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【講演録】諸文明の祝祭──井筒俊彦の生涯と心

2024/11/13

  • アンワル・イブラヒム

    マレーシア首相

  • 訳・注 野元 晋(のもと しん)

    慶應義塾大学言語文化研究所教授

〈序文〉「共感(empathy)」──アンワル・イブラヒム首相の横顔
山本 信人(やまもと のぶと)(慶應義塾大学法学部教授)

2024年5月24日(金)午前、第10代マレーシア首相のアンワル・イブラヒム氏が三田の山に来臨した。マレーシア首相が来塾するのは実に20年ぶりであり、今回は井筒俊彦記念講演会という機会であった。氏の講演題は「諸文明の祝祭──井筒俊彦の生涯と心」。身振り手振りよろしく40分を超える熱弁を振るった。用意していた原稿から脱線して語りかける場面がしばしばあり、会場に集った聴衆は講演に聴き入った。

アンワル氏は1947年、英領マラヤ・ペナン生まれ。英領マラヤは翌年英領マラヤ連邦に、57年に独立マラヤ連邦、63年にマレーシアとなり現在に至る。両親はマレー系住民の政党で連立与党の中核であった統一マレー国民組織で熱心な党員であった。その遺伝子を受け継いだアンワル氏は、社会における経済格差の存在と道徳観が欠如する自由主義思想に対する問題意識を胸に、多感な高校・大学時代は学生運動に没頭した。氏の政治思想の根幹には、社会経済的な近代化とイスラーム的道徳(イスラーム的民主主義)との両立と実現がある。

アンワル氏の半生は波瀾万丈である。1970年代から97年までは飛ぶ鳥を落とす勢いであったが、副首相時代の97年のアジア通貨・金融危機をめぐる政策対立が彼の政治人生を一変させた(当時財務大臣を兼任)。アンワル氏はイスラーム市民活動家、各種閣僚(1983年〜93年)、副首相(1993年〜98年)、囚人、野党指導者(2008年〜15年、20年〜22年)を経る。マレーシアでは2018年総選挙で独立以来継続していた統一マレー国民組織の実質的な一党優位体制(選挙のある権威主義)が崩壊し、史上初めて政権交代が実現した。マレーシアでも民主化の時代を迎えた(選挙による民主化)。4年後の22年総選挙では、アンワル氏の率いる多民族・改革連合が勝利をしたことで、アンワル氏は第10代首相に就任した。

2006年に政治の舞台に復帰する前の数年間、政争に巻き込まれたアンワル氏は獄中生活を強いられた。講演でも言及されたが、その間彼は洋の東西を問わず、さまざまな本を読み漁った。政治活動を再開してからというもの、国内外における講演会、政治演説、政治対話などの場で、ことあるごとに持続可能な人道的経済(sustainable humane economy)という概念に言及し、その実現の必要性を訴えてきた。この概念には氏の個人的な歩み、イデオロギー的な営み、政治的な優先順位が凝集されている。

アンワル氏が井筒俊彦の著作と出逢ったのも獄中であった。井筒は本学の名誉教授であり、世界に名だたる哲学者、言語学者、イスラーム学者であった。30を超える言語を自由に扱い、日本語だけではなく英語での著作も多数ある。なかでも井筒の手によるイスラーム教の聖典であるコーランの邦語訳については、言語的に正確なだけではなくイスラーム教の本質を理解した偉業である、と海外でも称賛されている。

井筒は学問的営みを通して宗教や信仰の違いを乗り越えることを試みた思索の哲学者であった。井筒の著作を読み進めるうちに、アンワル氏の心を揺り動かす概念と邂逅した。「共感(empathy)」なる概念である。「共感」を用いて井筒は東洋哲学と西洋哲学の対話を目指した。異国の哲学者であった井筒の「共感」に出逢い、アンワル氏は共鳴した。

まさに共感が本講演の中核的なメッセージであった。アンワル氏は、共感こそが激動する世界にとって重要な概念であると力説した。21世紀の世界は異なる信仰、民族、政治的信条をめぐって紛争が絶えない。氏曰く、世界で進む分断と他者に対する不寛容は膝を突き合わせての対話が成立しないからである。それゆえに共感を基にした対話の重要性を幾度となく強調した。そして、私たちは井筒の遺産を継承して、共感し対話を続ける努力が必要である、と講演を力強く締め括った。

講演後、アンワル氏は予定の時間を超過しても、学生との対話の時間をとった。そこには、学生(若者)の言葉に耳を傾け、共感し、対話する氏の生き様を垣間見ることができた。

(2ページからアンワル首相による講演録)

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