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【演説館】
藤井賢一:単位を進化させる──130年ぶりのキログラム定義改定

2019/03/18

アボガドロ定数との出会い

私が大学の工学部にいた頃、世界は石油危機の最中でした。それがきっかけで省エネルギーの研究に興味をもつようになり、機械工学科の渡部康一教授(現名誉教授)の下で物質の熱的性質を精密に測ってエネルギー効率を高めるための研究を行っていました。しかし、そのために使う測定装置は高価だったので、必要性を十分に説明しないと研究費がもらえなかったのです。

その頃、つくばに計量研究所(現在の産業技術総合研究所計量標準総合センター)という研究機関があることを知り、そこであれば最高精度の測定が行えるだろうと思い、1983年の夏、就職面談に行きました。そのとき、研究所の食堂で、ある研究者に偶然出会いました。彼はキログラムの定義を変えるための研究を行っているというのです。19世紀末に国際キログラム原器という人工物の分銅によって定義されて以来、その定義は変わっていないということをそのとき初めて知りました。

入所直後は水の密度を再測定する研究に加わりました。水は他の物質の密度や体積を測るときに用いられますが、その値は19世紀末に測定されたのが最後でした。このため、石英ガラス球の直径をレーザ干渉計で測り、その体積を基準として水の密度を精密に再測定するための研究を行いました。

この頃、珪素の結晶を球体に磨くことが、日本でもできるようになりました。X線結晶密度法と呼ばれる方法でアボガドロ定数を測り、原子の数からキログラムの新しい定義を実現するには、珪素結晶の格子定数(原子間距離)とモル質量(同位体存在比)の他に、密度の精密な値が必要です。このため、石英ガラス球の直径を測るレーザ干渉計を既に開発していた私が珪素結晶の球体の密度測定を担当することになりました。そして、1988年に計量研アボガドログループが結成されました。

当時は5人で珪素結晶の格子定数と密度を測るところから開始しました。100年間誰もできなかったことを自分たちの手で成し遂げてみたいという意気込みはありましたが、原器の安定性を超える精度で原子の数を測ることは難しく、プロジェクトが危機を迎えたこともありました。当時のリーダーは、国立科学博物館からの取材に対し「我々が生きている間にキログラムの定義を変えるのは無理でしょう」と語っていたほどです。

数年後にアボガドロ定数を測ることに成功しましたが、精度向上の見通しはなかなか得られません。この頃、私が担当していた珪素結晶の密度測定の精度は1億分の9が限界でした。原器の安定性である1億分の5という壁を超えられないでいました。別の方法を模索し、ライバルである米国の標準技術研究所に滞在し、プランク定数によってキログラムの新しい定義を実現しようと挑戦していた時期もありました。

研究を支えた海外との交流

転機が訪れたのは帰国後の2002年です。私たちと同様の研究を行っていたドイツの研究グループからお誘いがあったのです。結晶の材料として用いる珪素の同位体を濃縮してみないか、というものでした。これができれば一気に精度を上げられると直感的に思いましたが、その濃縮には原子爆弾を作るのと同じくらいの巨費を要します。技術的にも難易度が高く、ロシアの核技術を使って濃縮する必要がありました。しかし、徐々に研究所の理解も得られるようになり、2004年からこの同位体濃縮プロジェクトが始まりました。この頃から私はドイツ、イタリア、国際度量衡局などとの国際プロジェクトでコーディネーターを務め、産総研内ではプロジェクトリーダーとして更なる精度向上を目指していました。

その後、この国際プロジェクトは順調に進み、2007年には質量数28の珪素(28Si)だけを濃縮した結晶が得られました。この結晶から1キログラムの結晶球を2個研磨し、その直径をほぼ原子間距離の精度で測ることができるレーザ干渉計(写真)などを開発しました。そして、その表面分析技術などを新たに開発し、結晶密度の測定精度を1億分の2まで向上させることに成功しました。キログラムの定義を変えることができる精度にようやく達したのです。

2011年には原器の安定性を凌ぐ精度での最初のアボガドロ定数の測定結果が得られました。その後も改良を重ね、世界を納得させるのに十分な精度のデータが幾つか得られるようになりました。

2017年には、キログラムの新しい定義に用いるプランク定数の値を決定するために、科学技術データ委員会による物理定数の調整が行われました。そこでは最終的に8つのデータが選ばれました。そのうちの4つは産総研やドイツ、イタリアの研究機関などが共同で測定したアボガドロ定数の値をプランク定数に換算したもので、さらにその中の1つは産総研単独の測定結果でした。130年ぶりのキログラムの定義改定において、日本が大きく貢献する成果を残したのです。国際単位系の定義で日本が決定的な役割を果たしたのは、歴史的にも今回が最初でした。

そして、2018年11月にベルサイユで開催されたメートル条約の総会で、キログラムの定義改定が採択されました。この研究を始めてから、ちょうど30年目のことです。

中央に見える珪素結晶球の直径をサブナノメートルの精度で測るレーザ干渉計
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