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【演説館】
小島泰威:日本の鉄道、世界へ跳ぶ──現地に入り、文化に根ざす

2019/10/17

英国での鉄道経営

英国は日本同様に、国営鉄道を「民営化」した国だが、両国の民営化はその後の政府の関与のあり方が異なる。日本では当時、政府100パーセント出資の特殊法人であったとはいえ、経営の独立性も与えて、鉄道の運行からインフラ管理まで垂直統合型のビジネスモデルとしてJR各社に経営を任せた。

一方の英国では、下部のインフラは準国営の非営利組織が全国的に資産を保有し、上部の鉄道運行は地域や機能ごとに分かれた競争入札で事業者が決まり、インフラ使用料や車両リースをインフラ会社に支払う形で行われている。その経営権は7年から20年程度であり、再度入札で契約を更新できる場合もあるが、基本的には年限があり、同じ地域で継続して経営を行うことがなんら保証されていない。

英国の官から民に鉄道運行を委託するスキームでは、国民のアクセス権を充足するため、利用者数の比較的少ない閑散線区でも1時間に2〜3本の列車を走らせることを政府が入札条件として求めたりもする。新車両の投入やサービスのデジタル化を社会的要請として経営の条件に含める場合もある。応札者による裁量の余地は大きくなく、機能的な新車両のデザインや、シームレスな移動を実現する手段としてのMaaSなども「何をやるか」より「効果的なものを低コストでいかに早期に実現するか」が問われる。

これら「注文の多い鉄道民営化」である代わりに、英国では政府が応分の負担を厭わない。不採算な施策も入札時の収支計算上に反映し、事業者としての適正利潤を確保した上で、発生する赤字に政府からの補助金が払われる。

翻って日本では、第3セクターや不採算路線でも補助金は前提となっておらず、国鉄から分割民営化した各社には、企業内の内部補助を基底とする中で、採算条件に応じた運行本数やサービス品質、場合によっては廃線の判断を事業者に求める。

それでは、英国は経営に対してルーズなのかといえばそうでもない。日本では必ずしも費用と便益の算出をしないようなサービスについても数値化を試みる。車両を綺麗にすることがどう利益につながるか。綺麗さの度合いによる利用者の増加や利用者離れを統計的なデータから予測し、清掃レベルを決定する。施策の採否を求めるために企画を立案し、コストを明確にし、そのベネフィットを明示する。実施判断の理由を明確化し、取締役会等での承認行為は曖昧さを排除している。

政府の関与はサービス評価にも及ぶ。列車運行の定時性や年に2度全国的に実施されるお客さまの満足度評価が芳しくない場合、事業者に出費を伴うペナルティが課される。これらの指標は運行権獲得時の契約で政府と事業者の双方で合意するものだが、逆に期待を上回った場合に事業者が報酬を得ることもできる。興味深いのは、改善コストがペナルティに対して見合わない場合、ペナルティを甘受する判断をすることである。日本では目標を達するためなら経営が極端に悪化しない範囲で従来以上の支出をしてでも問題解決に挑みそうなところだが、あくまでもビジネスライクに推移するのである。

もとより鉄道は公益性が強く、ややもすると民間企業としての経営の精神を忘れてしまうことにもなりかねない。英国の鉄道への経営参画は、欧米流の企業経営のあり方を見つめるよいきっかけとなった。

鉄道システムの海外輸出

この間、日本の鉄道産業はさまざまな形で海外に展開している。わかりやすい事例としては鉄道車両であり、これは日立製作所、川崎重工、日本車輌、近畿車輛といった名だたるメーカーが輸出はもちろん、海外に工場や営業拠点を保有し、製造やマーケティングを行っている。信号システムや空調装置等についても、各社が現地に根ざした工場生産を進めており、近年では鉄道事業者、商社、メーカーが、オペレーション&メンテナンスというソフト面への海外事業参入に及んでいる。

2000年代に入り、インフラの海外輸出が叫ばれ始めた当初は、原子力発電やその他電力、水資源が筆頭であったが、次第に官民連携の中でのプライオリティも変わり、鉄道システムへの注目度が高まっていった。その背景には、東日本大震災後、原発のベース電力としての位置付けを再考する動きが世界的に広がったこともあるが、その一方で地球環境を考慮した公共交通のあり方について議論が活発になったこと、そして都市化が進む地域における交通政策の一環として、歴史ある鉄道システムが新しいソリューションとして脚光を浴びるようになったことが大きい。いまや、鉄道は日本の経済外交の大きな柱の1つとなっている。

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