三田評論ONLINE

【三人閑談】
少数言語を旅する

2018/01/01

東京でアイマラ語を学ぶ

井上 藤田さんはアイマラ語の勉強には、どのような教材を使われていますか。

藤田 基本的には、スペイン語を通じて現地で教えてもらうかたちになります。ただケチュア語であれ、アイマラ語であれ、最近は英語でもいくつか重要な教材が出てくるようになりました。1960〜70年代にアメリカのいくつかの大学が大型の研究費を取って、母語話者を招聘し文法書と教科書、問題集、教師向けのガイドブックなどをつくるかなり大掛かりなプロジェクトが走っていたことがありました。

最近は日本でも若い言語学者の人が南米、中米の先住民言語のフィールドワークをしに出かけていくようになっていますが、日本でこの地域の言語を勉強するのは依然としてハードルが高いかもしれません。

アイマラ語については、PARC(アジア太平洋資料センター)というNGOが東京にあって、そこの「自由学校」で、一昨年と去年の2年間、アイマラ語の講座という市民講座を行いました。

そうすると、受講生が10人前後集まるんです。ギリギリですが開講できる人数が集まる。私もそんなことは全く予期しなくて、どうせ成立しないだろうと思っていたら、なんと2年連続して成立してしまった。

井上 それはすごいですね。皆さんどんな動機で学びに来るのですか。

藤田 例えば、アンデス地域のフォルクローレの音楽は日本人にもファンが多いですから、自分が歌っている歌詞の意味を知りたいといった関心もあります。

あるいは現地に駐在したことがあったり、暮らしていたことがある方などですね。また、言語自体にそもそも関心がある方もいました。東京だけでも10人ぐらいは毎年コンスタントに受講生が来る、というのは新鮮な発見で、やってみるものだなと感じました。

佐藤 うれしい驚きですね。語学出版社としても希望を感じるお話です(笑)。

井上 世の中の外国語学習はビジネス向けの英語が主流ですが、そういうところとはちょっと違う言語に目を向けようとする人たちもいるということですね。ビジネス上の目的ではなくて、興味のあることを学びたいと。

藤田 先ほどお名前が出た千葉大学にいらっしゃった金子亨さんが書いた『先住民族言語のために』(草風館)を読んでいると、複数のレベルで「多言語」について考えることができるのではないか。グローバルな意味での共通語、ある国家で生きていくときに必要とされる言語。そして、それとは別に、地域の中で人々が大事にしている言語もある。

いくつもの層があって、そこで必要とされる言語が変わってくるということだと思うのです。世界中で、複数の言語を使い分けながら生きていくことは、決して特殊なことではなく、普通に生きている人々が日々やっていることです。これが理解されて、研究者ではない一般の人たちにも、そのように複数の言葉で人とつながろうという考えの人が増えてくれるといいなと思います。

日本語に近いアイマラ語

藤田 アイマラ語は、接尾辞をひたすら単語の後ろに付けていくという意味では、助動詞と助詞を使う日本語と非常によく似ています。しかし日本語のような、漢字を組み合わせて熟語でいろいろ表現していくという手段はなく、接尾辞だけで全てを表現し分ける。ですから、日本語より接尾辞の組み合わせがはるかに複雑に発達した言語です。日本語とよく似ている面があるので、日本人が学ぶにはアイマラ語は相性がいいのかもしれません。

井上 スペイン語よりは日本語に近いかもしれない。

藤田 そうですね。一方で、アイマラ語は一人称、二人称、三人称以外にも、もう1つ、一人称複数の「わたしたち」について、話している相手が含まれるか含まれないかという区別を厳密に行います。アイマラ語の文法では「話し手を含むわたしたち」を伝統的に四人称と呼んでいます。

井上 英語だと、「exclusive we」と「inclusive we」という言い方をしますね。相手を含めるかどうかについては英語では区別しないので、とても面白いですね。

藤田 アイヌ語でも、この四人称という体系が文法的に存在しています。

実は、私もアイマラ語の先生に、「アイマラ語に四人称があるからには日本語にも四人称があるだろう」と言われたんです。「いや、ない」と答えたら、「そんなことはない、よく探してこい」と妙な宿題を出されました(笑)。それで「アイヌ語にはあるらしいですよ」と答えたら、「よし、おまえはそれを勉強して俺に教えろ」と言われました。アイヌ語を勉強し始めた頃のことです。

佐藤 アイマラ語ではラテン文字を使うのですか。

藤田 植民地時代、つまり16世紀にスペイン人が先住民言語を記述しようとする試みを始めているので、すでに500年以上、アルファベットで表記をしようとしてきた歴史があります。

また最近は、広い意味で「文字」の概念を拡張していこうという動きがあります。例えば、アンデスでは縄にそろばんの珠(たま)のような結び目をつくって、その結び目の色や形、位置などで物事を表現するということがされてきました。

もともとは統計を記録するためのものだったのですが、それだけではなく、歴史や神話を記録することもできたのではないかと言われています。

つまり、その結び目を文字のようなもの、広い意味で「書き記されたもの」として考えて、どのようなシステムを持っているのかを明らかにすることで、小・中学校の国語教育に生かせるのではないかという研究が、アンデスでも進められています。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事