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【三人閑談】
海賊が世界をめぐる

2019/09/02

  • 桃井 治郎(ももい じろう)

    清泉女子大学文学部准教授。筑波大学第三学群社会工学類卒業。中部大学大学院国際関係学研究科中退。専門は国際関係史、マグレブ地域研究。在アルジェリア大使館専門調査員、中部大学准教授等を経る。著書に『海賊の世界史』等。

  • 伊藤 盡(いとう つくす)

    信州大学人文学部教授。1989年慶應義塾大学文学部英文学専攻卒業。95年同大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は英語史・中世英語・北欧語。監訳書に『【図説】ヴァイキング時代百科事典』がある。

  • 太田 淳(おおた あつし)

    慶應義塾大学経済学部教授。1993年早稲田大学第一文学部卒業。広島大学大学院文学研究科准教授等を経て現職。専門は近代東南アジア経済史、インドネシア史。19世紀ユーラシアにおける海賊と国家形成の関係についても研究。

人気がある海賊

伊藤 今、ちょうど10世紀から11世紀にかけてのヴァイキングを扱った幸村誠さんの『ヴィンランド・サガ』という漫画がアニメ化されて注目を集めています。昨夏に、アイスランドで行われた国際サガ学会と並行して幸村誠さんを招いて、立教大学の小澤実さんと私がアイスランド大学スタッフと協力してマンガのシンポジウムを開き、大変盛況でした。塾の文学部の井口篤先生もパネリストのお一人でした。

その作品中、デンマークの王、後にイングランド王「カヌート」とも呼ばれるクヌートルが、「自分はヴァイキング王である」と言う、非常にかっこいいシーンがあります。このように、おそらく海賊は「かっこいい」、そして「恐ろしい」というイメージがあるのと思うのですね。

桃井 たしかに、海賊という存在には不思議な魅力があると感じます。私は『海賊の世界史』(中公新書)という本を書くに当たって様々な時代の海賊を調べてみたんですが、海賊のタイプは一様ではなく、その多様性が非常に面白いなと思いました。

私はもともと、アルジェリアがフランスに植民地化される19世紀初頭の国際関係史に関心があったのですが、当時のウィーン体制の下で、ヨーロッパ諸国が北アフリカのいわゆるバルバリア海賊を禁止するという合意をしました。ちょうど奴隷貿易の禁止と同時に、文明化の1つとして海賊行為が禁止されるのです。

当時、北アフリカはオスマン帝国の一部でしたが、こちらはこちらで言い分がある。ですので、被征服者側の北アフリカから歴史を見たら面白いかなと思って調べ始めました。

太田 私はインドネシアのある地域の社会変容を研究しているのですが、18世紀にバンテン、ランプンというジャワの一番西、スマトラの一番南のあたりにオランダが勢力を伸ばした時に、たくさん海賊に対する言説があるんですね。

その後、18世紀末から19世紀初めの西カリマンタン地域でも、やはりオランダ人がたくさん海賊のことを記録している。その時はもう東インド会社から直接植民地支配になっているのですが、同じ海賊について書いても言説が少しずつ違う。

海賊行為というもの自体は同じでも、それを見ている側の国家や権力側の「書き方」が違うところに面白みがあるのではないか、と思って調べているところです。

誰が「海賊」と呼ぶか

桃井 人間が海に乗り出し、交易が発達すると、それを襲う人間が出てくる。それが海賊の始まりでしょう。

地中海では、風が止むと進まなくなってしまう帆船の商船を狙って、人力によるガレー船の海賊が出現する。そういうことが、記録がない時代からあったのだろうと思います。歴史家フィリップ・ゴスは、海賊行為は「最も古い人間の行為の1つである」と言っています。

ただし、いったん海賊と海賊行為を分けて考えたほうがわかりやすいと思うのですが、今、言ったのは、船を襲ったり、沿岸の町を略奪したりという海賊行為のことです。

一方、「海賊とは何か」と問われるとなかなか答えづらい。海で略奪行為をするものがすべて海賊と言えるのか、海賊を定義するとなると、とたんに難しい問題になります。

太田 そこはもう、「誰が名指し、そう呼ぶか」なのでしょうね。マレー海域ではフルタイムの海賊というのは少なくて、普段は商業をやっていたり、あるいは王族の一員として政治をやっていたりする人間が、ある時期に海賊行為を行うわけです。

それはもう彼らの生活の一部、政治や経済活動の一部なのですが、そういった人間を「海賊である」という語り手が出てきたときに、彼らがプロフェッショナルな海賊であるように位置づけられる。

それを生業としているかどうか、では定義付けができなくて、むしろ、そう呼ぶ人間が現れることによって海賊という存在が立ち現れるのではないかと思うのですね。

伊藤 太田さんが、おっしゃった通り、豪族、王族の一員として農業に従事していながら、季節労働のように、もしくは後の人々の言説によれば、男を上げるために海賊行為に行くこと自体がヴァイキングと言ってもよいのです。

ヴァイキングという言葉自体は古英語にも存在し、それがどういう意味なのかは長年議論があるのですが、「ヴィーク」(古北欧語vík)というのは〝入り江〟という意味があるので、私は、「入り江に入ってする何かの行為」をヴィーキングと言い、それをする人たちがヴィーキングルと呼ばれ、英語のヴァイキングになったと考えています。

そして、9世紀頃、北欧の人たちが突然、船足の速いヴァイキング船をつくれるようになったのです。それ以前から航海術はかなり発達していた上に、非常に喫水線の浅いヴァイキング船が作られて、鉄器を持って海賊行為をするようになった。

それで外国に行き、相手が強ければ北欧から持っていったものと物々交換する。でも相手が弱ければ、武器を持って襲う。それがビジネスで、そこに良心の呵責もあまりなかったのではないか。

その後、人々は彼らをヴァイキングと呼ぶようになった。実際にヴァイキング行為が行われていた当時は、「異教徒」、もしくは「北欧人」という呼び名が基本で、ヴァイキングという名はもっと後の人たちの命名だと考えられています。

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