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【三人閑談】
おいしい発酵

2017/12/01

人間本来の「におい」

井奥 よく発酵料理で臭いものとして言われるのは、フィンランドのシュールストレミングですね。

小泉 地獄の缶詰ね(笑)。あれもすごいですね。ニシンを発酵させたものですが、缶詰を開けるときに、あまりにも臭いから、3つの注意書きがあるんです。「1、家の中では絶対に開けるな」「2、開ける人は不要なものを身にまといなさい」そして3番目は、外で開けるときも「風下に人がいないことを確かめろ」(笑)。

東京工業大学の研究室で調べたら、納豆のにおいが470ぐらい。焼く前のくさやが680ぐらいで、焼いたくさやが1200ぐらい。ちなみに、私の靴下は120ぐらい(笑)。でも、シュールストレミングの缶をシュッと開けてみると、12000ぐらいになるんです。

生江 もはや危険物ですね(笑)。

小泉 そういうところも発酵というのはおもしろいですね。ただ、発酵食品のにおいというのは、どこか魅力的です。くさやにしても、納豆にしてもそうです。納豆はにおいがなかったら、全然食べる気がしないでしょうねえ。やっぱりああいうにおいは、実は人間本来のにおいみたいなものなんですよね。

例えば無精者というのがいるでしょう。風呂に1週間も2週間も入らない人。それと同じように、無精臭というのがあるんです。いわゆるなれずしとか納豆とかのにおいです。

人間というのはそもそも、毎日風呂に入っていたわけではない。人間の原点というのはそういうにおいなんですよ。だからあれは自分のふるさとみたいなものだと私は思っています(笑)。

生江 そういう生き方のほうが本当は人間らしいのでしょうね。臭い人間のほうが健康かもしれない(笑)。

小泉 あまり清潔になると、長生きできないという研究もあります。もっと野生に戻ったほうがいいのではないか。

カルチャーとしての発酵

生江 小泉さんのお話につなげると、現代文明は、自然からかなり乖離してしまっているように思います。その自然とどうやって人間が向き合っていくのかというのがカルチャーという考え方なんですね。

カルチャーというとアート、あるいはシステムというものだと考えてしまいがちですが、それとは別に、自然と人間がどう折り合いを付けていくかという視点もあると思います。ですから、菌を増やすということも、1つのカルチャーなんじゃないかと思うんです。

小泉 全くそのとおりですね。

生江 都会にいても、発酵しているものが身近にあったりすると、そこに小さな自然を見出すことができる。

都心のすごくきれいで清潔なビルの中で生活していると、なかなか生き物との関わり合いを意識することは難しい。でも、例えばぬか床を持っていたり、あるいは自分で作っている手前味噌が近くにあったりすると、毎日その様子や香り、そしてその味が変わっていくわけです。

それはまさに1つのカルチャーで、自然とのつながりを感じさせてくれます。そこには発酵があって、発酵によって培地がつくられ、おいしいものが生まれる。

「おいしいもの」というと、プラモデルのようにパーツを継ぎはぎして作られるというイメージがあるのですが、そうではなくて、本当は、おいしいものというのはまずは環境があって、発酵という最大の技術を使って、そのカルチャーをつくることだと思うのです。そこが、人間が「おいしい」と感じる自然とのつながりの入り口なのかなと感じます。

小泉 なるほど。培養するということ自体がカルチャーですものね。この微生物の行いというのは、見ているとつくづく神秘性があります。例えば、乳酸菌や納豆菌、酢酸菌もそうですが、1ミリメートルの2000分の1ぐらいしかない小さな小さなものなのに、人間と同じ体の機能を持っているんですよ。

もう遺伝子が全部その小さい体の中に組み込まれている。そして、ちゃんと栄養源を体の中に入れて、それを全部代謝して、エネルギーをつくって、それで子供まで生む。なんでそんな小さな生命体の中にそんなことが組み込まれているのかということだけでも、とても不思議な感じがします。そういうものの集合体が、われわれに味噌や醬油、お酒をもたらしてくれるわけだから、おもしろいなと思いますね。

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