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【演説館】
小島泰威:日本の鉄道、世界へ跳ぶ──現地に入り、文化に根ざす

2019/10/17

新たな競争市場への挑戦

優れた日本の鉄道の輸出は簡単に思われるかもしれないが、「ガラパゴス化」した日本の鉄道規格は多くの国々の鉄道と相容れない。海外の鉄道の多くは欧州に端を発するEN規格が主流を占めており、いわゆるJIS規格は通用しないからだ。

そもそも、これまで鉄道は国内産業と位置付けられてきた。海外との接触の必要が極めて少ない公益事業の1つだと。本来、そのターニングポイントは国鉄の民営化であった。しかし、JR各社は、鉄道経営の安定性の確立と国鉄債務の着実な削減に長らく注力せざるを得なかった。

その間に世界の鉄道市場では大きな変化が起きていた。1980年代までは日本の独壇場であった高速鉄道も、欧州でフランスを端緒に鉄道の高速化が進み、国を越えた列車の運行が盛んになった。欧州連合の統合深化と加盟国拡大は、域内での鉄道規格の共通化とその汎用性拡大に寄与した。日本の鉄道は優れていても1カ国でしか通用していない技術なのに対し、欧州の鉄道は欧州各国で採用され、違う言語、違う背景の鉄道において汎用性のある規則が成り立っていた。

日本の鉄道の多くは狭軌(レール幅が1067ミリメートル)を採用した。これは英国で主流であった標準軌(レール幅1435ミリメートル)と異なる。建設当時、国力の乏しい日本において、より少ない資金で早く建設できることなどからエドモンド・モレル氏(日本の鉄道建設の初代技師長。英国人)が進言し、実際に多くの路線を早期に敷設することに寄与したとされる。その後、輸送力向上のために拡幅して標準軌化する議論も幾度となくなされたが、新線建設が優先され、狭軌のデメリットについては、複線化による輸送力向上、細かい区間での信号機の設置による運転密度の向上、連結器の自動化による時間の短縮、レールの重量化による高速化など、さまざまな工夫によって乗り越えてきた。

翻って世界の主流は、英国や米国と同じ標準軌である。そうした中でも質の高いインフラ実現のために日本の技術を、という話になるが、欧州基準の世界標準化がアジア各国でも着々と進む市場で、どうやって競争力を獲得していくか。IoTをはじめとした技術分野との融合に長けている欧州や、価格競争力がある中国勢にどのようにして伍していくのか。

海外に出て見えること

「日本はすごいよ、でもそれは日本だからだよね」。駐在員としてニューヨークに赴任した3年間、私はこの言葉を何度となく聞いた。もちろん、相手は日本の鉄道運行の正確さや安全性に敬意を表してくれたのだが、決してもろ手を挙げて喜べる賛辞ではなかった。悪意はないのだが、「それは日本では通用しても、日本以外、少なくともここでは通用しないよ」という諦観だ。

整列乗車ひとつをとってもそうである。「それは日本の文化であり、なじまない」と。「文化」と言い切られると、説得のハードルが上がってしまう。スムーズな乗降によって停車時間を短縮し、輸送の安定性を確保しようという提案に、いきなりノーを突きつけられたも同然である。当地でなじむように工夫しよう、一緒に努力しようと思っていても、まずは門前で、「当地ではできなくて当たり前」という先入観と戦わなくてはならない。

海外では、日本の安全性も、日本で鉄道運行に携わる運転士や車掌、駅社員や指令員、さらに鉄道車両や線路や信号、電力といった設備のメンテナンスに関わる技術者たちの勤勉性に支えられていると理解されている。こうなると、日本の良さは世界で通用しない、と封じ込められかねない。

さらに、どこまでの安全レベルが求められるかという価値観は多様である。死亡事故ゼロを目指してとことん安全対策をする姿は、鉄道分野に限らず人命の価値を非常に重く捉える日本社会の特性かもしれない。鉄道経営の立場からすると、安全対策に事業者がどこまで責任を負うのか、どこから個人の責に帰するか、を問うことになる。

海外に出ると、ホームドアもなく自動運転される鉄道もある。沿線にフェンスもなく高速で走り去っていく列車もある。閉まりかけたドアにはさまれて死傷した場合の責任は、個人にあるのか事業者にあるのか。一見、日本にいると当たり前の議論も、海外では当たり前でないことに気づく。英国の鉄道経営でも、どこまで事業者として対策を実施して、どこからは保険によってリスクヘッジするのか、冷徹な経営の視点が間近に感じられる。

日本の生きる途

現在、私たちは鉄道建設コンサルティングの立場から、東南アジアや南アジアで鉄道の敷設や老朽化対策を中心としたビジネスを展開している。新興国の都市化では、貧弱な交通ネットワークと急速な自動車社会の発展で、異常なまでの交通渋滞が発生し、その経済損失は計り知れない。都市交通による事態の打開は急務となっている。

鉄道は古くて新しい産業である。旧国鉄も多いが、都市部を中心に新規路線の計画や建設が数多く進んでいる。こうした中では旧来の路線のリハビリと、新しい路線の建設という2つのまったく異なる性格のプロジェクトが並進する。交通分野における鉄道の価値は世界的にも見直しが進み、マーケットとしては堅調な拡大を続けている。

現在の私は、インドネシアの首都ジャカルタで都市鉄道のコンサルティング業務に関わっているが、くしくも事業者のナンバー2から言われたのは「あなた方、日本の鉄道が優れていることは知っている。しかし、コンサルをするからにはゼロから始めた私たちの目線で話をしてほしい。言葉だけではなく、私たちの文化にも敬意を払って接してほしい」というものだった。

もちろん、日本の鉄道を支える精神文化を植え込むことも一方で重要である。しかし、終身雇用制を旨としない諸外国の労働市場で、職人気質の強要は受容されるものでない。必要なのは誰もができる仕組みであり、誰もが行える業務のモジュール化である。世界に出ることは日本を輸出することではなく、日本が変化し強くなることであると身に沁みて感じる。

日本の鉄道産業、その中でも鉄道事業者が強みと思っているソフトパワーは、日本の輸出産業の中でも後進だ。相手を知り、各国で発展してきた鉄道文化と独自の技術を習得し、我が物にするところから先が開ける。それは恐らく、先人たちが島国日本の生きる途として実践してきたことである。

新しい令和の世に福澤先生が在らせられれば、他人に教えること以上に、自ら学ぶことを意識すべしと薦められただろう。日本は殻に閉じこもってはいられない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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