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【三人閑談】
童謡は時代を超えて

2018/03/01

童謡に触れる機会

大石 今、「芸大とあそぼう」というコンサートシリーズを企画して制作しているのですが、このあいだ「芸大とあそぼう in 北とぴあ」というコンサートをやりました。

ある物語をつくって、その中にいろいろな既成の音楽をはめ込んでいく。もちろん音楽だけ聞かせてもいいのですが、小さい子どもたちはただずっと座って聞いていると途中で飽きてしまったりするので、子どもたちも参加できるような構成の舞台を考えて、そこに必ず童謡とか子どもの歌を入れるんです。

このあいだは『お猿のかごや』を入れました。戦前の歌で、その曲ができたときにはもちろん僕もまだ生まれていないですが、僕は知っている。でも、そのとき出演した北区の合唱団の子どもたちは、誰も『お猿のかごや』を知らないわけですが、あえて新しい歌ではなく、『赤い鳥』の頃に生まれた歌も演奏して取り上げるようにしています。

それは、そういうものに触れてもらう機会をできるだけ増やしたほうがいいと思っているからです。

片岡 子どもたちの反応はいかがですか。

大石 古い歌、といった感覚はもっていないような気がします。子どもたちにとっては、ほとんどすべてが初めて触れるものですから。童謡に限らず、子ども=こういうイメージだと考えて、こういう音楽を与えていればいいというのは、大人として驕っているのだと思います。子どもは感受性が非常に豊かだし、表現もストレートです。

だから、中田さんは「子どもに媚びない」という言い方をするわけですが、私も演奏会をつくるとき、そういうことは気を付けています。

若松 素晴らしいことですよね。童謡を大事になさっている現場の先生方もたくさんいらっしゃるのですが、先生方の中には、教科書に載っているもの以外の童謡をご存じない方もおられます。

教科書のスペースは本当にわずかなので、数えられるだけの童謡しか入れられない。でも、他にもいい童謡ってもっとたくさんあるのに、とは思いますね。最近は、学校以外でもなかなか童謡が聴ける機会はありません。

大石 テレビ朝日が童謡の歌唱コンクールをやっているというのは、そういう意味もあるんですよね。

若松 本当に貴重な番組だと思います。

子どもの感情を揺さぶる

片岡 もう1つ思うのは、言葉、メロディも大切ですが、子どもは感情を揺さぶられるのがすごく好きだと思うんですよ。私が好きな童謡の1つ『あめふりくまのこ』……。

大石 ああ、湯山昭さんの。

片岡 あの曲の世界って、そこはかとない悲しさがあるじゃないですか。くまがずっと餌のさかなを待っているという。子どもは元気がよくてワクワクする曲も好きだけれども、ああいうちょっとホロッとするようなものも好きなんです。

だから、子どもも大人と同じようにいろいろな感性をもっていて、いろいろなことに心を震わせたいと思っている。童謡というと1つのパターンになりがちですが、子どもの未開発の感性を刺激するような歌がもっとあっていいのではないかと常々思っています。

私の曲の『グリーングリーン』は、お父さんと死別するという、言ってみれば子どもの歌ではタブーのようなテーマですよね。

大石 ハッピーなものではないですね。

片岡 けれども、あの曲が好きな子どもはたくさんいるんです。いまだに「お父さんはどうしたんですか」と私のところにも手紙が来る(笑)。ついこのあいだも高校生から来ましてね。

大石 何てお答えになったんですか。

片岡 こういうものだと決まった解釈はなくて、受け取る人が自由に解釈して、自分の気持ちをそこに乗せてくださいとしか言えないんです。ただあれは、実は山本直純さんがテーマソングを書いた『歌のメリーゴーランド』というNHKの30分番組でつくった歌だったんです。

たしか水曜日が音録りで、前の日の火曜日の夜に詩を書きました。

若松 へぇー、前の日ですか。

片岡 夜中に書いたんですよ(笑)。『グリーングリーン』のメロディに惹かれて詩をつけようと思いました。元の曲はアメリカのフォークグループのニュー・クリスティ・ミンストレルが歌っていて、ヒッピーが親から旅立っていくという歌なんです。

『歌のメリーゴーランド』は子どもの番組なので、そのまま訳したのではアピールできないと思い、行き詰まっていたのですが、そのときベッドで眠っていた3歳の娘が目に留まり、ふと、もし自分がこの子を残して死ぬとなったら、どういうことを思うだろうかと考えたんです。それであれがパパッとできた。

もう1つ、日本の子どもの歌にはお母さんはたくさん出てくるのですが、お父さんがあまり出てこない。だから、お父さんの歌をつくりたいというのもありました。

つくっているときは自分でも少しうるうるしていました。そして放送されたら、とたんにビクターのディレクターから電話がかかってきて、レコードにしたいと。やはり自分の心が動かないような歌は、聴く人の心も動かすことはできないとそのとき感じました。

創作はある意味、非常に冷静で知的な営みですが、考えるだけでは人の心を動かすことはできないと、実感として学びました。

理屈で「子どもにこういうメッセージを」というのではなくて、自分の頭の中に具体的な名前と顔を持つ子どもの姿があって、その子に何を伝えたいだろうと問いかけながら、その子に向けて書く。その子の後ろにはたくさんの子どもがいるわけです。

抽象的に子どもをとらえてつくると、どうしても頭の中でつくったものになってしまう。校歌をつくるときは必ず現地に行き、生徒と話してから書きます。

大石 童謡をつくるというとき、子どもの歌なので童心に帰って詩を書くと言う人もいます。でも、例えば中田喜直さんは、子どもの童謡をつくるときに子どものことはあまり考えない(笑)。そうやって曲をつくっているわけですよね。

片岡 子どもにではなく1人の人間に向かってつくる、ということですよね。

若松 子どもも大人も聴ける童謡もあって、心を育む音楽であるという点では同じだと思います。

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