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【三人閑談】
童謡は時代を超えて

2018/03/01

子どもが好きな歌とは

大石 片岡さんは、これまでどんなことを考えて童謡をつくってこられたんですか。

片岡 コルネイ・チェコフスキーというロシアの文学者が書いた、『2歳から5歳まで』という厚い本があります。その中に自分のお孫さんが遊んでいるのをずっと観察して、子どもが歌を好きになる要素を10くらい抽出している章があって、それを読んだら、『とんでったバナナ』が子どもにアピールした要素がすべてあてはまっていると気づいたんです。

彼が言っているのは、まず詩については、詩に使われている言葉を耳にした瞬間に子どもの頭の中にイメージとしてパッと浮かぶものでないと駄目だということ。そして、その浮かんだ場面が、ずっと同じでは子どもはすぐ飽きる。急速に展開・変化していく必要がある。

言葉自体も、子どもの発達段階に即して、最初は名詞がいい。子どもはパパとかママとか、1語の名詞から始まりますよね。その次に、食べるとか走るという動詞が出てくる。形容詞とか形容動詞というのは、発達段階でいうと最後だというんです。

若松 なるほど。

片岡 私の歌で言えば、最初に「バナナが いっぽん ありました」というと、バナナがパッと頭に浮かぶ。そして、「あおい みなみの そらのした」。バナナは消えて、今度は青い空の場面です。「子どもがふたり」というと、子どもが浮かぶ。そのように場面がポンポン展開していくし、しかも複雑でないので、情景が子どもの想像力でも描けるというところがポイントになりますね。

この場面が物語的にどんどん展開していく、その意外性も子どもにとっては大変魅力的だと書いてありました。展開が予想どおりでも、子どもは予想が当たったというので喜ぶし、当たらなくてもその意外性を面白いと感じる。また、物語の進行の中に繰り返しが入ることも好きだというんです。

このようなことを、子どもは理屈でなく、感覚的にわかっていて、それで好きな歌というのが生まれるということなんですね。

大石 メロディというのはどういう位置付けなのでしょう。

片岡 もちろんメロディも非常に重要です。「フック」(引っ掛かり)という言い方がありますが、人の心に引っ掛かって、記憶に残るようなメロディかどうか。

「とんでったバナナ」では、童謡の中にラテンのリズムをもってきたのは、桜井さんのこの曲が初めてだと思います。リズムが弾んでいる、というのも、子どもが喜ぶ1つの原因だとチェコフスキーも述べています。

ですから詩だけではなく、弾むリズムと覚えやすいメロディ、記憶に残る「バナナン バナナン バーナーナ」という繰り返し、そういった要素が組み合わさって子どもに好かれたのだろうなと思います。

若松 やはりいい詩とメロディに尽きるんですよね。合唱の仕事、作曲をずっとやってきて感じるのは、どちらかが欠けていると、絶対にロングランしない。それだけ子どもは敏感で、よく見抜くんです。

言葉に関しても、ただ「きれい」とか「楽しい」だけではなくて、そこに深みがないと持たないと思うんです。川柳でも、単なる五・七・五ではなく、書いてある先に何か語っているものがないと面白くないじゃないですか。そういうシンプルだけど深いというものが童謡にはあると思います。

メロディも、童謡は基本的にシンプルなものが多いと思うんですね。歌いやすい、覚えやすい。だけど、それだけでは駄目というか、その引っ掛かりですよね。

中田喜直先生の曲というのは、特に順次進行(音階の隣り合った音へ移動すること)が多いんですよ。本当に1音ずつ上がり下がりするので、歌いやすいし覚えやすいけれども、必ず仕掛けがある。だからこそ、現代の作品の中でもよく歌われ続けているんだと思います。

メロディが見える詩

大石 例えば『赤い鳥』でも、歌のメロディのついていない童謡がたくさんありますね。片岡さんが詩を書くとき、この詩にメロディがつくと想定して書かれるのですか。

片岡 基本的には自分なりに声に出してみながら書きます。ただ、それだとどうしても定型詩的なリズムを持つ詩になってしまうんです。

『七人の刑事』という番組のテーマソングで知られる山下毅雄さんという塾出身の作曲家と、名古屋のテレビ局で連続人形劇をつくったことがありました。

熊倉一雄さんなどテアトル・エコーの人たちに出演してもらったのですが、そのときは定型詩ではなくて、本当に話し言葉で詩を書いたんです。

それに山下さんが非常に巧みなメロディ、しかも子どもが好きなメロディをつけてくれた。そのときは、韻やイントネーションとかを考えないで書いたものが、こんなふうに歌になるんだと発見がありました。

若松 「あっ、この詩はすごいな」と感じるときは、詩の中に必ず挑戦状みたいなものが入っているんですよ。これを調理してみろと問われているような感じで、やってやろうじゃないかと思いますね(笑)。だから、型に収まらない詩というのは、作曲家としてはうれしいですね。

片岡 白秋などの詩はとてもきれいで、流れるようですが、先ほど紹介した「聞いたか 聞いたか スズメのこそこそ話」という歌も、言葉としてリズムもあって、メロディもピタッと合っていた。ですから、どんな歌であっても魅力があるものは魅力がある、ということになってしまいますが。

大石 その分析が難しいですよね。法則があるかというと、こうやればいいというものはないわけで。

若松 詩人の方でも、メロディが見える詩をつくられる方はいらっしゃるんです。言葉の選び方とか流れでしょうかね。

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