三田評論ONLINE

【三人閑談】
銀座線物語

2017/05/01

渋谷の銀座線

坂戸 あとは渋谷ですね。渋谷はもともとその先、いわゆる昔の新玉川線を通って二子玉川まで銀座線が行く予定だった。

二子玉川の駅は、新玉川線ができたときに内側に入っていたんですけども、もともと銀座線を通して、あの駅で折り返す目的だったので、あのような構造にしてしまって、ここ20年で内側と外側を入れ替えた。あれは早まりすぎてつくってしまったんでしょう。

 渋谷駅が移動してヒカリエのほうに来るんでしょう。僕は銀座線というと渋谷の街の上に出てくる陸橋の景色なんですよ。あそこで眺めるのが、一番、銀座線らしい。あのむき出しの感じは、本当にずっと変わっていなかったね。

冨士 そうですね。

 終戦直後ぐらいの映画なんかでも、がれきの山の向こうに、あそこの陸橋の銀座線が出てくるところが映り込んでいましたから。

昭和30年代の日活映画とか、よく渋谷の車庫の脇がチンピラがけんかするシーンで使われているんです。『銀座の若大将』ってシリーズ2作目くらいかな。

加山雄三が銀座でコックをしているんだけど、けんかをするところは渋谷の車庫の脇を使っているんですよ(笑)。

冨士 ロケ地としてよかったんでしょうね。

 ええ。結構場末で、本当に横に連れ込み宿みたいのばっかりあった。

銀座線の車内が出てくる映画やテレビというのはあまり記憶にないんです。『007は二度死ぬ』は丸ノ内線の車両を使っていますね。スペクターの日本支部の基地に行くのに丸ノ内線に乗って行くんだよね(笑)。以前、方南町の支線で撮ったとかという話を聞きましたから。

坂戸 丸ノ内線は昭和32年に西銀座まで開通しました。まだ銀座駅と西銀座駅は違う駅なんですね。

日比谷線が昭和39年に全通する際、両駅をつなげる形で今の銀座駅になりました。この当時の地下鉄は、すべて銀座を通っている。やっぱりさすが銀座と思います。

 皆銀座に向かってくる。やはり都心に行く線だから、銀座、丸ノ内、日比谷とネーミングしたんだよね。そこに向けて行くと。

だんだんわかりやすい地名がなくなってきて、東西とか千代田とか、漠然としてくるんだけど(笑)。都営は長いこと、1号線、6号線と数字で呼んでいましたね。

坂戸 公営交通は愛称が付くのが遅いんです。大阪も4号くらいまでいって、愛称が付いたように記憶しています。

 大阪も御堂筋線が戦前からあるでしょう。あれが結構古いんだよね。

坂戸 四つ橋線もギリギリ戦前の開業で、2つ目は東京より早かった。

路線拡大のなかで

坂戸 銀座線は、いまは車両は中形のイメージがありますが、できた当時は決して小さいものではなかったんです。

 車両の長さは短いんですよね。

坂戸 1両あたり16メートルです。東西線以降の営団は20メートルですね。大形20メートルのほうが、郊外の私鉄と直通運転ができるという点ではメリットが大きい。

冨士 大江戸線のほうが幅は狭いでしょう?

坂戸 そうですね。長さは銀座線の車両と大差ないのですが。どんどん、大形20メートルの車が入れるようになっていく一方、公営交通を中心に建設費の節約という点で、逆にまた中形に揺り戻しが一部来ているということですね。

郊外電車がそのまま地下鉄に乗り入れるというのは、日本の、特に東京の大きな特徴です。

 ほかの国は乗り入れないんですか。小田急のロマンスカーが千代田線に入っているのを初めて見たときは、ちょっとショックな感じがした(笑)。青いやつ。

坂戸 東京圏の人口増加で郊外化が進んで、日比谷線は計画段階から他社線との相互乗り入れを前提とした車両を導入することになり、他の後続の線もそうなりました。これだけ大きな相互乗り入れをする国はたぶんないですよね。

 そうか。日比谷線はもう乗り入れありきだよね。東武のほうも埼玉や栃木の奥まで行っている。

冨士 オリンピックの後から、そういう方針に切り替わっていったわけですかね。

坂戸 その前からでしょうか。ちょうど東京圏の人口が、毎年50万人ずつ増えていった1960年代の前後ですよね。その頃はかなり計画的に鉄道を敷いて、郊外に住宅地をつくり、通勤通学輸送をどうするかを考えていたので、先見の明はあったのかなと思います。でも、実際の輸送量は想定をはるかに上回ってしまいました。

銀座線は建設が早かったのでそういう流れからは取り残されて貴重な存在になったということですね。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事