三田評論ONLINE

【三人閑談】
「アメコミ」のちから

2018/11/26

マーベルとDC

園田 アメコミ映画のストーリーは、日本のヒーロー物の映画より、はるかによくできていますね。

杉山 そこが今まで誤解されてきた部分で、タイツを着たマッチョの単純な話だと思っていたら、意外に深いということに気づき始めた。

園田 単純な勧善懲悪じゃないと。

菅家 逆に最近のマーベル作品群は、いろいろなところで結びついているじゃないですか。全部見ていれば、「ここがつながっている」というおもしろさがあるのですが、そうでないと、「え、なんでいきなりこうなるの」みたいな。

園田 先週、『アントマン&ワスプ』(2018年)を見てきたのですが、最後に消えちゃうじゃないですか。あれはマーベルのシリーズの前作とつながっていますよね。隣にいた女の子が、「なんで」って彼氏に聞いても、彼氏も見ていないから分からない。

杉山 でも、そこが分からなくても基本的には、悪いやつをやっつける話なので(笑)。確かにマーベルのあのビジネスはすごいと思いますけどね。

園田 今、マーベルのほうが人気がありますよね。

杉山 以前はDCでしたけど、マーベルはキャラクターが多いですし。

菅家 DCのスーパーマンとかバットマンのほうが「ザ・ヒーロー」という感じがしますけど、最近マーベルの映画が多くなってきたので。

園田 DCはちょっと映像が暗めじゃありませんか?

杉山 DCは特に『バットマン』の世界観に引きずられているところはあると思うのですね。

もともとコミックはDCのほうが先で、第2次世界大戦前に出るのです。バットマンは犯罪と戦い、スーパーマンはナチと戦ったりする。アメリカ的な正義やモラルというものを自分たちが守るというのがDCの路線です。DCって、Detective Comicsの略で、要は「刑事物」ということだから犯罪と戦うんです。

マーベルというのは、出てきたのがベトナム戦争の頃なので、カウンターカルチャーなんですね。だから、スーパーヒーロー物をちょっと違う視点で見ている。

園田 今回原作コミックスを読んでみて、もっと子どもっぽいかと思ったら、結構複雑で難しいですよね。読者の年齢層はどのくらいなんですか。

杉山 いわゆるヤングアダルトではないかと思いますね。大雑把に言うと、アメリカのコミックは、もともと「子どもが読む」という前提だったので、一般書店で売るとき、性的なことと暴力的なことは極力排除したのです。

ところが描くほうからすると、性と暴力を描かないと話が進まない。それで一時期、コミック専門店などで買うような、きわめてオタクなカルチャーになっていくんですね。

だけど、一方でアニメとか子ども向けの商品展開も途中からやるようになる。だから、アメリカ人で『バットマン』をコミックで読んでいる人はほとんどいないと思います。

菅家 性的な描写や暴力的な描写に対してコミックス・コードができたのは、1950年代のことです。ある精神科医が、コミックスの表現を何でも自由に子どもに見せるのかと、規制を呼び掛けたんですね。そこで、一般書店やスタンドで販売するコミックスは、コミックス倫理規定委員会が検閲したものでないといけなくなったのです。

それが、だんだんと倫理規定委員会を通さずにコミック専門店に卸すようなものが出てきて、販売系統が違ってきてしまったのですね。だから、皆が知っているような明るいヒーローのコミックスと、ダークなコミックスとに分かれていったのかと思います。2011年にコミックス・コードは廃止されましたけれど。

スーパーヒーローは変身しない⁉

菅家 日本のコミックスだと、例えば『コブラ』(寺沢武一)みたいなものはアメコミの影響が見られると思うのですが、日本のメインストリームってこういう感じではないですよね。

園田 日本の漫画のほうがウエットかなという気がします。すぐ泣き出したり、「皆で頑張ろう」と主張したり。アメコミの場合は主張はバラバラでもいいわけじゃないですか。

杉山 アメリカン・コミックは一部のものを除くと、出版社が権利を持っているのです。だから、1つのキャラクターのアーティストをどんどん変えていくのですね。

正義のために戦うという点は基本的に変わらなくても、時代によって思い描く正義の定義が違う。例えば第2次世界大戦だったらナチスを倒すことだし、70年代だったらドラッグ・ディーラーを倒すとか、いろいろな製作者側の正義感が反映されるのです。アメコミの場合、例えば映画のクリエーターによる『アイアンマン』の正義の解釈は、コミックと違っていても別にいい。

日本では、一人の作家が描くから、例えば『サイボーグ009』は、ずっと石ノ森章太郎さんの正義感なんです。私小説的なんですね。だからウエットなんです。

菅家 日本のアニメって、皆、変身シーンがあるじゃないですか。

園田 しかも見得を切りますよね(笑)。歌舞伎的なんですかね。

菅家 『セーラームーン』とか、子ども心に変身する時間が長いなと思っていたんです(笑)。

一方、スーパーマンは下にタイツを着て、上は普通の服を着ている。だから、あくまでも同じ人間なんですよね。変身というよりは、マスクを取るイメージに近いのかなと思いますね。日本は虹色のパワーで、ジャーンみたいな。

園田 初期の仮面ライダーは改造人間ですからね(笑)。

杉山 アメコミは何か立場を変えるだけのための変身ですよね。スーツを着ていられないからスーパーマンの格好になる。超人としてのスペックは変わらない。

スーパーマンは移民のメタファー、要するに理想の移民なんですね。昔の『スーパーマン』のテレビシリーズは、「スーパーマンです。彼はクラーク・ケントと名乗って正体を隠している」という設定でした。つまり、スーパーマンのアイデンティティのほうが正しくて、クラーク・ケントが仮の姿なんですよ。

まあ、クラーク・ケントのほうが本当のアイデンティティで、正義を守るためにスーパーマンという仮の姿をするようになった、というコミックもあるのですが。ただブルース・ウェインとバットマンでは、バットマンが本当の姿なのです。でも、アイアンマンは逆なのですね。

そこがDCとマーベルの差で「まずヒーローである」と考えるのがDCで、マーベルは「まず人間である」と考えている。

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