三田評論ONLINE

【話題の人】
中川龍太郎:モスクワ国際映画祭で批評家連盟賞

2017/10/01

世界観を「捏造」できる

──映画との出会いについて教えてください。

中川 映画を撮るきっかけとなった作品は何本もありますが、あえて出会った順で3本挙げるなら『もののけ姫』(1997年)、『砂の器』(1974年)、『オペラ座の怪人』(2004年)です。『砂の器』は松本清張原作で、それこそ慶應出身の野村芳太郎監督の作品です。『張込み』とか『ゼロの焦点』とか、松本・野村コンビの作品を中学時代に片っ端から観ました。あと市川崑監督の横溝正史シリーズも好きでした。

──その中で『オペラ座の怪人』はちょっと毛色が違いますね。

中川 高校受験が終わったその日に劇場で観て魅了されて、映画館に15回見に行きました。貯めていたお小遣いをすべて使いきりました(笑)

この映画を観て、映画は世界そのものを捏造できるんだという感触を抱きました。存在しない世界を、存在するものとしてつくれる。サルトルに「実存は本質に先立つ」みたいな言葉があった気がしますが、映画はまさにそういうことなんじゃないかと。

映画は、原理的には幕に投射された光でしかない。しかし、劇場という暗闇の中では実存している。それこそが映画というメディアの豊かさを担保しているのではないでしょうか。暗闇で観客が映画を真の意味で体験できたとき、それはその映画は実存しているといえると思います。

──それこそが映画をつくる醍醐味ということですね。

中川 将来の夢として、『オペラ座の怪人』も自分で再解釈してつくり直してみたいという野望があります。そのためにはハリウッドに行かないといけないかもしれませんが(笑)。

台頭する慶應の映画人たち

──大学に慶應を選んだ理由というのは?

中川 単にへそ曲がりなだけですが、「演劇や映画なら早稲田」みたいな風潮への反発がありました(笑)。

今にして思えば生意気な考えかもしれませんが、映画は学校で学ぶものではないと思っていたし、映画を専門的に学べる学校は権威の象徴のように一方的に思い込んでいて、そういう面での幼い反骨心みたいなものは正直ありました。

──大学時代はどうでしたか。

中川 あまり真面目な学生ではなかったです(笑)。

いつも親友と一緒に学内のあまり人のいない所を探しては際限なく語り合っていました。だから三田も日吉も、キャンパスの隅々にまで思い出があります。逆に、隅々にばかり思い出があるかもしれませんね(笑)。

──卒論も映画について書かれた。

中川 松村友視先生のゼミで、溝口健二と成瀬巳喜男の女性の描き方の違いみたいなことをテーマにしました。

──去年の東京国際映画祭で日本からコンペティションに選ばれたのは、松居大悟さんと杉野希妃さんで、2人とも塾員。このところ、慶應出身の若手監督が目立っています。

中川 僕が学生のころは早稲田ばかりだった気がしますが、ちょっと上の世代から慶應の卒業生が急に出てきた印象ですね。『ちはやふる』の小泉徳宏監督も慶應ですね。

──彼らのことを意識したりしますか。

中川 やはり杉野さんのことは尊敬しています。日本の映画づくりのシステムから離れたつくり方に挑んでいること自体に意義があると思います。杉野さんのプロデューサーの小野光輔さんも慶應出身で、世界の映画について深い見識を持っておられる方です。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事