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【三人閑談】
ポーランドと日本

2019/03/25

「日本びいき」の淵源

山中 私が初めてポーランドに赴任したのが、2011年10月、東日本大震災が起きた年でした。3・11の直後から、半年以上にわたって大使館の門の前にずっと花束やランタンが飾られ、被災地の安寧と復興を祈っていてくれたのです。

赴任後、いろいろなポーランドの人に会いましたが、皆、震災は大丈夫かと心配してくれて、大変有り難かった。多くの人が募金やチャリティー活動をして日本を力強く支援してくれました。

このような日本支援の高まりの背景にはやはり、日本びいきの国民感情があるのではないかと感じました。

柴田 19世紀からの日本とポーランドの交流の歴史には、いろいろな段階があると思うのですが、一番初めは、ヨーロッパ一体がそうですが、やはりジャポニスムの影響があると思います。

関口さんがお書きになっている、フェリクス・“マンガ”・ヤシェンスキというコレクターが、ヨーロッパ中をまわって浮世絵を集めたと言われています。映画監督のアンジェイ・ワイダが青年時代に、ヤシェンスキのコレクションを見て衝撃を受け、自分の創作活動にもつなげたという話もあります。

関口 でも、美術史上のジャポニスムは、ポーランドはヨーロッパで最も例が少ない国だと思うんですね。

ヤシェンスキが西ヨーロッパの現代美術と日本の版画などを、オークションでたくさん買って、ワルシャワで展示した際には散々な目に遭っていますよね。

柴田 そうですね。そのとき、ヤシェンスキの風貌も変わっていたということもあるようですが。

関口 というより、やはり野蛮な国の、芸術とはとても思えないものを展示したという批判が多かった。つまりベルリン、パリ、ウィーンと違い、彼の考えをワルシャワは受け入れてくれなかった。

一方、南のクラクフという古い都市では、ワルシャワに比べると芸術に対する理解が高かった。そこはワルシャワに比べると自由で、日本美術も面白いじゃないかと、ヤシェンスキは受け入れられた。

でも、他の国に比べてポーランドでは、ジャポニスムはやはり弱いといってよいのではないでしょうか。

柴田 ヤシェンスキは、ポーランドには国民的、民族的な美術がないと考え、日本の美術からインスピレーションを受けて、それをつくり出そうと言っていたように思います。

日本文化に興味を持っている現代のポーランド人にお話を伺った際も、ポーランドでは突き詰めて美を追求することがあまりできなかったので、日本の美術は、自分たちの原動力になると言っていました。

ですから、19世紀末の時点ではジャポニスムが弱かったとしても、現在までその影響は続いているのかなと思います。

山中 端的に言って、ポーランドが日本びいきである理由には、やはり日露戦争が大きかったと思います。あれだけ苦しめられた憎きロシアを、アジアのよく知らない日本という国がやっつけてくれた。敵の敵は味方だと。いまだにそういう感情が続いている面があって、歴史教科書でも日露戦争にはかなりのページ数を割いていると聞きます。

それから、日本とポーランドを結ぶ、非常に心温まるエピソードもあります。ロシア革命後の1920年頃、シベリアには多くのポーランド人孤児がいました。シベリアに流刑になった家族の子供たちで、親を亡くして、栄養失調になって瀕死の状態だった。

救いを求めた各国の中で日本だけがこれを受け入れたのです。孤児約800人は日本で健康を回復し、無事にポーランドに帰っていったのです。このエピソードもポーランドの人たちの記憶に残っています。

また、ポーランド人は、武道とかお茶、お花など日本の精神性に富む文化に関心や憧れを持っていて、それが親日につながっているように感じます。だから、日本語学習熱も高いですし、アニメや日本食などに対する人気も非常に高いものがあります。

本当に「親日的」なのか?

関口 柴田さんも親日国、日本びいきだと思いますか?

柴田 政治的に右派の人も左派の人も、悪いことを言う場面はあまりなく、日本が好きだという人は多いと思いますね。

関口 そうですか。ちょっと反対のことを言うと、僕は文学や映画、版画などでポーランドに触れ始めて50年以上経っているんですが、ポーランド人が特に他の国の人々に比べて日本に対して親しみを持っているという印象はないです。

僕は大昔、1970年代に実際にポーランドの小学校で地理の授業をやったことがあるんです。

山中 そうですか。存じませんでした。

関口 そこで、いかに教育の現場で日本のことが教えられていないかを知りました。日本というものの欠如、不在ですね。それからもう1つ、新聞や教科書に書かれていることが誤っている。それにずいぶん衝撃を受けたことがあります。もちろん当時は社会主義時代とか、いろいろなバイアスはありますが、端的に言って、正しく知られていないという印象を強く持ちましたね。

知られていないということと、一方でアメリカやドイツなどから伝わってくるイメージや神話が結び付くんですね。つまり、自分できちんと勉強していないところに、日本に関するイメージが伝わってくると無批判にそれを受け入れてしまう。

山中さんがおっしゃったように、原点として日露戦争でロシアをやっつけてくれた、ということはずっと集団的な記憶の中にあることは確かです。でも、他のヨーロッパの国に比べて、ポーランドが親日的だという印象は僕はないですね。

山中 今、ポーランドに進出している日本企業は300社で、4万人の雇用を創出しています。現地の日本企業の皆さんから話を聞きましたが、一様にポーランド人従業員は非常に勤勉で、謙虚で、一生懸命仕事をする、そして裏表がないと言います。

欧米に進出した日本企業が、現地で人を雇うと、面従腹背というか、表向きは従いながらも裏では日本人の悪口を言っている、というような話をよく聞きますが、そういったことがポーランドではなく、労使関係は極めて順調です。

日本語学習者の数は、中東欧ではもちろん最大ですし、質も非常に高い。日本食の人気も、ワルシャワだけで寿司屋が200軒以上あると言われます。

これらは現象面の話ですが、親日的な国民性が現れているのではないかという気がするんですね。

柴田 ワルシャワに長く生活する間、「あなたは日本人ですか。私は日本が好きです」と話しかけられることが多かったので親日的だと考えていましたが、関口さんがおっしゃったように、日本は憧れの国というイメージが先行し、自分で作り上げた「理想の国・日本」が念頭にあるとは言えるかと思います。

1990年代にポーランドでは、テレビで日本のアニメ放映が始まっているので、私が教えている大学では、その影響を受けて日本が好きになったという学生が多く、現代のポピュラーカルチャーへの関心は大きいと思います。

関口 日本食ブームも、ポーランドでは世界的に見るとずいぶん遅れて始まっています。やはりまだ日本とか、日本人というのが生活の中になくて珍しいんだと思います。

例えば小津の映画と黒澤の映画を比較しても、ポーランドでは黒澤の知名度が圧倒的に高く、小津について知っている人はごく一部の専門家に限られる。イギリスで世界の名画を選ぶランキングでは小津の『東京物語』が長年トップでした。ポーランドでは「小津が面白い」というような段階に達していない。まだエキゾチシズムの段階。これは、僕の非常に厳しい見方ですが。

それから、どうしても分かり合えないのではないかと思うのが、ポーランド人がセルフイメージとして持っている個人主義の観念です。彼らは日本人というと集団主義者と見る。規律が正しいと言えばそうですが、軍隊的なイメージを持つこともある。

工場進出の話がありましたが、僕が聞いた話では、ポーランド人にラジオ体操をやらせるのは簡単ではなかったそうです。つまり、号令で同じことを皆がやるということに対して嫌悪感が非常に強いんですね。

漫画やアニメがポーランド人に受け入れられるのも遅かったと思います。それは、子供であることの価値、「かわいい文化」のように「かわいい」ということを最上位に置くような文化が異質だったのではないか。つまり、ポーランドは成熟した、大人であるということに価値を置く文化、常に大人でなければならないことを迫られる文化なんですね。

そうやっていくつかの点を見ていくと、日本とポーランドはやはり違うところも相当あるのでは、と思うんです。

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