三田評論ONLINE

【三人閑談】
庭を愛でる

2019/05/24

イングリッシュガーデンの起源

 日本で描かれた絵画がイギリスの庭園に影響を与えたという説もあるのです。17世紀までイギリスはルネサンスの影響を受けた整形庭園が主流でしたが、日本の影響を受けて東洋風になっていったと。

ライカーズ そうですね。研究テーマを探るうちに面白い話を1つ見つけたのです。ウィリアム・テンプル卿というイギリス人が17世紀後半にオランダのハーグで大使をやっていて、オランダ東インド会社の東洋から帰ってきた人の話を聞き、「東のほうの庭はいろいろなものが不揃いで、しかも不完全だ。ヨーロッパの左右対称の整形庭園ではない考え方もあるらしい。それを美しいと言っている。そういうのを〝シャラワジ〟と言うらしい」というエッセーを残しています。この話がイギリスの庭園に影響を与え、「シャラワジ風庭園」と呼ばれるのです。

ウィリアム・テンプル卿は『ガリバー旅行記』を書いたジョナサン・スウィフトのパトロンだった人です。一般に「シャラワジ」とは中国だと言われていますが、当時の中国、清はまだ鎖国状態で、オランダ東インド会社と貿易があったのは日本だけです。だからここで言う「東のほうの庭」は日本のことではないか。

大陸的な左右対称のガーデンとは違う、風景的な、自然を模したようなガーデンをイギリス人が造っていくことに日本が影響を与えたのではないか、と思うのですね。

 イギリスの風景式庭園に影響を与えたということですね。一般にイングリッシュガーデンと呼ばれているのは、そのあとの時代のガートルード・ジーキルなどが、風景式庭園に対するアンチテーゼとして提唱した、コテージガーデンという園芸的な手法のことだと思います。

風景式庭園はピクチャレスクの概念がベースにあって、丘陵地を造成したりして英国の原風景を描くものですね。植物を愛でるというよりは、土木事業のように風景を造成する。風景式庭園の設計者、ケイパビリティ・ブラウンは村一つ動かすようなスケールで庭園を造っています。

それに対して、自然な植栽と自生植物を生かした庭園様式をジーキルは提唱したのですね。これは19世紀から20世紀のブルジョワ階級によって広く普及していきました。

ライカーズ 風景式庭園の背景にあったのは、バロック時代に、フランスのニコラ・プッサンとかクロード・ロランという人が風景画を描き始めたことですね。そこに楽園としてのアルカディア思想みたいなものが表れるんですね。本当の風景ではない、理想郷としての風景を描いて、そこに美しい女神たちを描くのが流行ります。それがベースになったんですよね。

 風景式庭園を発展させたウィリアム・ケントは、もともと造園の経験のない画家だったのです。

ライカーズ その風景式庭園に対して、「本当の庭って違うでしょう」みたいな、アンチテーゼがあったということなんですか。

 そうですね。日本には在来種だけでも約3千種の植物が存在すると言われていますが、イギリスの場合はおよそ200種しかありません。このことが逆に植物への憧れとなり、帝国主義と相まってプランツハンターが世界中のいろいろな国から植物を集めてきて、ハイブリッドにより種を増やしていった。

当初、イギリスでも植物を愛でることは、王族や貴族の趣味の世界でした。風景式庭園も多くは貴族の私有地でしたが、そこからブルジョアジーなど市民階級に広がっていったのは、庭に自然なかたちで自生種を植えて楽しむというコテージガーデンのスタイルが提案されたためで、それがガーデニングとして日本人が憧れた「イングリッシュガーデン」につながっているように思います。

西洋の庭と日本の庭

ライカーズ 先ほど本草学のことをおっしゃっていましたが、ヨーロッパ中世は倫理観がものすごく強く、「花や草木を愛でるみたいなことをしている場合じゃない」という時代が長かったから、草木を育てるには何か目的がないとだめだったんですね。それでハーブガーデンみたいなものが修道院などで造られていた。

ロンドンにも薬草学のギルド、言ってみれば医者のハーブガーデンがチェルシー・フィジック・ガーデンという形で今でも残っています。日本の小石川植物園みたいですが、そのように、目的があって植物が育てられていたガーデンが、だんだん美しさ自体にも目を向けられるようになっていったのかと思うのです。

日野原 おそらくヨーロッパの植物、あるいは庭に対する捉え方というのは、やはり、人間が自然を支配するというような考え方が根底にあるとは思うんです。ベルサイユ宮殿の庭なども幾何学的に左右対称ですし、先ほどのイギリスの風景式庭園にしてもやはり、自分たちでその風景を造り出すという意味でのコントロールがあると思います。

ライカーズ すごく作為的に造っていくというのがありますよね。

日野原 そうですね。一方、当然、日本の庭園も自然に手を加えるという意識はあります。ただ、手を加えているけれど、人間が自然を支配するということではなく、あくまで自然の中に人間を置くためのツールだとは思うんですね。例えば枯山水の庭にしても、見る側がそこに山なり海なり、あるいは宇宙なりといった偉大な自然を脳内で感じています。

植物に関しても、先ほど言った本草学は医療という目的は当然あったと思いますが、大名が作っている図鑑などを見ると、純粋に花が好きで記録したい、魚が好きで絵にしておきたいという感じなんですよね。実用性よりもかなり趣味の世界という感じが強いように思います。

ライカーズ イギリスでも、19世紀は趣味的な部分は非常にありました。でも、先ほど関さんが言われたように、非常に品種が少ないから、アフリカやインドなどから珍種を集めてきてはそれを掛け合わせて、新しい種を自分たちで作っていこうという動きが強く、江戸の自然に対する興味、愛でるというようなこととは違うように感じられるのです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事