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中川龍太郎:モスクワ国際映画祭で批評家連盟賞

2017/10/01

俳優の起用法

──今回の主人公は朝倉さんで、前回のヒロインは黒川芽以さんでした。俳優の起用について何か方針はありますか。

中川 自分は今、新しい俳優さんと出会っていく段階であると感じています。いつかは黒澤監督や小津監督といったかつての巨匠たちのように俳優を固定化していく段階が訪れるかもしれませんが、それは季節のように変わっていくものだと思っています。

演出は、相手の性格などで変わるべきものなので、演出のメソッドを画一的に当てはめるのは違うと思います。だから、自分のような駆け出しにとって今は、なるべく違う人と多くやって勉強する時期なのかもしれません。

ただ、若い時期に一緒にやってくれた俳優さんとは、年を重ねて、改めて作品をつくりたいという気持ちは強くあります。

──あと、素人の方を俳優として使うのが上手だと思いました。

中川 それは大事にしているところです。演技経験のない方が、プロの俳優さんと並んでいられるような映画がひとつの理想のかたちかもしれないと感じています。

──役者さんについては、脚本を書いているうちにイメージが浮かんでくるんですか。

中川 そういうこともありますが、最初から特定の俳優さんを想定して書くことが多いです。あと、希望した役者さんが出られないとなったら、新しく決まった人に合わせて脚本を書き換えたりもします。

──今作には、大ベテランの高橋惠子さんも出演されていますね。

中川 高橋さんにはぜひ出ていただきたかったんです。地方で舞台のお仕事がある合間をぬって、富山のロケに来て下さいました。中3日の休みを丸々つぶして来て下さり、本当にありがたかったです。

詩人と映画監督

──中川さんは、映画監督としてデビューする前から、詩人としても活動されています。詩人と映画監督というのは、ご自身の中でどう結びついているのでしょう。

中川 映画監督というのは職業名で、詩人というのは生き方の呼称だと考えています。詩を生活の糧にするから詩人なのではなく、感じる心が言葉として零れ落ちたら、それが独り言であってもノートの端書であってもその人は詩人なんだと思います。詩人とは、言葉とともに世界や自己を発見するという生き方のことではないでしょうか。

それに対して映画監督は、具体的に負わなければならない責任や職業的なプロセスがありますので、職務の名称だと思っています。

──詩集も出している人が映画監督になる、というのは異色ですよね。しかも、映画を専門的に学んだわけではない。

中川 もともと大学に入ったら映画をつくろうとは思っていましたが、暇そうな友達を集めてカメラで遊んでいたようなもので、仕事にしようとまでは思っていなかったように思います。

大学3年になって、みんなが就職活動などを始める中で、自分は普通に就職して、会社や社会に適応していくことにあまり向いていない気がしました。それでとにかく質より量だと思ってたくさん映画を撮って応募していたら、学生映画祭などの賞に引っかかりました。

その中の1本が『Calling』という作品です。予算はほぼゼロ、スタッフは自分とカメラマンだけ。台詞は1つもないという映画です。

それがボストン国際映画祭で最優秀撮影賞をいただき、小さな規模ですが劇場公開もされて、次の『雨粒の小さな歴史』もニューヨーク市国際映画祭に入選、といった具合に繋がっていきました。

──シナリオを書けるというのは、詩人としての素地があったからですか。

中川 それはあまり関係ないと思います。詩は心の表出ですが、脚本は映画をつくるための地図という技術的な側面が大きいです。大雑把な言い方をすれば、心を使うか、頭を使うかということかもしれません。

ただ、大学の授業中なんかに、プリントの端とかにこっそり台詞を書いたりしていると、そこから物語が生まれてきたりしました。それは断片として見れば詩に近いのですが、繋ぎ合わせていくと脚本のようになることもありました。

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