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田中 智行:『新訳 金瓶梅』で日本翻訳文化賞を受賞
2026/01/15
「朝飯前」の仕事として
──その前の研究から含めたら本当に長い時間を費やしたと思いますが、着手してからも10年、訳す上でのご苦労はどのあたりにありましたか。
田中 文体の多彩さが1つあります。例えば政治的な弾劾文、上奏文や判決文もあり、また戯曲の一節や詩を引用したり、多彩な文体が、1つの作品の中に詰め込まれている。これは『金瓶梅』の面白さの1つでもあると思いますが、その文体のバリエーションを日本語で再現するのに苦労しました。
また洒落言葉のような多層的な意味の言葉を日本の読者にもその面白さが通じるようにしたいと思いました。意識したのは、たとえば井上ひさしさんの戯文です。もちろん才能が全然違いますが、ああいう感じで『金瓶梅』の洒落言葉のようなものを訳せないかと思い、そこは苦心しました。
まず読むフェーズがものすごく大変で、さらに、そこで読み取ったものをどのように訳に反映するかを別の頭で考え始めます。この行ったり来たりを一字一句、訳文にして挿絵込みで2500ページ分やったので、作業量は膨大になってしまいました。
──圧倒される分量ですが、本当にわかりやすい訳文だと思います。あとがきに、訳を始められた時、朝型に切り替え、まさに「朝飯前」の仕事として、この『金瓶梅』を訳したと書かれていますね。
田中 朝型に切り替えたのは他に手がなかったからです。子どもが本当に小さかったので、一緒に絵本を読んで9時か10時には寝てしまう。でも、10時に寝れば6時間寝ても4時には起きられるから、そこからの2時間ぐらいは確保できるだろうと。
始めてみると悪くない。朝は集中できるし、メールも入らない。また、享楽的な作品を朝、禁欲的に訳すという何か両極に引き裂かれた感じが面白いと思い、『金瓶梅』を、早朝に起きて、一生懸命コツコツと真面目に訳していくというそのコントラストが、途中から妙に面白くなってきました。
私は普通部の時に労作展で『西遊記』の要約をしました。『西遊記』全100回を前後半に分けて50回。それを50日でまとめるので1日も休めなかったんですね。だから家族で旅行に行く時も毎日原稿を書いていました。その時、毎日コツコツやることが苦ではなくなっていたと言いますか。それが50日から10年に、ある意味延びただけという感じもあり、傍から見るほど苦しくはないという感じでした。
古典とのコミュニケーション
──10年かけて完訳され、刊行された今のお気持ち、ご自身の中で変化したことや人間理解の変化みたいなことはありますか。
田中 訳し終わってしばらくすると、何となく自分が手がけたものではないような気がしたのは確かです。やはりそこは作品の力なんでしょうね。
人間理解がそれほど深まった感じはしませんが、文章を書く際、以前よりも楽に書けるようになった気はします。勘所が私なりにできたと言いますか。これは清代の批評家も『金瓶梅』を読んで文章が変わらないのだったら、文章を仕事にするのはやめたほうがいいと言っています。
結局、古典を理解するということは、ある種のコミュニケーションだと思うのです。私は最初に日本語で読んで、どこが面白いのかがわからなかった。それがちょっとしたきっかけから本当は面白くてすごい作品なのではないかと思い、一生懸命、読み出した。するとどんどん魅力がわかって、ついには10年かけて全部訳すというところまでいきました。
最初はとっつきにくくてよくわからなかったけれど、何かこの人は面白そうだなと、何度も会ったりしながらコミュニケーションを取っていくことで、肝胆相照らす仲になっていくような。古典の場合は一方通行で、自分から近づいていくしかないわけですが、そうやって1つの作品に少しずつ食い込んでいくという過程自体が、人を理解していく過程に似ているのではないかと最近思うようになりました。
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