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【三人閑談】
浅利慶太さんを偲んで

2018/12/17

「言葉」を大切にする

吉田 演出家の仕事の上では、本当に「言葉」を大切にされていましたね。演劇は文学を立体化した芸術だと常におっしゃっていた。戯曲の文学的な感動を、俳優が台詞を明晰に客席に届けることで、正確に伝えなければならないというわけです。

そして、明晰に言葉を届けるための方法をお考えになられた。これが「母音法」、「フレージング法」、「呼吸法」の3つです。四季の俳優たちは、今でもこの3法を徹底的に訓練しています。

岡本 どのような方法なのでしょうか。

吉田 母音法は、そもそも小澤征爾さんとの雑談の中から生まれたそうです。日本語の音声部分というのは、基本的には母音ですよね。子音は口の形に過ぎない。だから母音をしっかり分離して話せば、言葉が明晰に聞こえる。

小澤征爾さんは浅利さんに、「一音一音が分離しているピアノ演奏は、ピアノコンチェルトでも、オーケストラの音の壁を抜けて、メロディが客席に届く」という話をされた。この言葉が母音法の発案のきっかけになったそうです。音楽がそうなのだから、日本語の発音も、一音一音の母音を等間隔に分離するように話せば明晰に聞こえるだろうと思いついたわけですね。

岡本 それは、やはり四季を続ける中でだんだんメソッドとして完成されていったわけですか。

吉田 そうですね。今の形になるまでには、いろいろご苦労があったと思います。

フレージング法が確立されたのは、ラシーヌの『アンドロマック』という作品を、平幹二郎さんや市原悦子さんで上演したときです。ラシーヌのフランス語の原文では、「アレクサンドラン」という美しい韻律が用いられ、流麗な台詞が書かれている。これを、どうやって日本語で語るかを考えたわけです。

台本上の日本語の台詞は、句読点によって句切られています。しかしこれを話すとき、意識の中のイメージの切れ目は句読点とは別のところに存在している。このイメージの変化のポイントを見つけて語ることが大事だということです。

このポイントについて浅利さんは、「ポキッと意識が折れるところ」という言い方をしていました。だからフレージング法は、別名「折れ法」とも呼ばれています。

とにかく言葉を大切にしていましたね。だから俳優たちには、その言葉が持っているイメージを、豊かに語ることを求めていました。

言葉のイメージの豊かさはどこから生まれるかというと、それは俳優自身の文学的な素養であり、教養を深めるための経験からです。だから俳優たちには、ただ稽古をしているだけでなく、本を読んだり、美術展に行ったりして、イメージを膨らませる努力をしなければならない、といつも話していました。

慶應義塾への想い

北里 浅利君は「福澤ギライが直るまで」という題で慶應の卒業式の祝辞を読んでいますね(1997年)。学生時代は何かと福澤諭吉という名前に反抗していたようですが、本当に嫌いだったというわけではなく、福澤先生、そして慶應義塾は素晴らしいんだということに後から気が付いたのだと思います。

吉田 本当に慶應義塾を愛してらっしゃったと思いますよ。相手が私だというのもあると思いますが、浅利さんとは、何度も慶應の話をした記憶があります。

また、我々は日本全国で公演を行っていますが、そのネットワークをつくる時に浅利さんが頼りにしたのが、やはり三田会でした。三田の先輩たちを訪ね歩いて、チケットを買っていただいた。いまでもそういう方々が日本中にいらっしゃいます。

ご自身でつくられた『ジョン万次郎の夢』というオリジナル作品の中に、福澤先生を登場させたこともあります。

北里 後年、福澤諭吉の偉大さというか、本当に素晴らしい人だったということを完全に理解していましたね。これは間違いないですね。祝辞の中でも「私たちの精神の原点は福澤諭吉なのだという確信をもつようになった」と言っている。

吉田 私が札幌に勤務していた時、浅利さんと一緒にお寿司を食べに行ったことがあります。その時、「お前は慶應を卒業しているのか」と問われて、「しています」と答えたら、「俺は卒業してないんだよ」と寂しそうに言う。

芝居を志し、ご自身の意志で大学を飛び出た浅利さんが、卒業しなかったことを後悔していたとは思わなかったので驚きました。

「特選塾員になってからは気にならなくなったがね」ともおっしゃっていました。

北里 やはり評議員会などは、福澤諭吉や慶應に対する気持ちがあるから必ず来ていたのだと思いますね。

吉田 評議員会にも、忙しいスケジュールの合間を縫って出席されていました。プライオリティの高い会合だと考えておられたと思います。

一番興奮して評議員会からお帰りになってきたのは、横浜初等部の開校の延期が議論された時ですね。「絶対に延期すべきじゃないと話してきた」と興奮しておられた。初等部は、劇団四季の稽古場のそばにありますから、「あのあたりの地理感覚は、皆さんにはないでしょう、私はあそこに毎日通っているんだ」と大演説を打ってきたと(笑)。

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