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【三人閑談】
音楽家になるなら慶應へ行こう

2015/12/01

指揮者は責任重大

吉松 僕も基本は独学です。慶應高校の図書館に伊福部昭さんやベルリオーズの『管絃楽法』の本とか現代物のレコードとか買ってもらって勉強しました。でも、借りるのはいつも僕しかいなかった(笑)。

高校のワグネルに入ったときに、ファゴットのパートがいないからファゴットを吹けと言われて、もちろん自分で楽器を買わなきゃならないんだけれど、ものすごく高くて買えなくて、中古で、クラブにあるやつをずっと借りていたんです。

藤岡 珍しいね(笑)

吉松 ただ、どうしても音程が1オクターブ半しか出ない。『管絃楽法』の本では、ファゴットというのは音域が広くて3オクターブか4オクターブ出ると書いてあったのに。自分が吹くと、それこそアヒルが首をひねられたみたいな音しか出ない(笑)。「春の祭典」の出だしなんて、想像を絶する音域だよね。

冨田 よくあんなところから始めたよね。僕なら怖くてできないな。

吉松 あれは、出ない音を無理やり出させるハイトーンの発想なんでしょうね。だからストラヴィンスキーが生きていて、いまの演奏を聞いたら「そんなきれいじゃ駄目」って怒ると思う。

でも冨田さん、そんなにストラヴィンスキー的なつくり方はしないですよね。

冨田 でも「ジャングル大帝」なんかは結構パクっていますよ。やっぱりああいうメカ的な音というか。

藤岡 あと冨田さんは、オットリーノ・レスピーギでしょう。「ローマの松」。

この前「源氏物語」をやって思いましたが、「ローマの松」はやっぱりすごく感じましたね。

吉松 レスピーギ、すごいですよね。

冨田 ああいう何か全体の世界ね。僕ががっかりしたのは、終戦後すぐ近衛秀麿がベートーヴェン的解釈でレスピーギをやったんです。これはひどいものなのね。あのころの評論家、野村光一とか山根銀二がもう、くそみそにレスピーギ自体をけなしている。

藤岡 素晴らしい作品でも演奏がよくないと、作曲がよくないとか言われちゃうからね。そういう意味でこっちは責任重大なんですよ(笑)。

シベリウスと宮沢賢治

冨田 「題名のない音楽会」のときの藤岡さんのシベリウスはすごくよかったね。指揮が本当にすごいと思った。

藤岡 いやあ、ありがとうございます。今度、吉松さんが少年時代に衝撃を受けたというシベリウスの6番をやるんです。

「春の祭典」もそうですが、シベリウスの6番で衝撃を受けたというのは、すごくませていたんですね。

吉松 慶應高校の1年のときにLPを生協で買ってはまったんです。

藤岡 僕なんかあの曲が分かるようになったのは、50歳を過ぎてからですよ。それを高校1年生が……。

吉松 いや、あれはずばり、宮沢賢治の世界をそのままオーケストレーションしたらこうなるんだなという感じがしたんですよ。

藤岡 宮沢賢治が好きな人はよくそう言いますね。舘野さんなんかもすごく好きだから。

吉松 そうですね。何か共通項があるんじゃないかな。

藤岡 冨田さんも最近、「イーハトーブ交響曲」を作られている。

冨田 子どものころから興味はあったけれど、よく分からなかったね。

藤岡 僕も全然分からなかった(笑)。なんか妙な孤独感みたいなのがありますよね。

吉松 孤独感もあるし、岩手の田舎に生まれながらカンパネルラとかジョバンニとか、ああいうバタ臭い名前を付ける感覚。

あれと、日本に生まれながら交響曲だとかベートーヴェンなんて言っている感性と、なんか似ているような気がするんですね。

藤岡 僕は吉松隆と付き合っているからには、宮沢賢治を理解しないといけないと思ってこのあいだ「銀河鉄道」のプラネタリウム版の上映を見に行ったんです。

冨田 あれは死者を運ぶ列車なんだ。タイタニック号で死んだ人たちが乗っているんですよ。窓の外の花畑みたいな光、あれは臨死体験でよく聞くあの世界だなと思ってね。

吉松 シベリウスが6番を書いたのはクリスチャンという弟が死んだときなんです。

宮沢賢治も、トシという妹が死んだのがきっかけで、「銀河鉄道」を書いたんです。それがまったく同じ年なんですよ。1922年。

藤岡 それは気持ち悪いぐらいすごいですね。

吉松 僕はずいぶん後になってそれを聞いて、ぞくっとしたんです。だからやっぱり、もの寂しい感じというだけでなく深い喪失感みたいなものがあるんじゃないかな。両方とも。

藤岡 恨みつらみとかはないんだけれど、叫びがあるんですよ。

自由な環境と塾での出会い

藤岡 慶應出身の音楽家というのは、僕のように大学を卒業したあとにもう1回、音楽大学に入り直すタイプが一番多いと思います。ただ、ソリストの場合はそうじゃないですね。

吉松 冨田さんがおっしゃったように、「音楽とはこうあるべき」と言われてやるのではなく、自分でこれだと思ったものを見つけてから音楽をやるという順番が、たぶんいいんだと思いますね。

冨田 グレン・ミラーとストラヴィンスキーなんかは、子どもの頃から聞こえてくるいろいろな音の中の1つなんだよね。そういうところから入っていった。だから、子どもの頃にピアノを習って「これがドですよ、これがレですよ」という教育をされなくてよかったと思いますね。

吉松 僕も本当にそう思います。慶應のときにシベリウスに出会って、プログレッシヴ・ロックに出会って、それでシベリウスのスコアやプログレの研究をしていった。もちろん音楽について知りたくて先生についたり本を読んだりはするけれど、音楽とはなんであるかなんていう御託を聞きたいわけじゃないんですね。

藤岡 慶應ではいろいろな人に会えるところがいいですよね。音楽大学だと、どうしても似通ったような土壌の人が多いから。

冨田 それと、やっぱり音大だと教授がグループを抱えちゃうでしょう。あれは僕は嫌ですね。慶應にいたら、そんなものは何にもない。要するに、僕らの世界はつくったものを聴いて観衆が応えてくれるか、くれないかしかないんですよ。

吉松さんの「平清盛」の音楽の中で、「遊びをせんとや生まれけむ」という歌が出てきましたよね。あれが僕は好きなんです。

吉松 ありがとうございます。でもこうやって話していると、冨田さんと慶應時代にやっていることは同じなのに、僕はサポーターにあたる人とは出会わなかったですね。人格の差なんでしょうか……。

藤岡 僕がサポートしているじゃないですか(笑)。でも、すごくうれしいですよ。吉松さんの曲、「鳥は静かに…」なんか、もう、いろいろな人がやるようになりましたから。

慶應出身ということで、どれだけ僕が恩恵を受けているか。特に関西フィルでの仕事は慶應だということで強力なサポートをしてくださっていますから。関西の三田会の結束力たるや、もう、素晴らしいものがあります。

これからも、いろいろな出会いが慶應の中であるといいなと思います。若い人がいっぱい出てきていますからね。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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