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【三人閑談】
少数言語を旅する

2018/01/01

  • 佐藤 歩武(さとう あゆむ)

    株式会社大学書林取締役。1990年慶應義塾大学経済学部卒業。大日本印刷勤務を経て、祖父が昭和4年に創業した世界113の言語の出版を行う語学専門出版社である大学書林の現職。

  • 井上 逸兵(いのうえ いっぺい)

    慶應義塾大学文学部教授、NPO法人地球ことば村・世界言語博物館理事長。専門は英語学・社会言語学。著書に『グローバルコミュニケーションのための英語学概論』ほか。

  • 藤田 護(ふじた まもる)

    慶應義塾大学環境情報学部専任講師。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻単位取得退学。専門はアンデス人類学、およびアイヌ語とアイヌ語口承文学。

少数言語との関わり

井上 今回はいわゆる「少数言語」がテーマですが、大学書林さんは、日本人にあまり馴染みのない言語も多く扱っている貴重な語学書の出版社としてよく知られています。

佐藤 大学書林は私の家業で、祖父が昭和4年に創業しました。現在父が社長を務めていますが、おかげさまで創業89年目です。世界の130の言語を出版させていただいている語学専門出版社として、小さい頃から父、祖父の背中を見てまいりました。ですから少数言語の本にも家の中で触れるという環境でした。

当社は創業以来、世界の言語に関わる辞典、文法書、会話書、単語集、対訳書などを出版、一貫して語学書のみに専念しております。ご指摘のようにイディッシュ語、ウルドゥー語、スロヴェニア語、ロマンシュ語、カザフ語、アルメニア語、ハウサ語、シュグニー語など馴染みのない言語に囲まれながらという感じです。

井上 藤田さんはアンデス地域の言語がご専門ですね。

藤田 ええ、特にペルーやボリビアといった国々の地域研究を専門としてきました。大学の途中からスペイン語をずっと勉強していて、今もスペイン語の教員として湘南藤沢キャンパス(SFC)で働いております。

地域研究は、その社会で人々が話している言葉をまずは話せるようにならないといけません。特に南米のアンデスの国々はケチュア語、あるいはアイマラ語といった、もともと先住民の人々が多く住んでいる地域なので、スペイン語を話す人でも、かなり多くの人がケチュア語あるいはアイマラ語といったもう1つの言語を話している。とすると、やはり話せるようにならないと人々の世界に入っていけないことになります。ペルーやボリビアを対象地域とする研究者は、私ぐらいの世代から、かなり多くがケチュア語やアイマラ語を勉強し始めました。

佐藤 アイヌ語も学ばれているのですよね。

藤田 日本に戻ってきたとき、アイヌ語の研究をされている中川裕さんという千葉大の先生のことを知りました。それでアイヌ語を勉強しに行きながら、そこの大学院生の研究を参考にして、自分もアンデスの研究を博士課程でやるようになったわけです。

井上 私は専門が英語学、社会言語学なのですが、少数言語との関わりとしては、例えばアメリカは完全に英語が国の中で先住民の小さな言語を消滅させてしまっていますね。日本語とアイヌ語の関係もそうだと思うのですが、その一方で、例えばアフリカなどだと英語がいわゆる公用語になっていて、小さな言語もある意味保たれている。英語が世界中で他のいろいろな言語とどう関わっているかというところに関心があります。

藤田 井上さんは「地球ことば村・世界言語博物館」の理事長も務めていらっしゃいますね。

井上 これはNPO法人で、藤田さんがアイヌ語を学ばれた中川さんの先輩に、千葉大の金子亨先生という方がいらっしゃいました。もうお亡くなりになったのですが、その方が残された部分も大きなウエイトを占めるウェブサイトなんです。

「博物館」という名前なので、夏休みの終わり頃になると子どもたちが「そこに行きたいんですけど、どこにあるんですか」とよくお問い合わせいただきます。でもこれはネット上にしかない、架空博物館です(笑)。

サイトを私が直接つくったわけではなく、金子先生やいろんな言語を専門にしている方々に書いていただいているものからできています。毎月、三田キャンパスでサロンと称して、いろいろな言語の研究者や大学院レベルの若い方などにお越しいただき、お話を伺っています。

アンデス地域の言語

井上 藤田さんがアイマラ語、ケチュア語と最初に出合ったときの印象はどんなものでしたか。

藤田 最初はそもそもスペイン語が話せるようになることで精いっぱいでした。

現地で調査する場合、われわれは向こうの人々とほとんど生活をともにするような形で行います。そうすると、普段町中で人々と話すぶんにはスペイン語でも十分に通じますが、村で1日の農作業を終えて家族が戻ってきて、あたりが真っ暗になった頃、家の台所兼食堂に当たるところだけケロシンランプをともして、薄暗いなか家族みんなでしばらく話している。ペルーでの体験ですが、そういうときはやはりスペイン語ではなくて、ケチュア語を使ってみんなで話しているわけです。

家族という親密な空間のなかで、もう1つ別の言語を使って人々が大事なことを話しているんだと感じたことは、その言語を勉強しなければいけないと思った大きなきっかけでした。

佐藤 どんな言語だと感じましたか。

藤田 最初はもちろん、何を聞いても全く意味の分からない音の羅列にしか過ぎません。ただ、ケチュア語のほうは子音の後に母音が来ることが多いのに対し、アイマラ語は子音が連続することがあって、多いときは4つ、5つの子音が連続します。ですから、ケチュア語のほうが柔らかく、アイマラ語のほうがとがって聞こえると現地の人々はよく言います。私自身はあまりそのように思ったことはありませんが。

井上 アンデス地域の言語というのは、その2つ以外にもたくさんあるのでしょうか。

藤田 私はアンデスの山の、標高3000メートルを超えるようなところの町や村に普段出かけていますが、そこは今、話されている言語の数はそれほど多くありません。

もともと言語の多様性は、アマゾニアを中心とした標高の低い熱帯のほうに集中しています。ただし、例えばケチュア語は、それ自体が1つの言語ではないと今では考えられるようになっています。そのさまざまなケチュア語は、全部合わせて900万人ぐらい話者がいます。

佐藤 アイマラ語はどのくらいの話者がいるのでしょう。

藤田 200万人ほどで、これも南アメリカ大陸では話者数が多いほうです。

アイマラ語と同系統の、より古い形をとどめていると考えられているハカル語という言語があります。これは、ペルーの首都リマの近郊の山地で、話者は1000人を切っています。

アイマラ語を話す人やケチュア語を話す人は、かなり最近になってアンデス全域に広がったと考えられていますが、より古くからアンデス高地に暮らしていたウルと呼ばれる人たちが話すボリビアのウルチパヤ語も、1500人ぐらい話者がいる。

井上 そのくらいの話者数の言語がたくさんあるのですね。

藤田 それらの話者数がだいぶ少ない言語は、もう絶滅するだけではないかと思われていたのですが、20世紀の終わりくらいから実は持ち直しているんです。人々がその言語にアイデンティティを感じだして、親から子どもへの継承も改めて行われるようになりました。言語によっては村人たちが専門のラジオ局も持つようになったり、もう1回活力を取り戻しつつあります。

ケチュア語、アイマラ語の分布
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