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【講演録】諸文明の祝祭──井筒俊彦の生涯と心

2024/11/13

さて、ご来賓の皆様方、お越しのすべての皆様方。

慶應義塾大学の、創意と影響力に満ちた学術活動を促進してきた豊かな歴史は、井筒の遺産を讃えつつさらに展開させるために完璧な舞台を提供しております。知識の限界をさらに[遠方へと]押し拡げ、社会の改善に貢献する学者たちを育成することで、慶應義塾大学はその創設者のヴィジョンと井筒の画期的な仕事を生み出した理想に栄誉を与え続けています。

私たちが現在の国際情勢の眺望に思いを致せば、井筒が共感と対話に重きを置いたことはさらなる重要性を帯びてまいります。分断と誤解に満ちた世界においては、井筒のアプローチは文化の相違に架橋するばかりでなく、抑えの効かない物質的な利益と富の追求を和らげ改善へと向かわせる対抗策を供するものです。

様々な価値へ心を向けなくなった、慈悲の心と人間性に欠ける世界では、また知的な探究が規則であるよりはむしろ例外的な行為となるところでは、社会は道徳における羅針盤を奪われ、その行き着くところは幻滅、冷笑、懐疑、そして不安となります。

井筒俊彦の生涯と業績に栄光を帰するに際しまして、彼の揺らぐことなき知的な厳格さへの、文化間の理解への、そして言葉と共感の力への献身、またおそらく何よりも重要なことですが倫理と道徳性の卓越性への献身、それらから触発を受けて精神の力を得ましょう。さらに私たちを1つに結びつける知識を求め、様々な境界を越えて意義ある対話に従事し、[相互の]理解と共感が分断と不寛容に対して大きな勝利を収める世界を築き上げるために倦まず弛まず働く──そうすることで、井筒の遺したものをさらに前進させましょう。

井筒の生涯と心はまさしく諸文明の祝祭、すなわち多様な知的伝統の調和のある混合が、私たち自身の、そして互いの理解をどれほど豊饒なものとし得るか、その1つの模範なのです。

彼の遺産を褒め称え、彼のような学者たちの功績を探り続けていくに際しては、私たちは知識の追求とは目的ではなく、より公正な、共感に満ちた、そして統合された世界を築くための手段であることを思い起こしましょう。井筒の記憶に栄光を帰しましょう──彼の共感の精神を受容し、理解されることを欲する前に理解することを求めることによって、かつ叡知と慈悲の光が無知と憎しみの闇を打ち払う未来の創出に力を尽くすことで。

ご清聴有難うございました。

(訳者付記:ここに訳出したのはマレーシア首相アンワル・イブラヒム氏が2024年5月24日、慶應義塾大学三田キャンパスを訪問した折に、"A Feast of Civilizations: The Life and Mind of Toshihiko Izutsu"と題して行った講演である。題名にある"Feast"だが、ここでは宗教的な意味を残す「祝祭」と訳してみた。

オリジナルの原稿には章区切り、セクション区切りなどなく、パラグラフごとに行間を空けるだけで続いているが、訳文では読者の便宜のために、訳者が読み取った内容にそくして仮に4つのセクションに分けてみた。各セクションの内容をざっと示すと、I はじめに、Ⅱ 井筒がクルアーン研究で試み成し遂げたこと、Ⅲ 井筒の「共感」の信条、Ⅳ 結びに代えて、となるだろうか。

アンワル氏の英文は豊かな語彙を駆使した達意の名文というべきもので、訳出にあたっては、文意が日本語で平易に伝わるよう、時には言葉や表現を略し、かつ時には原文にはない日本語の表現を加えて補訳を試みた。その一部は[  ]の中に入れて示した。またアンワル氏が言及した思想家の名には原語のラテン文字表記を添え、かつ生没年を記した。ただ老子と荘子については名前のラテン文字表記はアンワル氏の表記に従った。またその生没年は諸説あり定め難いので「生没年不詳」と記した。さらに原文でラテン文字に翻字の上表記されたアラビア語の単語や節からは専門的な付加記号は省かれているが、ここでは主にアメリカ議会図書館式(ALA-LC Romanization Tables-Arabic 2012 Version)にもとづき──一部は訳者の方法によるが──あらためて表記した。なお訳文の校閲については、石丸由美氏(慶應義塾大学言語文化研究所非常勤講師)と豊田泰淳氏(日本学術振興会P.D.[早稲田大学] )のお世話になった。また井筒俊彦の特別な用語、概念の訳出については小野純一氏(自治医科大学医学部准教授)にご意見を伺った。記して深く感謝したい。言うまでもなく、訳文に如何なるものであれ、間違いや不明確なところがあれば、それは訳者の責任である。さらに最後になり恐縮であるが、山本信人先生(慶應義塾大学法学部教授)はご多忙の中、素晴らしい序文を寄せられた。あつく御礼を申し上げたい。[野元 晋])

【註】
*1 原文では"True translation is transparent, it does not obscure the original, does not stand in its light, but allows pure language, as if strengthened by its own medium, to shine even more fully on the original"である。アンワル氏がどの英訳を用いたか本文では明らかにされていない。ベンヤミンのドイツ語原文での該当箇所は例えば以下の版に見られる。Walter Benjamin, "Die Aufgabe des Übersetzer," in Walter Benjamin, Gesammelte Schriften VI. 1, hrsg. Tillman Rexroth (Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag, 1980), 18. 英訳の一例は以下に見られる。W. Benjamin, "The Task of the Translator," in Walter Benjamin, Selected Writings, vol. 1, 1913-1926, ed. Marcus Bullock and Michael W. Jennings (Cambridge, Mass./London, England: The Belknap Press of Harvard University Press, 1999), 260. 日本語訳は例えば以下のものがある。ヴァルター・ベンヤミン「翻訳者の課題」、『暴力批判論他十篇:ベンヤミンの仕事Ⅰ』野村修編訳(岩波書店[岩波文庫]1994)86ページ。

*2 アンワル氏は"hadaya"と綴っている。
*3 クルアーン第14章。イブラーヒームはアラビア語でアブラハムである。
*4 井筒俊彦訳『コーラン』中(岩波文庫1964; 改版2009)66ページ。
*5 「以上のこと」(this):前のパラグラフにある、文化間の対話をことに諸宗教の対話を中心に行うことを指すか。
*6 井筒俊彦『スーフィズムと老荘思想:比較哲学試論』上、仁子寿晴訳、13ページ(英語オリジナル: T.Izutsu, Sufism and Taoism: A Comparative Study of Key Philosophical Concepts,Tokyo: Iwanami Publishers, 1983, p.7)。なお引用文の一部のゴシックによる強調は、引用者アンワル氏によるものであり、翻訳においても残した。
*7 井筒俊彦、前掲書340〜341ページ(英語オリジナル: T.Izutsu, Ibid., p.247)。引用文の一部のゴシックによる強調は前の註を見よ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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