三田評論ONLINE

【三人閑談】
東京タワーを見上げて

2019/04/25

蠟人形館の想い出

前田 東京タワーの中のアミューズメント施設は歴史から言いますと、開業当初は、当時の松下電器さんが最新の家電の展示に利用されたりしていました。

その後、アミューズメントでは、東京タワー蠟人形館ですね。1960年代からありました。

近藤 あれは有名ですね。

前田 実はあれは藤田田さんという日本マクドナルドの創業者がつくられたのです。藤田さんは日本マクドナルド銀座1号店を1970年に出されたのですが、その少し前に蠟人形館を先につくっているのです。

アメリカで蠟人形館を見たことからおつくりになられたそうですが、亡くなられた後も息子さんの時代、2013年までありました。 その場所は今はアニメの「東京ワンピースタワー」という、ワンピースのテーマパークに変わっています。

近藤 水族館はいつできたんですか。

前田 おそらく1970年代だと思います(1978年オープン)。昨年までありました。そこもテナント様だったのですが、大型の水族館に押されてしまいましてね。

今の水族館というのは、天井も高かったり、立体展示なんですが、東京タワーはビルが古いのでそれができない。なかなかマニアックな魚がいて喜ばれていたのですが。

望月 私は蠟人形館はちらっと見たぐらいです。あまり実物と近いと、ちょっとギョッとするところがありますね。でも、一番怖かったのは大展望台の床です。

前田 ガラスウィンドウというガラスの床で下が見えるやつですね。

望月 最初に行ったとき、見てぞっとしましたけど、子供たちがあの上を跳び跳ねているんですよ。エッと思った(笑)。あれは何でできているんですか。

前田 強化ガラスで、ときどき取り替えています。

望月 それじゃあ、トンカチで割ろうと思えば割れるわけですか。

前田 いや、絶対に割れない。今まで落ちた人はいません(笑)。あれも途中からできたもので、今はかなり面積が広くなっているんです。実は今、増設しています。

ガラスウィンドウは外国の方にも人気ですが、海外の方でも子供たちは平気ですけど、ご年配の方は怖いようですから、これは万国共通で、望月さんだけではありません(笑)。だんだん大人になるほど怖くなってくる。

近藤 当時のことをいろいろ思い出してきたのですが、お土産物店にレトロなものが多くて、意外に楽しかったですね。東京の名所の絵と「思い出」とか「根性」と書いた盾みたいなものを売っていて。だいぶお土産店も様変わりしたんじゃないでしょうか。

前田 2、3坪でやっていらっしゃるところが主流だったのが、今、弊社も直営でやっていますし、サンリオさんが大規模に店を出されたりしていますが、まだ小さなところも数店舗残っています。

開業当初からいらっしゃる90代のおばあちゃまもご健在です。97歳と93歳かな。

望月 それはすごいですね。

前田 60年間いらっしゃった方なので、今度感謝状を差し上げようということになっています。

望月 今は90代でも元気ですよね。

前田 お元気ですよね。できた当時30代の方が90代です。当時のエレベーターガールが、今、80代なんですよ。OB・OG会を開くと、「当時20歳で入社したわ」みたいな方が80歳でお元気でいらっしゃいます。

333メートルの意味

近藤 スカイツリーができた影響などはあるのでしょうか。

前田 世界中の大都市、ニューヨーク、パリも含めて、展望施設はどこも複数あるわけです。パリもエッフェル塔に加えてモンパルナスタワーとか、いくつかある。東京も展望施設はスカイツリーを含めていくつかありますが、東京タワーも50周年を過ぎた頃から文化的な価値というものが出てきたのかもしれないと思っています。登録有形文化財でもあるのですが、「あること」に意味があるというのでしょうか。

もちろんメディアでも非常によく取り上げていただいていますし、SNSはじめ個人発信でも世界中に飛び交っています。東京タワーの力というのは運営しているわれわれだけの力ではなく、何か社会全体、皆さんに支えられ、一定の存在感が出てきているという感じがしています。

2005年に社長になった頃は、「新しいタワーができたら、東京タワーは解体するの?」なんて新聞記者に言われたこともありましたが、「ちゃんとやっていきますから」と答えていました。

望月 われわれの仲間に聞いてみると、比較するわけじゃないけど、東京タワーには昇りたいけど、スカイツリーは別に行きたくないと言う人が結構多いですね。あれはどうしてなのかなと思うのですが、私なんかも1回も行ったことないです。ただ高いだけという感じがするんですよね。

前田 展望台は、東京タワーは150メートル、250メートル。スカイツリーは350メートル、450メートル。ビルですと、横浜のランドマークタワーや大阪のあべのハルカスが300メートル地点ぐらいにあります。

ですから、それらよりうちの展望台は低い。しかし、立地の良さもあり、都心部の景観が眺められるということもあって、東京タワーに来るという意味づけ、何か歴史がある建物の展望台に行くというワクワク感を持っていただいているのかなと思います。

望月 なぜ333メートルという高さなのかということが、このあいだ話題になったんです。昭和33(1958)年にできたからだとずっと思っていたのですけど、そうじゃないんですか。

前田 いくつかの説があるようです。当時でも500メートル構想というものがあったようですが、技術的にこの高さが限度だったようですね。

望月 必要があってあの高さになったというわけではないんですね。

前田 だいたいこれぐらいの高さということで、ひょっとすると語呂を合わせたのかもしれませんね。333メートルというのはおよそ1000フィートですからね。

近藤 当時の世界一の塔を目指すという意図はなかったのですか。

前田 どうせつくるならエッフェル塔をしのごうという気持ちはあったんじゃないでしょうか。エッフェル塔は1889年の建設当初は317メートルで、当然テレビ放送などもなかったんですが、その後テレビ放送用のアンテナを取り付けるために1950年代に324メートルまで上伸されたようです。東京タワーは結果的にはそれより少し高くなっていますから。

父からはもっと高いものがつくりたかったとは聞いていますが、あの当時の技術ではできませんと言われたと。「日本の構造設計の父」と言われる内藤多仲(ないとうたちゅう)博士という、構造の専門の耐震設計の概念を入れた先生をもってこの高さにされたということは意味があるのだと思います。

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