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田沼千秋:慶應の学食から総合フードサービス企業へ

2017/08/01

塾を通じたつながり

──田沼さんはどうして慶應へ入られたのですか。

田沼 私のいとこもそうなのですが、周りが慶應ばっかりで、常に身近なところに慶應卒がいた。親父は早稲田だったのに(笑)。

──高校から行かれたのですか?

田沼 そうなんです。子供の頃から見ている日吉の風景には何か親しみ以上のものを感じていましたね。やはり環境がいいですよね。今年4月には娘が慶應ビジネス・スクールに入りました。息子2人は幼稚舎からです。何か知らないですけど、自然にそうなっています(笑)。

──学生時代の想い出は何か。

田沼 大学2年まではアレックスというテニスサークルにいて一生懸命やっていました。もう1つ、三田レコード鑑賞会に入っていました。三田レコード鑑賞会を通して買うと、当時、レコードが3割引で買えたんです。

──音楽がお好きなんですね。

田沼 はい。高校時代のあるとき、視聴覚室からすごくいい曲が流れている。これが、ミュンヘンバッハ交響楽団の有名なオルガニスト、カール・リヒターのバッハだった。そのオルガンの曲が僕は気に入ってしまって。バッハ好きが高じてホテルを「グランバッハ」と名付けてしまった(笑)。

──また、田沼さん同様、慶應出身でコーネル大学ホテル経営学部・大学院に行かれている方は結構いらっしゃいますね。

田沼 そうですね。星野佳路さんとか、キリンHDの磯崎功典さんとかね。

──私もこのネットワークに入れていただいて、人のつながりの大切さを感じています。

田沼 日本にはコーネルホテルソサエティというものがあって、実は私は15年間会長をしています。以前は20年間ずっと、塾員の帝国ホテルの犬丸一郎さんがおやりになった。

この会は新しい方とかいろいろな方と知り合える交友の機会があって、僕にとっては本当にいい会ですね。

──本当につながりを大切にしたいです。本日は有り難うございました。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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