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【三人閑談】
慶應ラグビーを語る

2019/06/25

「理不尽さ」をどう乗り越えるか

生島 慶應の転換点は、やはり90年代中盤でした。90年代前半までは、歴史の美学に殉じているところがあって、猛練習、そして試合ではハイパントを多用していました。今ではハイパントはなくなりました。

廣瀬 そうですね。

生島 私の記憶の中では、70年代中盤からすでに慶應といえばハイパントというイメージでした。でも、実際には日本一の世代はボールを展開する素晴らしいラグビーを見せていたわけです。ところが、仕組みとしてのコーチングが確立されていなかったため、人材的にも苦しくなり、拠り所が猛練習しかなくなっていったのかな、と思います。

やはり上田さんが90年代の後半から再び指導に当たったことで、リクルーティングが変わり、フルタイムのコーチを採用してアドバンテージができた。そこから練習方法も理論的な方向に変わっていきました。

金沢 そうですね。でも現在もやっぱりある程度きつい練習はしなければいけないのは当然です。そもそもラグビー自体がそういうスポーツだと思うんですよね。試合中に厳しいこともあり、自分たちが思っているような状況にはならない。

ですから、理論も教えますが、理不尽なことも練習の中に入れていかないと試合で選手が対応できない。そのあたりは上手くバランスを取りながらやっていかないといけません。

生島 今の若い人には、その理不尽なことをやらせるための工夫もあるんでしょうね。

金沢 学生はますます理由がないとやれなくなっています。だから、すごく難しいんです。理不尽なことをしなければいけない理由を説明するみたいな。

そのとき、やはり「この人がそう言っているんだから」と思われるような、信頼というものがすごく重要だと思うんです。

生島 さじ加減が難しいなあ。

金沢 そうですね。今の学生がラグビーをやる理由はいろいろですから。

生島 でも不思議なことに、エディー・ジャパンは理不尽そのものじゃないですか。

廣瀬 そうですね。

生島 逆に、大人じゃないと耐えられないのかな(笑)。

廣瀬 ラグビーの試合自体がそうですから。理不尽というか想定通りにはいかない。だから、想定の練習をしてもしょうがないというのは大前提ですね。そういうところは代表になると分かってくる。

テストマッチなんてもう最たるもので、日本を離れて全然知らない環境のところに行くわけです。レフェリーも、いろいろ理不尽なことがあるので、その中でどう戦うかがすごく大事です。

日本にいるとコミュニティが限られていて、「自分たちが世の中の当たり前」みたいな勘違いをしていると、理不尽に対して耐えられないのかなと思いますね。

1999年度 大学選手権優勝メンバー 前列中央に上田監督

ラグビーを続ける道

生島 慶應の中から日本代表がどんどん出てくるようになったのは廣瀬さんの少し前くらいからでしょう。

廣瀬 そうですね。栗原(徹)さん、野澤さん、瓜生(靖治)さんの代くらいからでしょうか。

僕が4年生の時に、ちょうどトップリーグができたんですよね。それが1つ大きくて、ラグビーを一線で続ける動機付けにはなったと思います。それまでは関東社会人リーグとかローカル感が否めなかった。

生島 選択肢が増えたということでしょうね。しっかり仕事をするのか、現役引退後のキャリアを考えて勤めながらラグビーをするのか、あるいはプロ契約という形態も出てきた。

トップリーグをつくるのに尽力されたのは稲垣さんですから、そういう意味でも広がったんでしょうね。エディーさん(エディー・ジョーンズ)と慶應は、林さん、稲垣さんを通じて近いですし。エディーさんは慶應のグラウンドでもよく指導されますね。

金沢 そうですね。昨年も来ていただきました。

確かに、昔に比べるとトップリーグという道ができたので、そこに行く人はいますが、やはり大枠は仕事にシフトしていると思います。声がかかっても天秤にかけて、将来を考えて60歳までの仕事を取る学生が多いという感じはします。経済界で活躍されているOBの方が多いので、そういうのがカッコいい、というのが慶應にはあると思うんですね。

廣瀬もそうでしたし、今、プロ選手になっている人が、今後、引退後の道をつくっていくと思うんです。そうすると、「そういう道もあるんだ」と思って、そちらの道をいく人も増えていくのかなと思います。

生島 成功のロールモデルですね。

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