【演説館】
星野裕志 :社会的課題をビジネスで解決する
2020/02/21
阪神・淡路大震災の経験
さて、私とソーシャル・ビジネスとの関わりは、1995年に神戸で遭遇した阪神・淡路大震災に遡る。神戸大学に赴任して1カ月目、1995年1月17日に震災に遭遇し、大学で対応に追われる傍ら、直後から地元の震災ボランティア団体に参加した。平日は大学での勤務後に活動の企画や活動結果の集計などを担当し、週末には被災者の支援活動をしていた。
同年6月には地元の神戸市東灘区内でも数カ所に仮設住宅が開設され、多くの高齢者や被災者が入居した。地元の復興が進む中で仮設住宅を回り、地元の情報提供や安否確認、ふれあいの場づくりに携わったが、その冬のこと、仮設住宅に標準設置されているエアコンが使用されず、隙間風を防ぐため窓に新聞などで目張りをしている家庭を何軒も見かけた。その頃にはすっかり親しくなっていた人たちに理由を伺うと、電気代を払うお金が足りず、エアコンを使えないとのことだった。復興支援の難しさを痛感させられた。
NPOの立ち上げへ
当時のボランティアは、「無償」が原則であり、震災に駆けつけてくれた学生を中心に、金銭を得ることはタブー視されていた。私たちは、そこにボランティア活動という枠組みの限界を感じ、翌1996年10月に、今で言うところのNPOである「コミュニティ・サポートセンター神戸(CS神戸)」を東灘区に立ち上げた。このCS神戸は、1999年4月に神戸で最初のNPO法人格を受けて、現在、神戸で最大規模のNPOになっている。
初期の活動には、地元の主婦や高齢者が中心になった配食サービスの「あたふたクッキング」、衣類の修繕・リフォームの「布ネット 春」、中高年の男性による自転車のパンク修理の「展」などの立ち上げがある。小規模な事業だが、震災の影響で一人暮らしの人が多く、残った衣類を活用する必要があり、また道路の状態が悪くパンクが頻発した神戸では、どれも求められるサービスであった。さらに参加者は、2000円程度の少額ながら、限られた時間で収入を得られる仕組みにもなった。
現在でも、中間支援組織として、事業の企画・立ち上げを支援する活動が続いている。これらは、「コミュニティ・ビジネス」と呼ばれるが、地域に根ざしたソーシャル・ビジネスと言えるだろう。震災から25年目の節目となる本年1月11日には、市民活動やコミュニティ・ビジネスの拠点であり、市民と企業・団体が連携する場になることを期待して、地域拠点「あすパーク」が、灘区内の公園を利用して開設された。ソーシャル・ビジネスとしての広がりを期待している。
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