三田評論ONLINE

【三人閑談】
銀座線物語

2017/05/01

シンボルだった地下鉄ビル

 神田には割と最近まで、須田町の地下鉄ストアの名残の商店街が残っていましたよね。古い洋品屋さんなんかがありました。

坂戸 2011年までは一部のテナントはあったようです。

 そうですか。20年くらい前はまだ須田町デパートとか、入口に看板が残っていましたよね。

浅草の1番出口のところも地下鉄デパートと言ったでしょう。川端康成の『浅草紅團』は、あの上をねじろにしているんですよね。

冨士 そうそう。これですよ(写真)。

坂戸 これらのビルは地下鉄(東京地下鉄道、営団)がちゃんと経営していたんです。雷門食堂、上野構内食堂、上野須田町ストア。これらは全部直営です。

冨士 いま浅草にある建物はリメークはしていますが、規模は当時とほぼ変わらないですね。中身は全部建て替えたみたいなものですけどね。

この地下鉄ビルは雷門もなかった頃は、それこそ浅草のシンボル的な建物でした。

坂戸 地下鉄ビルは戦争でも焼けなったわけですよね。

冨士 焼けてないですね。相当古い建物でした。1階に歯医者さんがあったときにそこに通っていた。ガタガタの建物だったな。

坂戸 関東大震災でエレベーターのついていた十二階(凌雲閣)が崩れてしまってから、浅草のシンボル的な存在だったとよく言われますね。

冨士 そうですね。でも、雷門を昭和35年に松下幸之助さんが約100年ぶりに建ててくれた。提灯というのは奉納する人の名前を書くのが当たり前なんですが、でも松下さんは「雷門」と書いてくれた。あれが「松下」と書かれていたらいまの雷門はないです。

浅草は、山手線が浅草を通ろうとしたら、浅草の人が大反対して蹴ってしまったんですよ。それで何もないところだったので、地下鉄だから、新しいからよかったんじゃないですか。

 東武が隅田川の橋を越えてくるのはいつなんですか。

冨士 あれは、銀座線開業のあと、昭和6年くらいじゃないですか。

坂戸 銀座線のほうが先輩。

冨士 あの東武のビルも古いですね。戦争でもあそこに逃げ込んだと言っていますから。

 松屋ビルのこと? 松屋もすごいですよね。その時代の写真を見ると、本当に巨大軍艦が川沿いにいるという感じですよね。

冨士 一大テーマパークですよね。屋上は遊園地だし、途中に劇場はあるし、結婚式場があったり写真館があったり。

 その当時は、やはり浅草が東京で1、2を争う繁華街なんですね。

尖塔が特徴の浅草・地下鉄ビル(昭和4年)(『写真に見る昭和浅草伝』より)

「デパート巡り乗車券」

 原宿のフクオ・スタンプという切手屋で、切手以外に「デパート巡り乗車券」というものも売っていて買ったんですよ。銀座線沿線の松坂屋とかデパートが入っているんです。

坂戸 私の祖父が持っていたものとちょっと時期が違いますね。これは全線直通運転する前からあるらしく、時期によって、百貨店の取り扱っている範囲が違うというのを聞いたことがあります。

 これが昭和14年ですか。

坂戸 昭和8年に売り出したのが最初だというようなことを聞いたことがあります。

 その後に銀座にも延びたので、神田の須田町ストアははねられたんです。自分のところだからいいよということになったんじゃない(笑)?

坂戸 普通、地下鉄は乗車券では途中下車ができないんですけど、この切符に限りできたようですね。

 そうですね。だから、はさみが入っているところは全部降りているんだよね。

いつ頃まであったんですか、このデパート巡りって。

坂戸 いつ頃までですかね。

 開業当初は自動改札みたいな感じでお金を入れて改札を通ったんですね。

冨士 はい。もう、チャリーンとお金を入れて。

 あの改札は葛西の地下鉄博物館にありますよね。ニューヨークの地下鉄なんか、最近までああいうのを使っていた。

冨士 浅草にあったんですが、レイアウトはいまとまったく同じです。

坂戸 ただ、戦前には均一運賃をやめて、さらに、これは戦中の鉄材供出で撤去されてしまうので、かなり短い期間しか見られなかったと聞いています。

 浅草の横に、斜めに行く地下通路が一番古いでしょう? ソース焼きそば屋がある。

冨士 そうです。

 ずっと歩いていくと、いまの階段の脇に昔の階段の名残みたいなのがむき出していますよね。

冨士 名残じゃないんですよ、あれ。たぶん、よほど大きい石があって、どけられなかったんですね。そのまんま残っているんです。

いまだに水がポタンポタン落ちているので、やっぱりもとは海だったんでしょうね。

 稲荷町の浅草側の上り口の囲いは、まだ古いのを使っているんですか。タイル張りのクラシックなやつがありましたね。

冨士 いま工事しています。ちょうど2、3日前に通ったら工事中で、反対側に出されてしまった。

 いまは古いほうがウケるから、修復しているのかもしれないですね。

冨士 何かレトロな感じにしたい、みたいなことでしたね。表面だけやってもどうかと思うんだけど。

 地下鉄博物館に展示されている最初の車両の運転席の後ろに「タン、つば禁止」と貼られている。あれはいつ頃まで書かれていたのかな。地下鉄博物館の車両というのはオリジナルなんですか。

坂戸 レプリカではなくて本物ですね。ただ、細かなプレートなどの一部は復元しているようです。

 最初は黄色っぽかったので、いまのレトロ調の1000系は黄色にしているんだよね。僕らが乗っていた2000形は、むしろオレンジに近かった。

坂戸 時代とともにだんだん色が濃くなっていったというような記録が残っていますね。

 1970年代くらいって、かなり塗装にばらつきがありましたよね。

冨士 ありましたね。

 濃いだいだいとか黄色とか。丸ノ内線のサンウェーブを復活する話はないんですかね。

坂戸 2018年から車両を置き換えるので、そのときにどういった車が出てくるのか注目ですね。

デパート巡り乗車券(昭和14年)(提供 坂戸宏太氏)
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