三田評論ONLINE

【三人閑談】
少数言語を旅する

2018/01/01

共通語、公用語

藤田 スペイン人の到来する直前の時期、アンデス地域ではケチュア語が共通語として使われていました。スペインによる植民地支配の時代も、共通語があると都合がいいので、例えばカトリックの普及に共通語を使おうとすることがあったりしましたが、今ではより話者数の少ない言語の話者が、隣接しているより強い先住民言語であるケチュア語にスイッチしていくという動きが少しずつ進んでいます。

井上 ボリビアの公用語はスペイン語だけではないのですよね。

藤田 今ではアマゾニアの低地も含めて、35の言語が全て公用語だということになっています。

井上 政府とか政治のレベルはスペイン語?

藤田 基本的には事実上スペイン語が優勢なのですが、できるだけ先住民言語にさまざまな文書を翻訳すべきだとされていて、公務員も、スペイン語と、自分が勤務する地域の先住民言語を運用できることが義務として定められています。

井上 なるほど。国語という概念はなかなか難しいですね。公用語に等しいような意味で国語と呼ぶ場合もあれば、この国で話されている全部を国語、と呼ぶ場合もある。

私がやっているNPO法人の前の理事長の阿部年晴先生は、アフリカの人類学の研究者で、アフリカもそういうところが多いという話を聞きました。部族間の言語があって、共通語があって、その上に英語やフランス語などの公用語がある。3層構造みたいになっているところが結構あるそうです。

佐藤 アイマラ語を日本で研究している人というのはどのぐらいいるんでしょう。

藤田 ケチュア語のほうが話者数も多くて、日本でも研究している言語学者がいます。アイマラ語になるとなかなか難しくて、逆に世界中で何人研究者がいるだろうか、というレベルです。

アメリカでも、アイマラ語の社会言語学で1人、私の同世代の研究者はいます。あと、オランダ人でアイマラ語の文法で最近博論を書いた人がいる。ほぼ全員が把握できてしまうくらいの人数です。

多様な語学書を出版

佐藤 私どもは出版社ですので、あくまで黒子役として本を世に出す手助けをさせていただいている立場ですが、そういったいろいろな言語についてご執筆をいただける研究者を探すというのが、実際は一番大変な仕事です。信頼に足る優れた研究者を見つけられるかどうかというのが、語学書を出すうえでは大きな鍵になっていると思いますね。

井上 現在130の言語について出版されているということですが、世界の言語数からするとまだ少ない、ということでしょうか。

佐藤 そうですね、ほんのひと握りです。言語数は数え方によっていろいろ異なりますが、いずれにしても当社が出している113というのは本当に微々たるもので、まだまだ当社がやらないといけない言語の出版の仕事は際限なくあるということだと思います。

2016年、東ヒマラヤにあるブータンという多言語国家の国語で、ゾンカ語の単語集を日本で初めて出しました。国と言語の名前が一致しないケースですね。

井上 数年前、この三田にもブータンの国王とお妃さまがいらっしゃいましたね。

佐藤 そうですね。国民総幸福量(GNH)という概念を提唱されておられましたが、その概念の柱の1つにも、ゾンカ語、独自の言語を推進していくというものがありました。ブータン自体はもともとイギリス領で、英語が普通に通用するのですが、ブータンの国をまとめるアイデンティティとしてゾンカ語を使おうという動きがあるようです。

井上 言語数については、Ethnologue(https://www.ethnologue.com/)というサイトでは、だいたい7000ぐらいと書かれています。

でも、130というと、そんなに学んでいる人が多くない言語も多くあるわけですよね。

佐藤 そうですね。世界には本当にたくさんの言語があって、そのような多様な言語があることをまず知ってもらいたい。言語は文化とイコールだと言われたり、文化を構成する1つの大きな要素と言われたりもしますが、言語を勉強することによって、世界のさまざまな文化に触れてもらいたいということも当社の大きな主眼です。

当社のような出版をしていて、「儲かりますか」とよく聞かれます。これは正直言いまして、商売としてはなかなか厳しい。

井上 でも佐藤さんまで3代も続いていらっしゃるわけで(笑)。

佐藤 もちろん英語やドイツ語、フランス語など学習者の多い言語の本も出させていただいているので、それとあわせて何とかやっていけているという感じです。やはり特殊な言語だけで採算を取るというのは非常に難しいですね。でもどこかの出版社がやらないといけないことだと思っています。

井上 素晴らしいことだと思います。

佐藤 ありがとうございます。最近の話ですが、国賓として来日されたルクセンブルクのアンリ大公を歓迎する宮中晩餐会に、当社の『ルクセンブルク語入門』の著者である田原憲和先生が招待され、この本の影響の大きさを実感したとおっしゃっておられました。ルクセンブルク語は人口約60万人の小国ルクセンブルクの国語ですが、実用範囲の低い少数言語で、そういった言語の研究者が評価されたのは出版社としても大変うれしく励みになることです。

また一昨年、ウクライナのポロシェンコ大統領が来日された際、同国の聖オリガ公妃勲章が当社のウクライナ語の対訳書『シェフチェンコ詩選』の著者、藤井悦子先生に授与されました。ウクライナ近代文学の父であるシェフチェンコの作品をウクライナ語を通して日本で出版したことが評価されたとのことでした。これらの言語があるということ自体、日本ではあまり知られていませんので、当社の出版を通して知っていただけたら嬉しいですね。

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