【三人閑談】
銀座線物語
2017/05/01
東京のなかのローカリティを残して
泉 東京の最初の一等繁華街を通ったわけですよね。上野、銀座間というのが東海道から続く中央通りの道だからね。銀座線が走っているところはいわゆる御成通りでしょう。その上を都電の1系統が走っていた。
冨士 銀座や浅草ももちろんだけど、万世橋のところも繁華街ですよね。結果として秋葉原が後から栄えたというような感じだけど。
泉 それでわざわざ広瀬中佐の銅像なんかをあそこに建てたんでしょう。
冨士 そうそう。ああいうものを建てるということは、人がそれだけ見にくるということ。
慶應と銀座線ということで言うと、最寄り駅はないわけですけど、やはり銀座ですよね。
泉 銀座、それと渋谷かな。あと外苑前は神宮の早慶戦とかもあって、浅草の場合はレガッタがありますね。
冨士 そうですね。
泉 外苑前も、その昔はたしか青山何丁目と言ったんでしょう?
坂戸 青山四丁目です。
泉 大阪の谷町何丁目的な並びだった。青山一丁目だけが残った。
坂戸 昭和14年の東京高速鉄道がつくったパンフレットには当時からちゃんと野球場と出ています。まだ秩父宮ラグビー場がないころです。
冨士 有り難いことに、上野で降りていたお客さんが、いまはそのままずっと来て、浅草からドーッとたくさん乗っていくのを見ていると、ずいぶん変わったな、よくなったなとは思いますね。銀座線はもう街のバロメーターですね。
泉 うちのほうから浅草に遊びに行くなんていうとき、渋谷の始発のガラッとした車に乗って、座っていくのが保証されて浅草まで行けるので、かなり娯楽気分になりますね。
冨士 いろいろな顔色の街を通りすぎていくので、お客さんを見ていても飽きないですよね。
泉 良い意味での東京ローカリティが保たれている鉄道というのはどんどん少なくなっていますね。僕は家が井の頭線沿線ですが、井の頭線も割とローカルなんです。そのある程度の東京の短区間を走る鉄道というのは、大切にしてほしいですね。
あと、駅名に稲荷町(ちょう)、田原町(まち)と今はない町名が残っている。上野広小路とか。広小路なんてやはり昭和の初めならではの駅名ですよね。ああいうちょっと風情のある駅名が残っているのもいい。
坂戸 開業当時に目指したブランドが、いまもなお変わらず生き続けているところが非常に興味深いですね。いまでこそ東京メトロというのは、路線長でいうともう少しで200キロですが、そのうちの最初の15キロが銀座線です。
東京の地下鉄がどんどん拡大する中、銀座線は昭和40年くらいまでで、いまの車両数の250両まで達しますので、かなり早い段階で成熟し、その後いままで変わらずにきている。
やはり相互乗り入れせず東京23区内で完結する路線というところが何よりも、銀座線の今後も変わらない理由なのだと思います。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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