為

伊藤 「歴史は繰り返す」ではないけれど、古代ギリシアの時代から、結局、包摂と排除の繰り返しが起きているのではないかと思うのです。そうすると、ヴァイキングがなぜこんなに注目を浴びるのかを考えると、長い世界史の中でも特別な部分があるのかなと思います。

シンガポールの海賊を海賊鎮圧のために利用したオランダとは違い、中世後期のデンマーク王は、クヌートのように、王様自身が、自らが海賊を率いて、征服・侵略をしていったわけです。

同じように、ヴァイキングの頭目が、パリに行って王様と交渉した結果、ノルマンディーの大公になってイングランドの半分を征服したり、東欧に向かった北欧人はキエフ大公国をつくった。王様や頭目が自ら出かけていくあたりが、ほかの海賊と違うのではないかと思いました。

太田 デンマーク王という国家の指導者が、外部の軍事力を利用したのでしょうか。

伊藤 外部というよりは、自分の国内の勢力を結集して侵略をしていったんですね。同じことを、ノルウェーの王様もやっています。海賊行為をする連中を集めて、イングランドを襲う。

最終的には、「最後のヴァイキング」「ハラルドル苛烈王」と呼ばれるノルウェー王ハーラル3世は、イングランド王ハロルド2世と、ヨークシャーの近郊で戦って1066年に倒されます。それが、北欧ヴァイキングの最後の戦いとみなされている。それ以降は王権が確立し、いわゆる封建時代になって、人々が土に根ざす時代になっていきます。

そう考えると、ヴァイキング時代というのは、土に根差さないで海を通して活躍した人が多く出た時代だったのではないかと。そこは、太田さんがおっしゃったマラッカの話と少しつながりそうですね。

土に根差さない人の活動

太田 とても似ていると思います。16世紀マラッカもそうですが、18世紀ごろの西カリマンタン、マレー、あるいはインドネシア諸島一帯では、土に根ざさない人たちの活動がとても強まるのです。

東南アジアでは15世紀から17世紀は「商業の時代」と言われ、高級香辛料のナツメグ、メース、コショウや、沈香(じんこう)のような高級木材など、非常に希少な産品が重要な輸出商品でした。このような高級産品は、生産地と積み出し港が限られるので、ここをコントロールできる王が非常に強くなる。そして、産地の周辺と港の支配を目指す国家が現れるのです。

そういった独立王国が、一度、オランダ東インド会社によって弱められるのですが、その後、すぐにまた東南アジアに小さな国家がたくさん現れます。そして、18世紀半ばから、中国で中間層が拡大し、豊かになった人たちが、東南アジア産品を非常に欲しがるんですね。そのターゲットが、東南アジアのツバメの巣、フカヒレ、ナマコといった、ちょっと珍しいものでした。

伊藤 高級食材というわけですか。

太田 いえ、ちょっと違って、「ミドルクラス・ラグジュアリー(中間層のちょっとした贅沢品)」と呼ばれる、高級ではあるものの、ナツメグ、メースのように、手が届かないほどの値段が付くものではない。だけど、中国国内では取れないので珍しく、それまで宮廷でしか食べられていなかったものです。

ところが、これらの産品は、東南アジアでは本当にどこでも取れるので、産地や積み出し港を独占してもほとんど意味を持たない。こういった産品を取る人は定住しないで港から港を移動しています。しかも、不便な僻地で取れることが多いので、国王の保護も期待できず、自分たちで武装して、小さな政治勢力をつくるんです。これがすごく18世紀から19世紀の初め活発化するんです。

伊藤 なるほど。そういうことなんですね。

機動力に優れた海賊の船

太田 そういった産品を集めるには人力が非常に必要で、かつ競争も抗争もあるので漕ぎ手や武力も必要ですから、海賊のような集団がたくさん出てくる時代になる。

彼らが国家をつくることもあれば、国家と微妙な関係を維持して免税されたり、住む土地を与えられるなどメリットを与えられ、協力することもありました。そういった一定の自立性や距離を保った集団が活躍しやすい時代というのがあるのではないかと思います。

伊藤 地理的交通の僻地のような状況がそういった海の人たちを生んだと考えると、なぜ北欧がヴァイキングを生んだかということが納得できるような気がします。

ノルウェーも、スウェーデンも、村と村との交通が非常に不便でした。水路を辿れば大したことはないのに、陸路は非常に難しいのが北欧の地理的な特徴です。だからこそ小さな集団が点在し、彼らは武力を持ち、3隻、4隻と小さな船団をつくるのです。

しかも、機動力に優れた小さい船で、すいすいと自由に動けることで、経済的、あるいは商業的なメリットを生む。小さくて軽い船を60人ほどで漕ぎ、陸路ではそれを抱えて移動するのです。

太田 それはすごいですね。

伊藤 東南アジアは島と島との間がかなり近いので、「この水路を断ったら、この地域は首根っこをつかまれる」ということはないのですか。

太田 なかなかそれが難しいんです。ある水系の下流の、河口に近いところを押さえようとすると、上流の人間は分水嶺を越えて、別の水系に行ったりするんですね。

海賊の船が小さくて機動力に優れているのは同じです。入り江や河口にすぐに隠れてしまって見つけられないのですね。それに業を煮やしたヨーロッパ人は海岸線や河口の詳細な地図をつくる。海賊対策の副産物として地図が発達したという側面はありますね。

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