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【三人閑談】
おいしい発酵

2017/12/01

「醸造」という言葉

井奥 江戸時代、鎖国していた日本に長崎から醬油がわずかな量でしたがオランダに輸出されました。それがフランスに伝わって、ルイ14世が非常に喜んだという話があります。それ以降、ヨーロッパでも細々とでしょうが宮廷の料理人の中で隠し味として日本の醬油が使われたという話も残っています。

現在では、キッコーマンはもう日本国内よりも海外での生産量のほうが多いんですね。

生江 醬油イコール日本という感じですね。日本の味としてすっかり定着したと思います。でも、醬油というものが何かを分かっていない人も多いのではないかという気もします。ゆっくり発酵していくなかで作られて、熟成を経て醬油ができているのを知っている人がどのぐらいいるか。

井奥 外国の料理人にとって、醬油はどういう位置付けなのでしょう。

生江 パリのレストランの厨房に行ったりすると、必ずキッコーマンが置いてあります。ただ、ヨーロッパの人間は、東南アジアのナンプラーも使うし、日本の醬油も味噌も使う。そこは、アジアの調味料ということで、ひとくくりという感じなのかもしれません。

日本の醬油、韓国のカンジャン、そしてラオス、カンボジアあたりの魚の保存のしかたも含めて、アジアのさまざまな発酵技術を、用途に応じて使いこなそうとしている感じはあります。そのなかで、どういうおいしさにポイントを持っていくかを考えていますね。

どちらかというと、これまでヨーロッパは油脂優先の傾向が強かったと思います。一方でアジアはアミノ酸重視です。アミノ酸をどうやってコントロールするか。これは醬油との付き合い方でもあります。

そして、水を使ってどうおいしいものを作るかに関心が強くて、ヨーロッパも脂よりも水へシフトしているような感じはします。

井奥 醬油というのは日本では醸造業の1つで、酒も醬油も味噌も酢も、それからみりんも醸造業ですね。「醸造業」は英訳するとBrewingIndustryとなるのでしょうけど、外国の人はBrewing=酒造り、というイメージのようですね。

小泉 そう、日本は「醸造」だけですべて表現できてしまう。

東京農大にはいまでも醸造学科があります。20年ぐらい前、私が教授をしていたとき、学生がもっといっぱい来るように、「醸造という名前は古いから、食品工業学科とか食品化学科にしよう」という話が出たのですが、私は大反対したんです。醸造という言葉は日本だけなのだから、日本の伝統文化として残しておかなければ駄目だと。いまはもう、日本に醸造学科は1つしかありません。

なれずし=チーズ

井奥 小泉さんが以前にテレビで、中国の40年前の鯉のなれずしを召し上がっているのを見たことがあります。ああいうのを食べてもなんともないんですか。

小泉 あれは薄く切って食べてみたんですが、もう完全にチーズですよ。みんな日本にはチーズがなかったと言うけど、とんでもない話です。チーズというのは、日本ではなれずしなんです。チーズという言葉がなかっただけです。

チーズは動物性の乳ですよね。たんぱく質と脂肪が多い。例えば近江のふなずし。これもたんぱく質と脂肪です。だから、なれずしから分離した乳酸菌でチーズを作ったら、もう立派なチーズもヨーグルトもできます。逆に、チーズの菌を使って、なれずしを作ることもできる。

つまり、日本で動物性たんぱく質を発酵させて、チーズと同じものを作ったのがなれずしです。日本には牛がいなかったけど、淡水魚はいっぱいいて、それを発酵させたわけです。最初は保存目的でしょう。だからなれずしとチーズは、分析するとほとんど成分が同じです。においも似ていますね。特にサバを長く漬けた「本なれずし」なんてのは、ゴルゴンゾーラとかスティルトンとかエピキュアチーズみたいな、猛烈に臭いチーズにそっくりです。

和歌山県新宮市に、東宝茶屋という料理屋があります。そこではサンマのなれずしの30年ものをいま売っています。そんなに高くありません。それを学生たちに、目を隠してスプーンでなめさせると、100人中100人が「とけたチーズですね」と答えます。これをクラッカーか何かに付けて食べたら、本当にブルーチーズじゃないかというような感じ。それがサンマでできるんですよ。

井奥 それは1度食べてみたいですね。

小泉 だから、発酵食品というのは保存がいつまでもきく。じゃあ、なんで発酵したら保存できるのか。理由は2つあります。

1つは、微生物が発酵するとそこは自分の棲処ですから、ほかの菌が増殖できないような阻止物をつくるんです。アンチバイオテクスといいます。

それからもう1つは、腐らない要素を微生物自体が持つんです。例えば乳酸菌の場合は乳酸をつくると酸っぱくなってしまって、そこにほかの菌は来られない。納豆もそうです。

この発酵の技術は、医学にも使われています。発酵がなかったら、手術はできないです。抗生物質というのは微生物がつくるものです。抗生物質を投与して手術しないと、切ったところから膿んでいってしまいます。

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