三田評論ONLINE

【三人閑談】
文楽を愉しむ

2019/07/25

見どころ満載の舞台

玉男 師匠は「下手な人のも見なあかんでえ」とよく言っていました。舞台の袖からとにかく「見ておけ」と。どんな人でも、常に舞台を見ることは必要なんですよ。今の若い人は舞台を見ない子が結構多い。スマホばかりいじっている子がいるんですわ(笑)。

石川 授業中と同じですね(笑)。

玉男 今はスマホで文楽の映像もすぐに見られるでしょう。でも、映像からは、表面的な段取りや形しか分からないと思います。やはり生の舞台を観て、微妙な動きや間、息づかいを感じ取ってもらいたいんです。

 そうですよね。

石川 浄瑠璃の言葉というのは全部、頭に入っていらっしゃるのですか。

玉男 ある程度は入っていますね。たまに自分の役の台詞を太夫さんが語っているのに、一瞬忘れてしまい、「兄さん」とか左遣いに小声で言われて、「ああ、そうや、ここで動かさならん」というときがたまにあります。

でも、人形遣いは台詞を言う必要はないですからね。太夫が語ってくれるのです。その点、役者さんは大変でしょう。

 役者は自分で勝手な間をつくれるから大丈夫です(笑)。

以前は私も人形ばかり見ていましたが、最近、太夫の語りとか、いろいろなことに目が行くようになりました。「こういう言葉の言い回しを覚えて日常生活の端々に出せたら面白いな」って。いい言葉がたくさんあるじゃないですか。

玉男 ありますね。

 ときどき、ああいうむせび泣くような女性を演じてみたいなと思ったりもするのですけれど。

着物も好きなので、「ああ、こういう着物の合わせ方があるんだ」なんて見たりもしています。

それから、太夫さんの見台(けんだい)は蒔絵の見本市なんですよ。みなさん凝っていて、「うわー、すごい!」と思います。房なんかもものすごく凝っていたりする。見どころが山のようにあるのです。

玉男 お客さんは床も見なければいけないし、舞台も見なければいけない。忙しいでしょう、文楽は。

「聴きに行くもんや」という常連のお客様がいるのが文楽です。5月の東京公演の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の「山の段」も、大掛かりな芝居です。上手だけでなく、下手にも太夫、三味線が出て、掛け合いで一段が進む。競い合ってすごい迫力の舞台になると思います。

石川 二つ床ですね。

玉男 舞台の真ん中に吉野川が流れていて。

石川 上手が「背山」、下手が「妹山」で、両脇で語る。

玉男 左右で対話するんですね。

 太夫が語るんですか。

石川 そうです。すごくきれいな舞台ですよ。

名人が伝えてきた伝統

石川 檀さんは絵も音楽も着物もお詳しいですけど、文楽には、「俳優として見なければいけないな」ということで入られたのですか。

 ずっと気にはなっていたんです。向こうの人の「シェークスピアの芝居を知らなければ話にならない」みたいなものが、文楽にはあるのではないかと思って。

10年ほど前、友達が、文楽を見始めるようになったので、一緒に東京公演を見るようになったら、すごくはまっていったんですよね。

玉男 嬉しいことですね。

石川 私は今から40年ぐらい前からなので、先代玉男師匠と簑助師匠の世話物を見ている。それから、(竹本) 津太夫(つだゆう)師匠(4代目)、(竹本)越路太夫(こしじだゆう)師匠(4代目)、お二人の「忠臣蔵」「妹背山」なんていうのを見ているのが、自分では財産だなと思っています。

 素晴らしいですね。

石川 そのとき、今の玉男師匠はずっと左に付いていらっしゃったのだなと思うと、あのときもっと見ておけばよかったと思います。

文楽は、歌舞伎の外連味(けれんみ)と違う伝統をずっとそのまま保っている。僕が見てきたところで言うと、津太夫、越路太夫、そして先代玉男師匠、今も現役でいらっしゃる簑助師匠たちが昭和から平成の名人。現在だと和生師匠、勘十郎師匠、玉男師匠がいらっしゃる。

明日から令和の時代になりますが、これから期待できる中堅、若手はどうでしょうか。

玉男 結構若い人が伸びてきています。僕は今まで1部、2部両方出させていただいていたのですが、最近はどちらか一部だけの出演という日も出てきました。寂しい気持ちもありますが、今、玉助君とか玉志(たまし)君とか、僕より一回り下ぐらいの若い人がいます。大きい人形は結構肩にも腰にもきますから、彼らに任そうかなと思っているところです。

黒衣と出遣(でづか)い

石川 玉男師匠は今はもう立役のトップでいらっしゃって、直弟子のお弟子さんもいるし、玉佳(たまか)さんたちみたいな先代からの預かり弟子もいる。それ以外に協会でお役もやられていて、小割(こわり)委員もやられていますね。

 「小割」って何ですか。

玉男 小割というのは、左遣い、足遣い、介錯や口上の配役を決める仕事です。勘十郎さんと二人でやっていますが、「人形小割帳」という大福帳のようなものに、人形の出入り順に主遣いの名前を記し、右肩に左遣い、左下に足遣いを記していきます。

石川 誰が何の人形の何をするかということを決めるんですね。

玉男 例えば4月公演の「忠臣蔵」でしたら、大序(だいじょ)から4段目までの人形の出入りを全部書いて決めていくわけです。

石川 場面によって、黒衣に頭巾をつけて遣うときと、顔を出して遣う場合がありますね。

玉男 口上が最初に「人形出遣いにて相勤めます」と言うでしょう。重要な場面は顔を出す出遣いが多いです。

 玉男さんが黒衣で出ることもあるのですか。

玉男 もちろんです。

石川 例えば「忠臣蔵」の最初の大序は全部、主遣いも黒衣です。

物語のはじめ、例えば「忠臣蔵」では大序と2段目までは顔は普通は出さない。

玉男 とくに通し狂言というのは長いでしょう。だから、はじめから顔を出してしまうと、ちょっと。

 本人が疲れる(笑)。

石川 いや、観客が人形遣いさんを見てしまうからではないですか。

 なるほど、人形に集中させるためと。

玉男 今度の「妹背山婦女庭訓」で僕が遣う大判事清澄(だいはんじきよずみ)は、今は預かり弟子になっている玉勢(たませ)君が黒衣で大序を遣います。そのように若手が勉強のために同じ役を黒衣でやってもらい、出遣いのところから僕が顔を出して遣ることもあります。

 そういうこともあるんですね。

石川 深く見ていくと、「さっき早野勘平をやっていた玉佳さんが、ここから玉男師匠の左に入ったな」と分かる。

あとは、「簑助師匠の左は一輔(いちすけ)さんだな」とか。一輔さんが、もう嬉々として左をやっていらっしゃる。そういうところにまた師弟関係の強さを感じるわけです。主遣いでいい役をやる方が師匠の左に付くのを見ると、「麗しいなあ。ああいう弟子が欲しいな」と思う(笑)。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事