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【演説館】
鵜野レイナ:クマと人間は共存できるのか──クマの人的被害を減らすための検証と知識を広めよう

2019/05/20

市街地へのアクセスルートを断つ

クマとの出会いや接触を避けるためには、クマを人間の住むエリアに寄せ付けないことも大切です。クマの生息地である山でクマに出会うのは、ある意味では普通のことです。クマがいることを人間の側が意識し、ラジオの音を流しながら歩くなど、出合い頭の事故を避ける工夫が必要です。つまり、個人の対策や意識が重要になります。

しかし、人間の住むエリアである市街地に出没するクマに対しては、個人のみならず、行政も総合的に対策を打つ必要があります。近年、クマの生息数が増え、生息地も拡大していると考えられています。山間部や森林から離れた市街地での目撃例も多く、人的被害に繫がりそうな芽を摘むという意味からも、クマの市街地へのアクセスルートを解明することが求められます。

例えば、クマがクルミなどを食べながら、河畔林を伝って山間部から市街地へやってくることが考えられます。クマは、自分の姿が丸見えになるような場所は居心地が悪いので、藪に姿を隠しながら、河川沿いに移動するのです。そこで、クマが身を隠す場所を減らすために、川沿いの草刈りを徹底的に行うことが、クマを遠ざけることに繫がります。

またクマは餌を求めて、もしくは実りの時期に備え、下見を兼ねて徘徊するわけですが、その目的を断つことも有効な対策になります。「クマにとっての魅力のない集落づくり」として、例えば餌となる栗や柿の木の集落内における位置を特定し、(極論になりますが)それらを伐採することで出没動機そのものを排除することができます。

では、市街地に出没するのはどんなクマなのか。1つの「傾向」に過ぎませんが、人生(?)経験の少ない若いクマ(そしてオス)が多いようです。クマは基本的に単独行動ですが、体の大きなオスのクマは他のクマにとって脅威です。大型のオスが山間部のブナやドングリの森など餌が多く住みやすい場所を確保するので、若いクマは追い出されるように森からあぶれ、結果的に市街地へと向かうのです。山の実りが少ない年はこの傾向が顕著です。

また多くの哺乳類と同様、クマのオスも近親交配を避ける手段として生まれた土地を離れる例(dispersal)が報告されています。若いオスが結果的に市街地に向かうことは、哺乳類の生態に基づく行動の1つと考えられます。

有害駆除による頭数管理の問題

地方では、人口減少や過疎化により野生動物の生息地と人間活動との境界線のせめぎあいが生じています。獣害対策としての有害駆除や狩猟などにより、シカやイノシシの生息数が仮に減ったとしても、それらが自分の畑を狙わないという保証はありません。決して愛護的な立場からのコメントではなく、自分の畑など「守りたいもの」を電柵などで囲い、ピンポイントで守るほうが効率よく被害を減らせます。逆に、たとえ野生動物の個体数そのものが減ったとしても、その地域から徹底的に排除しない限り、畑を狙う個体は必ず存在し続けます。

クマは日本国内で年間およそ2千頭が捕獲されています。その多くは有害駆除で、果樹園や民家周辺に出没するクマに対しては、ハチミツやリンゴで誘引してワナで捕獲します。ただし、ワナ自体が餌を使うため、結果的に集落へクマを呼び寄せる効果もあります。母グマが捕獲されて仔グマだけが生き残った場合も、(山のオスグマを避けて)集落周辺で生活することになり、里を中心とした生活圏を持つクマを増やすことに繫がるため、ワナでの捕獲には上限を定めた管理が必要です。

共生へ活かす、マタギの知恵と心

マタギの人たちのクマとの付き合い方は、「野生動物はいるのが当たり前」という動物を尊重した生き方だと感じます。もともと自然や山、クマに畏敬の念を持つ人、自然や動物が好きな人が多く、幼い頃から身近な自然を山菜採りなどで利用してきたからこそ、山を知り尽くし、その土地が好きで山に入り、山の恵みをいただく人々です。

ワナでの捕獲はそれ自体が「駆除作業」となりますが、銃をもって山に入り、状況を観察することでクマの生息密度や環境の変化をとらえることができます。作業としての駆除ではなく、その背景を理解しつつ保護・管理するのが理想的だと、私は考えています。

人間の手によって絶滅させられたエゾオオカミの二の舞になってほしくはありません。過去から学び、地球に住む仲間として共存していく方法を探っていきたいのです。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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