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中川龍太郎:モスクワ国際映画祭で批評家連盟賞

2017/10/01

人生と等価になり得る映画

──今回は海外の批評家から高い評価を受けたわけですが、「一般向けに大ヒットしたい」という気持ちはありますか。

中川 とにかくまだ自分は年齢が若いので、例えば今自分が大ヒット作を撮れたとしてもそれが何十年も続くことはない。つくったもののクオリティは上がっても「売れなくなった人」と周りに思われるかもしれません。一時的に売れても消費されてしまっては意味がないので、しっかりした力を付けながら、継続して映画をつくり続けられる土壌づくりが肝心だと思っています。

──年に1本くらいのペースで作品を発表されていて、多作と言っていいと思います。

中川 それは心がけています。宮崎駿監督が5年に1本の傑作をつくるのと違って、僕らみたいに若い監督が次の1本に5年もかけていたらすぐに忘れられてしまいます。極端に言えば、5年に1本の傑作をつくるより、5年に10本の駄作をつくったほうがいいとさえ思います。

──今、若い人たちは映画もスマホで観る時代ですが、劇場で観る映画って、中川さんにとってどんなものですか。

中川 映画館で映画を観る意義は2つの面から指摘できます。

メディアはテレビからインターネットと、さらに身近に消費できる方に向かっていて、それ自体は必ずしも悪いこととは言いきれませんが、その分、軽佻浮薄なものばかりが消費されていく側面も見逃せないと思います。だからこそ、観るのにもつくるのにも負担のかかる映画という大衆芸能に課せられている役割はかえって増しているのではないでしょうか。

宮崎駿監督の映画は誰もが観に行ける大衆性があるのと同時に、決して軽いものではない。そういった作品をつくることが長い目で見た時に自分の人生の使命だと思っています。

もう1つは、映画館が暗闇と沈黙を僕たちの生活にもたらしてくれることにあります。都市生活を送っていると暗闇も沈黙もほとんど得られません。夜道で完全な暗闇を見つけるのは難しいし、家の中でも、パソコンやテレビをつけながら寝てしまうこともあります。エアコンや冷蔵庫の音だってある。

そのなかで、映画館というのはほとんど唯一、暗闇と沈黙を味わえる場です。映画を劇場で観る理由として、「大勢の人で同じものを観る」ということはよく言われますが、「大勢の人間と沈黙を共有する」ということもあるのではないかと思います。

──劇場でなく家でDVDで観ると、「今のせりふ聞き取れなかったからもう1度」と巻き戻しちゃったりしますよね。

中川 そうなんですよね。それだと、「現実」を体験したことにはならない。現実では、見逃してしまったものは2度と見られないし、聞き逃した言葉や音は2度と同じ響きでは聞けない。映画館で観る映画は巻き戻せないから、見逃したら見逃したままです。だからこそ、人生と等価な実存になり得るんだと思います。

──次回作、さらにその次も期待しています。

中川 頑張ります。脚本ができたら、また先生のところに持って行きます。

──楽しみにしています。今度はぜひカンヌのレッドカーペットに連れて行って下さい(笑)。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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