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【三人閑談】
世界に広がるBENTO

2016/12/01

  • トマ・ベルトラン

    株式会社BERTRAND代表。1981年フランス・リヨン生まれ。京都大学への留学を経て、2008年フランス語による弁当箱の通販サイトを開設。2012年、京都に弁当箱専門の実店舗「Bento&co」をオープン。

  • 前田 祐志(まえだ ゆうじ)

    慶應義塾大学法学部卒業。会社経営の傍ら、長年お花見弁当箱や提げ重箱の蒐集や研究を続ける。著書に『漆器の弁当箱・食籠・盆─食育文化の伝統技』など。

  • 加藤 文俊(かとう ふみとし)

    慶應義塾大学環境情報学部教授。慶應義塾大学経済学部、同大学院経済学研究科修士課程修了。博士(コミュニケーション論)。専門はコミュニケーション論、メディア論。近著に『おべんとうと日本人』など。

海外で「弁当箱」が人気

加藤 ベルトランさんは京都で弁当箱の専門店を手がけていらっしゃいますが、きっかけは何だったのですか。

ベルトラン 私はフランス生まれで、京都大学に2003年に留学して、当初はその1年だけいようと思っていたのですが、京都が大好きになり、そのままずっと居ついてしまいました(笑)。

京都に住み続けるには自分の仕事をつくらないといけないと思いました。2005年から、フランス語で京都の生活とか日本のこととか毎日ブログを書いていました。そのおかげでブログの読者が増えて、1日だいたい1000人ぐらい読んでくださっていました。

加藤 それはすごいですね。

ベルトラン それをきっかけに、何かビジネスができるかな、日本のいいものを売りたいなと思ったんです。弁当箱のことは知っていましたが、それを売ろうとは全く考えていませんでした。でも、母との話のなかで偶然「フランスの雑誌でBENTOの記事を見たよ」って聞いて、なぜか「あ、弁当箱は絶対フランスで売れる」と直感しました。自分でも不思議なアイデアでしたね。

当時、アメリカとフランスでお弁当のブログを書いていた人はいましたが、弁当箱を売っているところはなかった。だから、絶対ビジネスチャンスがあると思いました。タイミングがすごく良かったんです。始めたのは2008年の11月。ちょうどリーマンショックのあとです。アメリカでもヨーロッパでも、外食をやめる人が多かった。日本でも不景気だと弁当箱が売れます。

アイデアが浮かんでから2週間ぐらいで、ホームページを開設しました。2012年の4月からは、京都に実店舗を持ちました。卸も2011年から始まって、いままで95カ国へ弁当箱を発送しています。

前田 スタッフは何人くらいいらっしゃるんですか。

ベルトラン いま13人です。あくまで看板は「弁当箱専門店」ですが、私たちの仕事で大事なのは2つあります。1つはマーケティング。日本にある弁当箱を海外で販売するために、その商品の価値をお客さんに見せないといけないと思っています。弁当箱を売るだけではなく、それがいい物だから売る、ということです。「メイド・イン・ジャパンだから」だけでは不十分で、その弁当箱を作った職人さんや企業、そしてその弁当箱にまつわるストーリーなども説明するようにしています。

もう1つは物流です。結局「弁当箱」というモノを発送・販売するわけですから。

加藤 ご出身のフランスでは、お弁当を食べることはあったんですか。

ベルトラン フランスには、お弁当の文化、子供の弁当箱は全くありません。学校には給食があるか、あるいは家へ帰ってお昼を食べる。昔からフランスはお昼の休憩が結構長くて、1時間以上あります。2時間とる人もいます。だから、大人でもお昼にレストランに行ったりワインを飲んだり。ほとんどフルコースでお昼を食べています。

フランス人にとって、お昼ごはんはすごく大事な時間なんです。だからこそ、日本の弁当文化が合うのだと思います。味だけではなく、見た目も重要で、単なるサンドイッチよりは何かいいものを食べたい。お昼の休憩を楽しみにしたいフランス人に、お弁当は合っていると思います。

前田 外国人にとって、日本の弁当箱は小さくないのでしょうか。

ベルトラン やはり、日本より少し大きめな弁当箱が売れていますね。ごはんではなくてサラダを持って行く人が多く、サラダは結構スペースを取るからです。日本では平均650mℓがよく売れていますが、フランスだったら900mℓぐらい。

加藤 それは大きいですね。

ベルトラン ただ、当初「箱が小さすぎる」というクレームが多かったのですが、最近はあまりありません。箱が小さくてもそれにぎゅうぎゅうに詰めるのがお弁当なんだ、ということがフランス人にも分かってきたんです(笑)。

お弁当は1つの「小宇宙」

前田 私はお花見弁当箱、とくに時代蒔絵のお花見弁当箱のコレクションをしてきて、360ぐらい集めました。近年、縁あってコレクションの多くは伊勢の名店「赤福」のオーナー濱田益嗣氏(塾員)にお譲りし、「赤福」の関連企業「野遊び棚」の一角に一部が展示されています。

本業は光学屋で、工業用のレンズを作っています。高速道路で使われる赤外線カメラのレンズのような特殊なものです。

その光学屋がなぜお花見弁当箱を集めているかというと、お花見弁当箱は手塗りのものが多くて、それらは漆でできた蒔絵なんです。蒔絵というのは光学屋と共通していて、研ぎの技術の文化です。日本人はメガネを掛ける人が多いですが、メガネのレンズを作るには研磨の技術が必要です。日本が誇るカメラのレンズもほとんど日本製です。

加藤 たしかにそうですね。

前田 太古の昔から伝わる三種の神器の勾玉、鏡、剣、いずれも「研ぎ」で生まれるものですよね。日本人は研ぎということに関して非常にこだわる民族です。これがあるから、例えばシリコンウエハーやベアリング、レンズなど、さまざまな良質な工業製品ができる。

私も研磨をやっていたから、昔の人はどうやってこんなにツヤのある漆黒の世界を作ったのだろうと思いました。そのうちに、自分で集めてみようという気になったんです。

古い家系なので、蔵の中に蒔絵とか刀とか、美術工芸品がいっぱいありました。四季折々に、調度品の虫干しや入れ替えを必ず行います。それで蔵から出すのを手伝わされたりしているうちに、「日本の工芸品はなんてすばらしいんだろう」と思うようになった。商売を始めるようになってから、「自分でもこういうのが欲しいな」と思って集め始めたわけです。

加藤 僕はとくに食文化やお弁当が専門というわけではなく、趣味というか、もともと移動するということに興味があったんです。

前田 旅ですね。

加藤 そうです。例えば出張のときに、何を荷物として持って行って、何を現地で調達するか、そのやり繰りとか、身の回りのものをまとめて移動することに関心がありました。

日本人は小さいところにいろいろ詰め込んで持ち歩くことが、お弁当に限らず得意だというところに関心があり、それを『おべんとうと日本人』で書いたわけです。

前田さんはご自身でもお花見弁当箱を作られていますが、弁当というのは何か1つ、宇宙のようなものを作るのだと思うんです。盆栽もそうですね。日本人は古来から、小さい中にものすごく広がりのあるものを作ってきたのだと思うんですよね。

前田 おっしゃるとおりで、私は古美術のコレクションもしていますが、印籠、刀の鍔なども全部小宇宙です。弁当箱も1つの小宇宙で、いろいろな想像をかき立てることができる。

加藤 まったくそうですね。

前田 だから、僕はあまり好きじゃないんだけれど、よく駅で「このお弁当はこんなのですよ」って見本を並べて売っていますね。私が好きなのは、中に何が入っているのかわからないお弁当です。母親が作ってくれたお弁当って、開けるまで中身はわからない。学校へ行って開けた瞬間、「あ、お母さんこんなの作ってくれたんだ」っていう驚き、興奮があるじゃないですか。最初から「今日のお弁当はこんなだよ」と見せられていたら、ちょっとつまらない。

ベルトラン 中身が見られない弁当屋さんがあったら面白いかもしれないですね。見えるのは値段だけにして(笑)。

前田さんのコレクションと、自作したお花見弁当箱
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