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【三人閑談】
海賊が世界をめぐる

2019/09/02

海賊の二面性

桃井 海賊のとらえ方が難しいのは、暴力行為を働く荒くれ者という反社会的な側面とともに、時代によっては社会的に認められた海賊行為もあるというところです。

自分たちの同類を襲うのは単なる荒くれ者ですが、襲撃対象が敵対する「他者」である場合には、それを襲うことが社会的に認められるという面がある。

この、自己と他者の線引きをどう引くのかということが、それぞれの時代の海賊行為に対する認識を特徴づけているように思います。

伊藤 後に、歴史的な小説として語られる「サガ」と呼ばれる文学では、王が自国の中のヴァイキングたちをどう処理するのかというエピソードが出てきます。要は、王が王権を広げていく中で、こういう人たちを自分の中に取り込んでいった。桃井さんがおっしゃったような、「他者」を襲う勢力として「自他」の認識が曖昧な連中を取り込んでいったのです。

あるいは、ヨームスボルグと呼ばれる伝説のヴァイキング軍団の基地が、今のポーランド地域にできて、所属する人たちは非常に怖くて強いという言い伝えがあり、その人たちは後世の伝説では「ヨームのヴァイキング」と呼ばれる。命名というのはとても大事な気がします。

太田 マレー世界では、16世紀ぐらいには海上のいろいろなルールを決めるマレー法と一般に言われる法律ができます。でも、この法律には全く王位継承のルールがないのです。

ですから、叔父であろうが弟であろうが、あらゆる人間が王位継承者を自称でき、王位継承は必ず戦いになる。そして、そこで敗れた集団は、たいていマレー海域の別の地域に行って新たな勢力を作るのです。

マラッカ王国というのも、パレンバンの王位継承争いに敗れたパラメスワラという王子が、マラッカ海峡を渡ってマラッカの地に定住したことから始まります。

「俺は王に対抗する」と宣言すると、その王へと向かう商船を襲撃することが正当化される。「襲われるのが嫌なら私の港で商売をしろ」と脅して、自分の港に商船を呼び込むのです。そして、元の王を打ち倒せば、今度は彼が正当な王になれる。

そうやって小さい王国がたくさんできるのですが、王国史を残した国では、その中で、海賊を指す「プロンパック」(直訳すると襲撃者)というマレー語を、王の行為だけには使わない。「王は生計の手段を確保した」とか、「自らの民を養う行動を取った」とか、あらゆる言葉で正当化する。どんな行為も、ネガティブな言葉では書かれなくなるのですね。

海賊が活躍した時代

伊藤 面白いですね。それは16世紀以降ということですか。

太田 そうですね。今、紹介した王国史は19世紀に書かれたものですが、そのぐらいの時代にも似たような出来事は起きているので、その頃からそう認識された可能性は高いです。

伊藤 ちょうどイギリスがエリザベス女王を中心に海賊行為を容認した時代と重なるのは興味深い。

桃井 そうですね。ほぼこの時期(16世紀)にカリブ海地域に海賊が現れます。これは何段階かあるのですが、最初はスペインが「新大陸」を発見して独占的に支配したときに、イングランドやフランスの船が密貿易を開始し、その後、財宝を輸送するスペイン船を襲い出します。

伊藤 ドレークがエリザベス女王の支援も受けて活躍するのがこの時期ですね。

桃井 ええ。そのうちにイングランドが北米に植民地を築くと、海賊は通商を妨げる厄介者になって、逆に排除の対象となっていく。ディズニー映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』などで描かれる荒くれ者、国家秩序からの離反者としての海賊の時期です。

また、海賊は海軍の先鞭のような役割も担いました。エリザベス1世の時代には、海軍の力が弱かったので、民間の船に対しても、戦争が始まったら交戦国の船や領土を襲っても良いという許可が公的に与えられました。それがいわゆる私掠船(Privateer)です。

近代の主権国家体制に基づく国際秩序ができる前の時代には、いろいろな形で海賊行為が正当化されたというところがあります。

太田 国家にとっては、大規模な海軍を維持するよりはコスト的にもとても助かるものだったでしょうね。海賊側も普段は商船として活動し、いざという時に略奪の許可を得られるのはすごくメリットがある。だからやはり、どうしても持ちつ持たれつになりがちですね。

桃井 そうですね。しかし、最終的には海賊に対する国家のコントロールが利かなくなっていきます。戦争が終わっても海賊はその旨味を忘れられず、海賊行為を続ける。時には自国の植民地も襲い始める。そうした状況から海賊を排除していく動きが出るのが、17世紀後半から18世紀なのだと思います。イギリスが海賊法などを定めていく時期です。

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