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【三人閑談】
ホモ・サピエンスの誕生

2019/01/25

  • 川端 裕人(かわばた ひろと)

    文筆家。東京大学教養学部卒業。日本テレビ報道局で科学報道に従事し、1997年よりフリーランスの作家となる。小説、ノンフィクションともに手掛け『我々はなぜ我々だけなのか』で科学ジャーナリスト賞、講談社科学出版賞受賞。

  • 荻原 直道(おぎはら なおみち)

    慶應義塾大学理工学部機械工学科教授。2000年慶應義塾大学大学院理工学研究科後期博士課程(生体医工学専攻)単位取得退学。博士(工学)。京都大学大学院助教を経て現職。機械工学的アプローチで人類進化プロセスを研究。

  • 河野 礼子(こうの れいこ)

    慶應義塾大学文学部准教授。東京大学理学部生物学科(植物学)卒業。同大学院理学系研究科生物科学専攻(人類学)修了。理学博士。国立科学博物館研究員を経て現職。「人類の進化における歯」を研究テーマとする。

ホモ・サピエンスに至る道

川端 人類の進化というのはテレビでもよく特集されますね。人類に生物学的な起源があることに気づいたダーウィン以来、私たちの人類学的な意味での先祖がどういうものだったのかということは、絶えず社会的な関心の的ですね。

河野 ホモ・サピエンスに至る過程は、昔は猿人、原人、旧人、新人という区分があったんですが、今はもう分類としては正しくないということになっていて、学界では基本的には使いません。でも、日本では便利なので言葉としては使っています。

これは、どれかの種を1つ指し示すという意味ではなく、例えば一番古い時期の人類を、「猿人」と呼んでおこうというように、ある段階を表す言葉として使っていて、その限りでは今でも有効だとは思います。

川端 現在から振り返れば何らかの段階を設定することができるけれど、あくまでサピエンスに至るにはこういうステップがあった、みたいな感じですよね。

分かりやすいけれど、ともすれば、進化の頂点がわれわれ、今の人類であると受け取られかねない部分もあると感じます。

河野 今、テレビなどでも、盛んに進化の過程は一本道じゃなかったと言う。それはその通りですが、「たくさん人類がいて、生き残ったのはホモ・サピエンスだけだ」という言い方はちょっとミスリーディングです。

いろいろな種類がいたかどうかについても、多くの議論があります。仮にいたとしても、ご先祖さまに当たる一部はその途中段階なわけです。だから生き残ったのはホモ・サピエンスと言っても、その前がなければ存在できないので、「20種もいて、生き残ったのは1種だけです」と言われると、「ちょっと待って」と言いたくなりますね。

川端 猿人、原人、旧人、新人とだんだん進化してきたわけでもなく、併存していたときもありますし。

河野 そうです。逆に、やたらといっぱい併存していたというのを強調されるのもどうかと。

川端 その時々によって、強調したいことが違うみたいですね。

河野 種を増やすほうが、話題としては面白いので、今は「増やす派」の人が、世間の関心をうまく集められているのではと思います(笑)。

人類の定義は二足歩行?

荻原 私は機械工学が専門ですが、機械として人間を見たときに、人間ってすごいな、人間のような機械を実現することは難しいけれど、それに挑戦していくことが機械工学として大事だなと思い、人類学の分野をやっています。

突き詰めて考えると、人間はやはり進化の産物ということになるわけです。そういう視点から人間の動きの仕組みを考えていくことは、すごく重要で面白いと思うのです。

川端 機械工学的に面白いのは二足歩行ですか。

荻原 そうですね。人類の定義は二足歩行を始めたこと、と認識されていますし。

河野 そんなこともないでしょう。そういう定義もできるけれど、先に「人の起源はチンパンジーと分岐したところです」と言っておいて、「二足歩行は結果的に始まっていました」というのが今の解釈です。二足歩行をしていない人類祖先というのも少しだけでもいるはずなんです。

荻原 それはそうだと思いますが、じゃあ、どうそれを見分けるのか。

河野 それはまた別の問題です。今は見分けられないですね。

川端 結局、どう認識できるかの問題ですよね。年代が古い骨がアフリカから出てきて、どうやら二足歩行をしていたようだとなったら、「それは人類だろう」となると思います。

荻原 確かに系統学の観点からすると河野さんがおっしゃった通りだと思うけど、実際問題としては「二足歩行をしていた」ということを、定義として用いることにはなると思います。

川端 逆に、二足歩行をしていたかどうか分からないけど、「これは人類だ」と言い得る材料は、初期人類だとどういうところなんですか?

河野 犬歯の縮小ですね。人類は犬歯が小さく、かつオス、メスの差がありません。チンパンジーなどは、犬歯が大きくて、雌雄差がありますが、それがだんだん小さくなっていくのが人間なんです。

だけどそれを証明するのは大変なんです。化石を1個見つけて「小さいから」と言っても、「メスでしょう」と言われておしまいになります。

荻原 ある程度分布が分からないといけない。

河野 そうです。440万年前のアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の犬歯は20個以上見つかっていますが、1つも大型のものがなく、皆、メス相当の大きさしかありません。そこで、すでに犬歯は小さくなっていたと主張しています。

20個見つかってその20個が片一方しか出てこない確率は限りなくゼロに近いので、そういう結論になる。でも20個見つけないとそういうことは言えない。

川端 人類学も突き詰めれば、やはり頻度の科学なんですね。最終的には頻度がどれだけ違うかを検討して、「ちょっとあり得ない?」と、初めて結論が出てくる。

でも、人類学では1点物の化石も多いので、それが言えないことも多い。そこを段々と発見することでその間を埋めて、何とかサイエンスとして妥当な解釈をしていこうという果てしない努力ですよね。

荻原 化石をベースにした学問だと、数が少ないのが当たり前なので、ばらつきを持った生物群の中に違いが本当にあるのか、ないのか、厳密な意味で言うと難しい。だから、証拠を積み上げて、いかにももっともらしいものにする(笑)。

川端 もっともらしいと言っても、「とんでも」は駄目なので。

荻原 「可能な限り正しい」ということですね。だからしょっちゅう説が書き換わることになります。今までなかった化石が出てくると考え方が変わってくる。そういう意味ではダイナミックで面白いと思います。

河野 同じ種類でも、当然、個体差がありますし。2つの化石が個体差の範囲なのか、違う種類なのか、その判断基準がない。

川端 昔の高校の教科書では、原人はシナントロプス・ペキネンシス(北京原人)やピテカントロプス・エレクトス(ジャワ原人)とそれぞれ別種の名前がついていました。それがいつからかホモ・エレクトスで統一するという話になっていきましたね。

河野 化石などがそれなりに増えて、比較するとそこまで違わないんじゃないかと、種をまとめるようなムーブメントが起こるときもある。

一方で、ホモ・エレクトスとしてまとめられていたアフリカ産の化石が、あまりにも違うので、これはまた外しましょうという動きもある。だからもう寄ったり、分かれたりを繰り返している。結局、どう分けるかは人が決めることなので。

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