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【三人閑談】
ポーランドと日本

2019/03/25

ヨーロッパの防壁

柴田 キリスト教との関係も深いものがありますね。

関口 中世の時代、ポーランドが建国して、ラテン語とキリスト教の共同体の中で地歩を築く中、ヨーロッパではないもの、特にモンゴルとの激しい出会いがあり、そこで自意識を持ち始める。

ちょうど元寇の頃、ポーランド人はモンゴル軍、つまりタタールと戦い、相当痛い目に遭って君主も殺されています。キリスト教圏を守れというミッションをローマから与えられ、自分でも意識し始める。

それから、もう少し後で、東方教会という、違うキリスト教に属するロシア人と戦う段になると、キリスト教を守るとは言えなくなる。そこで、どういうレトリックが出てくるかというと、われわれは「ヨーロッパを守る、自由を守る、民主主義を守る」となる。どこかで聞いたような言葉ですね(笑)。

山中 今、よく言われていますね。

関口 つまり、ヨーロッパの東の境界を守る、ヨーロッパの防壁の役割を果たしたんですね。

このようにポーランド人には、ヨーロッパを守ってきた、キリスト教を守ってきたという論理がある。日本の学校では、そういうことは教わらないけれど、これは大事なことではないかと思います。実際にヨーロッパやアメリカに行くと、そういうレトリックに出会いますね。

柴田 そのキリスト教を守る、ヨーロッパを守るということで、一番現在のポーランドまで意識が残っているのが、おそらくロマン主義文学が生み出したメシアニズムではないかと思います。

19世紀、分割されたポーランドに大きな武装蜂起が2回起きます。1830−31年の11月蜂起、1863−64年の1月蜂起です。11月蜂起が失敗すると、知識人たちがパリに亡命します。ポーランドを代表する国民的詩人アダム・ミツキェヴィチをはじめ、重要な詩人が3名いますが、その詩人たちが、「ポーランド民族」の意識を形づくったと言えると思います。

1830年代、ミツキェヴィチらは、主権を失って苦しんでいるポーランドを、ヨーロッパ諸国の中のキリストになぞらえます。ポーランド人が血を流して戦うことによって、専制主義国家や物質主義的な文明にとらわれた人々の罪を贖い、地上に神の国を建設する。40年代には、この戦いを率いる英雄を待望する考えへと発展させます。苦難の意識を、ヨーロッパに自由を取り戻すという、民族の使命に読み替えてしまう。いわば運命共同体の思想なんですね。

日本とポーランドの出会い

関口 もともとポーランド・リトアニア連合国家は世界で最も多くのユダヤ人がいた地域です。現在のポーランド共和国とロシア共和国の間です。でも、これもなかなか学校で教わらない。なぜなら学校で配られる教科書の地図は、全部政治地図だから国境で区分されていて、ユダヤ人の国はイスラエル再建まで存在しないからです。

国境で分けられた地図を見ていくと、ある時代にポーランドがなくなってしまう。日本が開国して日本人が初めてポーランドのことを知った19世紀、たまたまポーランドという国家はなかったんです。これは日本から見るポーランドのイメージに大きく影響していると思います。

明治時代に一番たくさん書かれたのはポーランド哀史、「かわいそうな国、ポーランド」というイメージです。そこから、ポーランドのようにならないようにしようという見方も生まれる。

列強が並ぶ中、弱い国は食われるから、軍備をしっかりして、国を中央集権にして、強い国にならなければいけない。餌食となって八つ裂きにされた例として、ポーランドが念頭にあったことが明治の文献を見ると分かります。

柴田 福澤先生も『西洋事情』や時事新報の社説「東洋の波蘭(ポーランド)」でポーランド分割に触れています。ヨーロッパ列強の支配がアジアに及ぶ危機感を、ポーランドの状況に重ねて感じていたのでしょうね。

山中 私は、基本的にはポーランド人は外国人に対して寛容な民族性があるのではないかと思っているんです。戦前、多くのユダヤ人とともに寛容に一緒に暮らしていたことを思うと、現在、メディアで騒がれているような排外的傾向がポーランドに生じているとされることに、ちょっと違和感を感じます。

ユダヤ人を除けば、移民流入といった経験が最近はなかったので、経験が不足している面もあるかもしれませんが。

柴田 ユダヤ人や反ユダヤ主義については最近いろいろな研究が出てきています。そのきっかけの1つ、2000年にポーランドで出版された、ヤン・トマシュ・グロスの『隣人』という本には、第2次世界大戦中、実はポーランド人によって、イェドヴァブネという町でユダヤ人への虐殺が行われたことが明らかにされています。

ちょうどEU加盟を控え、ポーランド国民のアイデンティティについて議論されていたときでしたので、ポーランド人にとっての他者であるユダヤ人による、国のイメージを悪くする陰謀だというような、古くからの反ユダヤ主義が再燃しました。

まだ少ないのですが、現在、少しずつイスラム系移民も増えてきているようです。これから移民についてどのような言説が繰り広げられていくか、注意して見ていかなければいけないと思っています。

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